女神イアンナが羊飼いとの結婚を決意したのは、農夫のパンよりも、チーズに魅力を感じたからだ。
ポール・キンステッド『チーズと文明』第2章 文明のゆりかご チーズと宗教
チーズが文明のコアとして扱われるようなったのは、紀元前3000年あたりのメソポタミア文明であるが、その影響はエジプト、インド、中国にまで及んだ。しかし、チーズそのものが中国やインドにも存在し、殊にインドではヴェーダ聖典に多くの記述があるにもかかわらず、熟成チーズは作られなかった。その何故?は突き詰められない。
だが、少なくても、メソポタミアを中心にどう拡大したのか?については、かなりの程度、その経緯と理由が説明できる。なにせ、チーズは初期において宗教的な神話や儀式に欠かせない要素であったのだ。
紀元前3000年頃、ユーフラテス川近くのウバイドで都市革命(Urukがその一つの都市)がおこった。約2000年に渡って続くシュメール文明のはじまりだ。中央集権的統治のもとで、階層社会が構成された。宗教概念や共同体の儀式、書記言語の革新などがあった。同時に、紀元前4000年から3000年、二次産品革命があり、鋤の発明と相まって、家畜が農作業や輸送の担い手になった。これが農産物産出を飛躍的に伸ばした。都市革命はこの結果だ。
耕地と家畜の移動が促され、羊の飼育、羊毛と織物、ミルクの増産を生んだ。言うまでもないが、羊毛などの余剰が遠隔地との盛んな貿易も導く。そして宗教的イデオロギーとしての神殿が建てられる(それまでは家族や世帯ごとの祭壇)。この神殿が余剰穀物や織物の貯蔵庫にも利用され、産物の監督も兼ねるようになるのだ。
ウルクの神殿の中心にはイアンナがおり、豊穣と性愛、季節と収穫の女神である。穀物蔵の守り神でもある。ウルクの支配層と神官たちの力は、イアンナとの近しい関係に由来する。そこで行われた神話や儀式については、紀元前2300年-2100年ころの楔形文字の粘土板に記録されている。
神話によれば、イナンナが羊飼いと結婚したのは、農夫が捧げるパンや豆類よりも、ミルク、ヨーグルト、バター、チーズの方が魅力的であると、兄の太陽神ウツゥに説得されたからだ。その後、チーズとクリームを女神に捧げると、イアンナからその年の恩恵が約束されることになった。
神殿における羊の乳製品の管理が、羊毛製品の生産管理を付随させ、繊維用の糸の生産のために羊とヤギの品種改良がすすむ。シュメール文明では毛織物が経済を動かすエンジンだったのだ。これに伴い書記言語や会計制度も発達する。シュメール語の食物の章に800語が記載されているが、18-20語はチーズ用語である。
シュメール人の都市生活者の食料は配給制で、そのなかにチーズが含まれていたし、バターと白チーズを使ったケーキが王家の食品リストにあることからも、どの社会層でもチーズに縁があった。ただし、チーズが商人の取引対象になることはなかった。乳製品が傷みやすいからだろう。
尚、イアンナが時と場所を超え、紀元前900年前後のローマの神殿にて受け入れられた愛と豊穣の女神・アフロディーテへ繋がっていくのである。
<わかったこと>
今、メソポタミア文明のあった地域は混乱があり、とても旅に行きづらい。より平和な時代にあっても、そう誰もがいくようなーパリに行くようなー場所ではなかった。しかし、本書に書かれているような歴史と風土、そして食を直接味わいたいと切に思う。
仮に多くの人が、バンコクに出かけるくらいの感じで旅できれば、世界に対する見方は大きく変わるのではないか?我々は人類の大切な文明に接し難いがために、何かバランスの欠けた世界観にはまっているような気がする。
チーズに代表される乳製品が、これだけ世界に多くの影響を与えているのを知ると、西洋料理の食卓にあるチーズに接するだけでは「圧倒的に経験が不足している」と痛感するのだ。