安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグ…

安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(共著)『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』、監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。訳にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』

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イタリアデザインについて語る場です。ことに20世紀後半、ミラノを中心として、どのように新しいデザインが生まれたか?が焦点です。このテーマの本を執筆する予定です。したがって、その頃のキーパーソンたちにもインタビューしていきます。そのリサーチ活動のプロセスやその時々に考える記事を毎月、2本程度は書いていくつもりです。 大文字(広義)のデザインと小文字(狭義)のデザインの両方をカバーしていくので、どちらか片方ではなく、両方に関心のある方に読んでいただきたいです。ロベルト・ベルガンティ『デザイン・ドリブン・イノベーション』、安西洋之『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』あたりに関心があれば、ぜひ!

  • イタリアデザインを語る場。

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  • 日経COMEMO

    • 13,601本

    日経COMEMOは、様々な分野から厳選した新しい時代のリーダーたちが、社会に思うこと、専門領域の知見などを投稿するサービスです。 【noteで投稿されている方へ】 #COMEMOがついた投稿を日々COMEMOスタッフが巡回し、COMEMOマガジンや日経電子版でご紹介させていただきます。「書けば、つながる」をスローガンに、より多くのビジネスパーソンが発信し、つながり、ビジネスシーンを活性化する世界を創っていきたいと思います。 https://bit.ly/2EbuxaF

  • 文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

    • 212本

    文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスのための文化」とでも言いたげな論が目につきます。それ、いいの?という文章を書いていきます。

  • メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか?

    最新著書『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』に関するさまざまなメモを書いていきます。

  • デザイン文化について語ろう!

    デザイン文化とは何か?というところから、デザイン文化の作り方、その定着のさせ方まで考え語っていきます。

  • 本の感想を書いてます。

    本の感想をあまり長くなく、500字周辺を目安に書いたものです。

最近の記事

1-2泊の旅で何が分かる?ー3泊以上の旅を増やそう。

「日本人は旅をやめたのか」というちょっとドキッとする見出しの記事です。海外旅行をする日本人が減っているだけでなく、国内旅行の数も横ばいというのです。2泊から増えない。 訪日する外国人は増え、滞在日数も増えているのに、です。 海外旅行低迷はパンデミックや為替変動が背景になりやすいですが、それだけではなさそうです。以下はZ世代の慎重ぶりを示していますが、これはZ世代に限らない傾向ではないでしょうか。というのも、「行きたいと思わない」「行きたいが社会情勢が不安で行けない」という

    • クラフトがつくる世界ー差別化より共通点を探る方向への転換をヴェネツィアでみた。

      2年ごとにヴェネツィアの島で開催されるクラフトの祭典、ホモファーベルを観てきました。 今回、度肝を抜かれたのは、会場のインテリアデザインです。ある部屋ではベルベットが壁から天井に至るまで覆っているのです。1953年、シチリアのメッシーナで開催された美術展の会場を建築家のカルロ・スカルパがデザインしたインテリアへのオマージュです。 結論から書いておきます。このところ、産地名を示しようがないロングサプライチェーンを推進したグローバル化へのアンチテーゼとして、クラフトはローカル

      • あえての「ですます調」会話がトラブル回避に役立つ

        ママ友の仲間との距離の取り方について書かれた記事ですが、どの場面でも使えるツボを押さえた内容です。 以下の図に要点があります。このなかで、あえて「ですます調」で会話、に注目しました。これ、かなり興味深いです。丁寧であることは礼儀ととらえがちですが、さらにいえば礼儀とは衝突を避ける手法でもあるのですね。 今どき、メールを使うかどうかという選択の判断はかなり大切です。 LINEのようなアプリ(ぼくの場合はWhatsappやMessenger) はチェックしやすいだけでなく、

        • 経験を積んでくると主語や目的語のサイズは小さくなる

          国際会議の基準が国際会議協会と日本政府観光庁の間で異なるため、前者を基準にすると後者の実績数が8分の1になるようです。 慶應義塾大学総合政策学部教授の白井さゆりさんが、この記事に対してThink!欄に次のコメントを書いています。このなかで、ぼくが太字にしたところに注目してください。 日本とは直接関係のない領域やテーマで日本の人が発信力を高めていく大切さに言及しています。きわめてまともな意見ながら、そういえば、最近、こういう発言をあまり目にしていなかったと思い出しました。

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        • ランゲからみるテリトーリオとデザイン

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        • トリエンナーレ美術館は(ぼくにとって)学校である。

        • ミラノサローネのエコシステム

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        メンバー特典記事

          半世紀を経て注目されるデザインの「CMF」とミラノデザインウィーク

          インタンジブルなデザイン、つまり物理的なモノを対象にしないデザインの重要性が多く語られ、プロダクトデザインをデザインの領域としてみるのは「時代遅れ」であると言われがちです。 ソーシャルイノベーションの第一人者であるエツィオ・マンズィーニも、「今世紀に入ってからのデザインは、デザインの専門家だけのものではない」と盛んに語ります。 この5月末、マンズィーニと東京で会ったとき、彼がぼくに話したには、「かつて日本ではデザインといえば、大手メーカーのインハウスデザイナーによる話ばっ

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          ガエ・アウレンティの拘りと辛辣さ

          今日、今週からトリエンナーレ美術館ではじまったガエ・アウレンティ(1927-2012)の回顧展をみてきた。やっと、アウレンティのことが分かってきたというか、もっと分かろうとする動機を自覚した、という感じだろうか。 走り書きだがメモしておく。 20年ほど前、東京のセレクトショップであるメトロクスの社長、下坪さんとガエ・アウレンティの事務所でインタビューを行った。当時、メトロクスは彼女のデザインした照明器具もイタリアから輸入していたのだ。ヴィンテージのソファも買っていた。その

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          イタリアデザイン史を振り返る 1

          佐藤和子の『「時に生きるイタリアデザイン』の背景について以下のように書いたが、デザインの読書会の課題図書にしたので、気になるところにメモを残しておこう。今回の対象は「序」「第1章 1990年代。モダンクラシックの嵐」「第2章 1930年代のイタリアデザイン」「第3章 敗戦からデザイン黄金期へ」のおよそ100ページ。 方程式のないイタリアデザイン まず、次の文章だ。日本とイタリアのデザインアプローチに言及している。 デザイン研究者のアンドレア・ブランジの”Ritratti

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          「デザインのミラノ」が実質的な内容を伴いつつある。

          ミラノのデザイン界がほんとうに次元を変えて動きつつあるのを実感します。 以下の日経COMEMOの記事で、ミラノサローネがミラノ工科大学に「サローネのエコシステム」の調査を委託したことを紹介しました。2月13日のプレス発表のことです。 その翌日、2月14日、今度はトリエンナーレ美術館でプレス発表がありました。ここに年間、開館時にはいつでも誰でも無料で使えるスペースとサービスがあるデザインセンター”Cuore Centro Studi Archivi Recerca"がオープ

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          将校の姿をしたデザイナー。

          前々回と前回、1970年前後にあった動きをクリノ・カステッリの活動から紹介した。 今回は、この頃の動きについて別の例をあげよう。 1973年、ミケーレ・デ・ルッキ(1951-) が”DESIGNER IN GENERALE”というパーフォーマンスをトリエンナーレ美術館の前で行った。将校の格好をしたデザイナーだ。 generale という言葉は「全員の」「専門的ではない」「指揮権をもつ」という意味で、in generaleとすると「一般に」ということになる。一方、gene

          デザインとファッションの対話がはじまったころ。

          カタチのないデザインを考えるにあたって参照すべき1972年は、クリノ・カステッリ(1944ー)による「グローイング・チェア」の発表、ジッロ・ドルフレス(1910-2018)が「トータルデザイン」との表現を使った年と前回の記事で書いた。 上記の内容の文章があるカステッリのエッセー集"No-form 2020"は、気になるエピソードから始まっている。 1967年、フラビオ・ルッキーニ(1928- )にニューヨークに行かないか?と誘われた、と書き始めている。フラビオ・ルッキーニ

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        記事

          ツーリズムのゆくえを新ラグジュアリー文脈で考えるーマッキンゼーの報告書を読む。

          最近、マッキンゼーが出したツーリズムに関するレポートを読み、とても気になる点がありました。ラグジュアリー領域のツーリズムに関するデータです。 1つ目のデータは、一泊にかける予算とその予算を選ぶ人たちが何を求めるか?です。300$以下、300-500$、500-750$、750$以上の4分類があります。そして、求めるものは「どこか新しい場所の発掘」「文化的または歴史的な旅」「オーセンティックな経験あるいは文化的没入」「新しいことを経験」も4つあります。 これら4つのそれぞれ

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          「座右の銘」のつくり方ー面白い仕事をつくる際の礼儀作法

          「私の座右の銘」とか「私を変えた1冊の本」という特集をメディアでたまに目にします。そういう時、そんな一言や一冊で人生が変わるほどに精神的に貧しい人生を送っていないーーという気になります、ぼくは。 ただ、これは一言や一冊が大切でないということではなく、それらが色々と織りなしたところにカラフルな人生が浮上する、ということでしょう。 古典として評価の高い本も、どこか何か所かにピンとくるフレーズがあり、それで「そうか!」と思う。それらが自分の内にじょじょにたまってくると、それらの

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          『ヴェネツィアの家族』辻田希世子を読む。

          『ヴェネツィアの家族』はタイトルからするとイタリア生活記です。ただ、ちょっと違うのですね。 この本のレビューを書きますが、背景について少々説明しておきます。 筆者の辻田希世子さんは友人です。20年近く前、彼女がヴェネツィアに生活していた頃、大学の同窓生としてミラノで知り合いました。彼女はヴェネツィアで10余年を過ごした後、イタリア人の旦那さんと別れ、娘さんを連れて日本に戻ります。 東京でも何度かお会いしてきましたが、昨年、永田町の焼き鳥屋のカウンターで彼女と食事をしなが

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          半世紀を経て注目されるデザインの「CMF」とミラノデザインウィーク

          インタンジブルなデザイン、つまり物理的なモノを対象にしないデザインの重要性が多く語られ、プロダクトデザインをデザインの領域としてみるのは「時代遅れ」であると言われがちです。 ソーシャルイノベーションの第一人者であるエツィオ・マンズィーニも、「今世紀に入ってからのデザインは、デザインの専門家だけのものではない」と盛んに語ります。 この5月末、マンズィーニと東京で会ったとき、彼がぼくに話したには、「かつて日本ではデザインといえば、大手メーカーのインハウスデザイナーによる話ばっ

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          「外部の目が有効」に頼り過ぎない。

          どの国のどの分野でも「外部の目が有効」と言われます。特に、最近では日本の地方再生の文脈のなかでよく目にします。「岡目八目」といわれるように、内部の人がなかなか気づかないことを外部の人は気が付きやすいです。 「外部の目が有効」はかなり普遍的に通用するフレーズでありながら、この見方にちょっと頼り過ぎていないか?と思うこともあります。上記の本は(読んでいませんが)、「内部の目」で素材を再発見し、「外部の目」でそれを評価するとあります。 だが、往々にして外部の目に発見してもらおう

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          アートに対する心変わりーイタリアの絵画に関心がもてるようになった。

          長くイタリアに生活しながら、イタリアの近世以降・現代以前の絵画にあまり興味がありませんでした。恥ずかしながら、です。美術史家の高階秀爾さんの言葉を借りるなら、イタリアの近世以降の人間にあまり興味がもてなかったことになります。 ぼくの関心が中世・ルネサンス期と現代という2つの時代にかなり限定されていた、ということです。13世紀から16世紀あたり、イタリアの作品が西洋美術史のなかで必ず取り上げられる頃、です。その中間の時期、17世紀から19世紀の絵画には目があまりいかなかった。

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          イタリアのデザインとテリトーリオの関係を探る旅―生き方とビジネスへの立ち向かい方に迫る経験とは?

          イタリアのデザインとテリトーリオの関係を探りながら、生き方とビジネスへの立ち向かい方を探る、実験的な研修プログラムを用意しました。 研修プログラムの狙い この旅は、何もかもが「ビジネス化」したことに疑問をもち、新しいビジネスのあり方と自分の生き方を探る人たちへの贈り物です。タイトルにピン!ときた方は、どうぞ参加を積極的にご検討ください。 イタリアのデザインというと華やかな色使いや魅惑的な形状を連想する方が多いです。それは一面で間違っていません。しかし、それらを「クリエテ

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          「日本のBar文化」が外国人に評価を受ける背景を考えてみた。

          Barは真剣につきあうものだ、と教えられたのは大学生の頃です。しかるべきBarにはスーツにネクタイを身に着けて出かける ー 大人の世界にお邪魔する若造であればなおさらです。そうやって足を踏み入れたのが、例えば、横浜港の大さん橋の入り口あたりにあるレストラン・スカンディアの2階にあるカウンターバーでした。 横浜港の周辺には、ヨーロッパの船員たちが日本に居ついて飲食業をはじめた店が少なからずあり(これが軍人としてくる米国人との違い)、そういうところで「アルコール度数の高い酒」を

          「日本のBar文化」が外国人に評価を受ける背景を考えてみた。

          真の文化はつねに、どんな観点から見ても、正しいフェアプレイを要求している。

          文化の読書会ノート。 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』第6章 遊びと知識  第11章「遊ビノ相ノモトニ」見た文化と時代の変遷 第12章 現代文化における遊びの要素 競争とは遊びであり、その範囲は広い。神託、賭け、訴訟、謎に加え、知識や学問もその対象になる。宇宙開闢論的な思弁の基礎には遊びの性格があり、それらの説明はもともと祭式の謎からきている。 哲学的思考も例外ではない。知恵の探求者は、原始の初期の人々から後期のソフィストに至るまで、典型的な闘争者の姿をとって現れていたの

          真の文化はつねに、どんな観点から見ても、正しいフェアプレイを要求している。

          AIが新ラグジュアリー的世界の扉を開ける。

          冒頭の写真はイタリアの高級ファッションブランド企業、ブルネロ・クチネリのプレス発表の1シーンです。7月16日、ミラノのピッコロ劇場で世界各地からもジャーナリストを招待し、AIに基づいたサイトのお披露目を行ったのです。 「エンジニアの学部に一時在籍したが退学し、今、自分ではネットも限定的にしか使わず、ChatGPを使っていない」と告白(?)するダブルのスーツを着たクチネリの周囲には、今回のプロジェクト責任者や開発者などが並んでいます。 本プロジェクトの意図は以下のイメージに

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          世界の成り立ちなんてはっきり分かる訳がないーーパオロ•ジョルダーノ『タスマニア』を読む。

          何かの専門家が自らの領域のことで良い仕事をすると、さすが、と他人から言われる。その人が専門以外のことで良い結果を出すと、ひとつのことがてきると他に応用できるのですね、とか言われる。 ベースがあるんですね、とか。 例えば、人は他人の専門を生業と捉え、大雑把にその当該の人生の7-8割の価値のように評価し、残りを、まあ、いろいろとあるよね程度に見やすい。 だが、人の人生はそんなシンプルに区切れない。複雑とか、そういう言葉で括れないくらいにさまざまな要因に絡めとられ、かつ、自ら

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          ウィキペディアを巡る「想い」の変わりようーー人の「善意」に注目がいく。

          ある事柄に関する認知が変わるには時間が必要で、しかも、要する時間は事柄や人によって異なります。 世界の人々のなかでウイキペディアの信頼性は上がっているのでは?となんとなく最近感じていたので、日経新聞の次の記事を読んだ時、生成AIの出現がウィキペディアに対して相対的に追い風になっている部分もあるのかと思いました。 これを読んで、ウィキペディアが自身の信頼性をどう記載しているのだろうーーと思い検索してみると、「ウィキペディアの信頼性」というタイトルのウィキペディアがありました

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