死ぬほど寒い道東でワカサギ釣ってきた【道東-20℃紀行録 #1】
「死ぬほど」という形容詞は、非常に軽率に使われる言葉のように思う。全く死ぬような状況ではないのに、「死ぬほど」という言葉は使われる。かくいう私も「死ぬほど」と言いながら、全然そんなことはなかった。これは、そんな私が、齢19にしてはじめて「死ぬほど」という言葉に相応しい状況に放り込まれた話である。
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札幌に来て分かったことだが、今まで思ってた寒いという感情は、とんでもなく生ぬるいものだった。真冬日は当たり前、外気より冷蔵庫の方が暖かい。何なら、数日暖房をつけていない部屋の気温と冷蔵庫の気温でも、かなり良い勝負をする。
だが、札幌の寒さでさえも生ぬるいと思っている人が、この日本には存在する。
それは、道東の人間だ。
道東とは帯広や釧路、根室、網走といった都市をはじめとする、北海道東部の地域を指す。よくTwitter上で、サイレントヒルと揶揄されている地域のことだ。冬は総じてマイナス二桁の気温を記録する極寒地帯でもある。
道東では冬になると、砕氷船やワカサギ釣りなど、その厳しい寒さを利用した観光が行われる。道東にとって、厳寒は貴重な観光資源なのである。我々札幌1年目の民は、まんまとその策略にのせられた。
「せっかく北海道来たんだし、流氷見てみたくね?」
#死ぬほど寒い道東旅行 1日目
ということで、おはようございます。現在の時刻は2020年2月20日の5時42分、まだ太陽すら昇っていません。始発電車も走ってません。
今回の旅は珍しくひとり旅ではない。私と、同じ文学部に所属する友人5人の計6人で道東へと向かう。我々は、全員眠い目を擦りながらも、何とか札幌駅に集合することが出来た。集合こそがこの旅最大の難関と思われたが、無事に乗り越えることができた。
最初に「道東行きたくね?」と言ったのは私なので、飛行機や宿をはじめとした予約が必要なもの全般は、私が責任を持って予約した。言い出しっぺがこのあたりを的確に済ませると、旅行は大体上手く行くと相場で決まっている。果たして、今回の旅は順調に進むのだろうか?
我々文学部一行は、6時16分発の快速エアポート新千歳空港行に乗車した。この列車が札幌から新千歳空港へ向かう2本目の列車なのだが、この列車でさえ飛行機の搭乗時間寸前という、開幕から時間にかなり追われる旅である。新千歳空港の駅からは気持ち早足でANAの検査場へと向かったが、それでも案の定「女満別空港行にご搭乗のお客様~」とグランドスタッフの方々に急かされ、搭乗口へと向かう。
搭乗する飛行機は小型のジェット機だった。これまでに私が乗った飛行機の中では、最も小さなタイプの飛行機である。真冬という天候の変わりやすい季節で、そもそも飛行機が飛ぶのかどうか天候が心配されたが、千歳はすっきりとした青空で、飛行機は平然と飛び立った。
北海道の雪に包まれた広大な森林を目下に眺める。北海道の東西を分かつ日高山脈を悠々と飛び越えて、飛行機は東へと向かう。離陸して安定姿勢になったと思ったのも束の間、すぐに着陸体勢に入るという旨のアナウンスが入った。
昨年の夏、北見市の留辺蘂へ行ったときは鈍行列車で8時間かけた記憶があるのだが、僅か45分で女満別に到着してしまうとは、まるで魔法のようなスピードである。
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私たちが乗る飛行機は、風に乗ってふわりと女満別空港に着陸した。タラップで小さな機体とターミナルが結ばれる。ターミナルはこじんまりとしているが、羽田行きの定期便も出ており、決して小さいとは言えない規模だ。
ターミナルの外に出た瞬間、ひんやりとした痛みが私の頬を襲う。ターミナルのエントランスにある温度計を見ると、-10℃と表示されている。同時刻の札幌よりも5℃くらい、東京よりも20℃くらい低い気温だ。
レンタカーを借りて、最初の目的地へと向かう。冬季の運転は、常に死と隣り合わせだが、積雪が札幌よりも少なく運転しやすかったのが幸いし、スムーズに運転することが出来た。ただ、写真では乾燥路面のように見えても、実際にはブラックアイスバーンと呼ばれる凍結路面であることがあるので、運転に気を抜いてはいけない。
この旅第一の目的地、網走湖に到着した。湖面は完全に凍結し、ここが水の上だとはとても思えない。
湖には既にテントが立っていた。青空に真っ白の湖が映える。
真っ白な湖への記念すべき一歩目を踏み出す。ただの地面と変わらない安定感で、湖らしさを感じさせない。
ここでするのは冬の名物詩ワカサギ釣りだ。ドリルみたいな奴で丸い穴を開けるアレだ。
穴に釣糸を垂らして手首を動かしながら待つ。結構苦戦するのかと思いきや、開始2-3分で早速1匹目が釣れた。
たまにダブルヒットすることもある。
1人15-20匹くらいが美味しく食べられる量だと言われていたのに、簡単に釣れると調子に乗った僕らは6人で200匹くらい釣った。完全にオーバーしている。
楽しい時間を過ごした後暖かい室内に移動して、釣られたあと氷でしっかり冷やされたワカサギを熱々の油に泳がせる。
塩をかけてワカサギにかぶりつく。魚の臭みも無くてめっちゃ美味しい。何だかんだ釣ったワカサギは全部胃の中に吸いこまれた。
小腹を満たした一行は、次の目的地を目指す。ここからは僕が運転することになったのだが、まさか本免許を取ってから最初の運転が網走になるとは思っていなかった。札幌の教習所に通い、東京で免許を取り、網走で初運転の人間は中々いないだろう。
無事、事故を起こすこともなく網走監獄に到着。事故を万一起こしていたら、別の意味で網走監獄に到着していたかもしれない。
放射状の舎房が特徴的で、脱獄を阻止するための様々な工夫が凝らされている。
それでも脱走に成功した囚人もいたらしい。
網走監獄は明治初期に完成したがその後一度全焼しており、現在公開されている建物は1912(明治45)年に竣工したものだ。
西南戦争を発端として増え続けた国事犯を収容することを当初の目的としており、その後囚人は小さな漁村だった網走を開拓。他都市と網走を結ぶ道路や鉄道、空港に漁港などを整備したのは主に囚人であり、網走は刑務所と奇妙な関係を続けて発展した。
こんな感じで開拓地まで連れていかれたらしい。
こっちはバレたら殺されるパターン。
最近は漫画「ゴールデンカムイ」の人気もあり、網走監獄もその舞台としてちょっと話題になっているらしい。アシリパが可愛い。
網走監獄から網走市街にある道の駅へ向かう。道の駅の裏が港になっていて、そこから砕氷船は出航している。
砕氷船おーろら号は二隻体制で運航している。僕らは念のため予約していたが、当日でも早めに着けば乗船券は購入出来そうだった。
港にもちらほらと氷が浮かんでいる。
出航してしばらくすると一面に流氷が広がった。海は真っ白で水平線が曖昧になるほどだったが、これでも例年より流氷は少なく薄いらしい。
砕氷船は船自身の重さで氷を砕きながら進む。
進んだ軌跡は黒に近い海の色となって現れるが、これもすぐに氷で覆われてしまう。
予想しているよりも大迫力なので、寒さに耐えて流氷を間近に見てほしい。冬ならではの光景に時間は一瞬で過ぎていた。
列車の時間まで少し余裕があるので、絶景の駅として有名な北浜駅まで車を走らせる。
駅舎は木造で、駅前のポストがノスタルジックな雰囲気を醸している。内部には訪問の証として所狭しと名刺が貼ってあった。
旧駅事務室は喫茶店になっており、店内からもオホーツク海を眺めることが出来そうだった。
ホームからオホーツク海までは約20m、北海道屈指の海近駅である。線路は当たり前だが単線、やってくる列車は1-2両、ディーゼル車なので架線もない。
駅舎横に簡素な展望台(駅名標裏の階段)があり、そこからはホームとオホーツク海に広がる流氷を一度に眺めることが出来た。
16:17に網走駅を発つ列車に乗らないと宿泊地に着けないため、北浜駅を早々と去り網走市街へ戻る。知床地区にはレンタカーの店舗が無いため、ここでレンタカーを返却し公共交通機関での移動にシフトする。
網走駅は大正時代の様なモダンを感じた。柱から垂れる丸い時計や隙間から漏れる夕日がそう思わせたのかもしれない。
乗った列車は釧路行きの普通列車。2両編成で、知床斜里駅からは後ろ1両を切り離して1両で運行するらしい。
スチームパンクのような運転席が現役で動いているのが凄い。(画像がどうしても横になってしまうのはなんでだろう)
列車は途中で学校帰りの高校生を乗せて進む。途中の浜小清水駅で対向列車との行き違いがあり、その列車が遅れたため15分ほど遅れて知床斜里駅には到着した。
知床斜里駅から今日と明日にかけて宿泊するウトロ(宇登呂)地区まではバスで移動する。
バスには僕ら以外の乗客はいなかった。
国道334号線を北上し続けて1時間、バスは最寄りのバス停に到着した。途中街灯は一切なく車体から伸びるハイビームのみが頼りで、対向車の明かりに安心感を持っていた。
僕らが2泊するホテルはウトロ地区のはずれにあり、チェックインをして荷物を置いた後、近くの飲食店へ向かう。
が、
まさかの臨時休業だった。
旅にはこういうハプニングが付き物だが、人口の少ない地区で20:00に営業している飲食店を新たに探すのはそこそこ難易度が高い。
なんとか営業している焼肉屋を見つけ、山の上まで歩いて向かう。十分に疲れたあとの焼肉は至福の味だった。
帰りはホテルの方に送って頂き、長く濃い一日目は幕を閉じたのだった。
しかしこの旅はまだ始まったばかり、想像以上の体験が翌日も待っていた...
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▽翌日
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