月刊読んだ本【2024.01】
恥辱
晩年の子供
山田詠美 (講談社文庫)
才能しかない。もはや怖い。
収録されている短編のほとんどが、子供時代のことを描いている。子供の時のあの感覚を。どの感覚? そんなもの忘れてしまった。でも読めばそんな感覚を持っていた気がするんだ。それはきっと、子供には子供の社会があって、それは小さなコミュニティで、そこしか世界を知らないからそんな気がするのだ。犬に噛まれて狂犬病になると絶望する少女は、飼い犬は大丈夫だと母親に言われるまで知らなかった。新しく知ったのは狂犬病という病気だけで、ワクチンのことは知らなかった。新しく物を知って少し世界が開けたけれど、大人はもっと多くのことを知っているのだ。子供にはそれがわからない。自分の知ったことが世界の全てだと思ってしまう。その外の世界の存在に気づけない。
なによりすごいのは文章が平易であって、セリフや感情がとても自然に感じることである。このキャラクタはこういうことを言いそうと納得がいく。例えば148ページにこんなセリフがある。
「お母さん、めぐみ、妹、欲しかったんだよ」
これで伝わる日本語すごいなと感心した。前後の文脈がないとわかりにくいが、「めぐみ」が主語でお母さんに呼びかけているシーンだ。丁寧に書くと、「ねぇお母さん、めぐみは、妹が、欲しかったんだよ」となる。でもあえて話し言葉で、助詞を抜いて書いている。僕はこんな文章は書けないと思った。文脈で意味がわかるけれど、わからないかもしれないと躊躇してしまう。実際には作者的には考えて書いているのだろうけれど、すっと自然にこう言うでしょと躊躇なく書いているように感じる。そして、このセリフの方がこの年代の少女には自然な言い回しだと感じてしまうので読んでいて違和感がない。とにかく自然なのだ。奇を衒った行動や発言は絶対しない。流れのままに、右を向いたら右にあるものが見えるように、そこにその文章があるのが当たり前に存在している。そういう文章だと思った。作者はただそれを書き取っているだけ。
そんなことを思った。
荒木飛呂彦の漫画術
荒木飛呂彦 (集英社新書)
やはり漫画家はすごい。
何気なく読んでいる漫画も緻密に計算されて書かれている。もちろんいちいち計算しているのではなく、もはや感覚の部分もあるだろうけれど。人間の関節はこうなっているからと考えて絵を描いている話が感動する。そんな事考えたことないものな。
そして一番の衝撃は、最近(この本の出版当時)はサインペンで描いているということだ。
漫画だからこそ言えることもあるだろうけれど、小説を書いたりここに文章を書くことにも参考になる部分がある。これからもジョジョを読むという黄金の意思が僕にはある。
黒い時計の旅
スティーヴ・エリクソン/柴田元幸 訳 (白水Uブックス)
改行を全然しないで見開き全部文字だらけのページとかもあって読むのが少し疲れた。面白かったけど。
もうひとつの20世紀。お前の20世紀。「お前」って度々出てくるから誰のことだよと思ってしまう。その「お前」はバニング・ジェーンライトが書いている物語のヒロインで、依頼人が求める運命の女なのだろう。おそらく。でも最初なんのことかわからない。お前なんてどこにも存在していない。もうひとつの20世紀、あるいはその隣りの20世紀に存在しているのだろう。我々が今いるのはどの21世紀だろうか。お前にも見えるだろうか。
視点人物が変わって、現実と虚構を行き来して、そこで生まれたものがまたこの世界あるいはもう一つの世界に顔を出して、いや出さないで、そうやってぐちゃぐちゃに混ぜ合わさって、それが歴史だと言えない保証はない。僕はこっちの21世紀にいるから向こうの21世紀を覗くことはできないし、向こうの20世紀を知らない。読書という行為だけがそれを可能にする。読書こそが黒い時計の旅なのかもしれない。僕は読者だと錯覚しているだけで、書かれていて読まれているのはこちらかもしれない。主人公は「20世紀」かもしれない。
そんな20世紀小説。
そういえば、円城塔が荒木飛呂彦との対談? で、この本を紹介していたから僕は興味を持ったのだった。
マネーロード
二郎遊真 (講談社)
第39回メフィスト賞受賞作。
正直、メフィスト賞受賞作の中ではあまり期待していなかった。あまり話題にならないし。でも超面白かった。名作だった。
お金の話で難しそうというイメージを覆す青春小説だった。浦賀和宏が好きな人は好きな作風かもしれない。純粋にエンタメ小説として面白い。主人公の過去をもっと深く描いてもいいと思ったけど、そうじゃないから読みやすいのかもしれない。もっとミステリ仕立てにして主人公の正体は実は……という展開でもいいように思うけれど、そうしてしまうとその部分にばかり注目してしまうかもしれない。それはいいことだろうか悪いことだろうか。その結果として、金に対する執着が幻覚として見えるという主人公のキャラクタが薄まってしまうか、より深く描くことができるか、なんて考えてしまう。メフィスト賞は広義のエンタメ作品ならなんでもOKというスタンスのはずなのに、ミステリの賞で文三はそういう部署のイメージがあるからそんな風に考えてしまうのだろう。だからこそ単行本での出版だったのかもしれない。
とにかく面白かったしもっと注目されていい作品だと思った。
サロメ
ワイルド 作/福田恆存 訳 (岩波文庫)
新約聖書で有名なサロメの話をオスカー・ワイルドが戯曲化したもの。
同じセリフや、やり取りが何度も繰り返されたり、いきなり長文になったり、単純に構成の面白さがあった。旧仮名づかいだけどそんなに気にはならない。むしろ雰囲気あって良い。こういう戯曲形式のものは読みにくいと思っていたけど、そんなのは最初だけだった。すぐに慣れてスイスイ読めた。はまりそう。
幼年期の終り
アーサー・C・クラーク/福島正実 訳 (ハヤカワ文庫)
今年も毎月翻訳SFを読もう、が始まりました。新年の幕開けを飾るにふさわしい名作だった。作者もタイトルも知っているけれど、どんな内容かはまったく知らなかった。そういう作品がまだまだあるので今年も読みますSF。
宇宙人が地球にやってきて支配を始めて、ディストピア小説かなと思いながら読み始めた。でもどうやら違うことに気づく。彼らは友好的だが秘密を隠している。姿も表さないし、目的も明かさない。地球人の科学を超えた圧倒的力によって支配して、むしろ人類は良い方向へ向かっていく。そんなパターンあるんだと驚いた。そして地球外生命体を考える時、地球に他の星の生物がやってこないのは、地球人類が宇宙で一番進んだ文明だからという可能性もあるのかもしれないと思う。もっと文明の進んだ星があると思いたい気持ちはわかる。だからこそフィクションで描くのだ。
70年前にこれが書かれているというのがなにより驚きである。と同時に、この時代だからこそ描き得たのかもしれないとも思う。技術が進歩してあらゆることが(少なくとも1950年代より)実現可能になった現在では、ここまでの想像力を持つのは難しいのではないか。現代にアーサー・C・クラークが生きていたらどんな物語を描いただろうか。もっと違う人類の進化を描いただろうか。これが想像力というものだろうか。SFは脳の特定の部分をこうして刺激して僕を読書に駆り立てるのだ。
ディレイ・エフェクト
宮内悠介 (文藝春秋)
なぜディレイ・エフェクトが起こっているのかを解明しないのが良い。その中で家族の絆に気付かされる話で、人は秘密を抱えている話。言いたいこと言えないこと言いそびれたことがあるよね。そういうのって難しいんだ。戦時中の東京が現在の東京に重なり合って見えるのは街が見ている夢のようだった。
2作目は、かつてロックバンドだったのは夢の世界のように儚いという話かもしれない。一時の狂騒、死んだメンバー、その理由。そういうものから目を背けていたけれど、また向き合った話。そんな事ができるか? 僕は過去から目を背けたい人間なので、理由を知りたくても、知る権利はない知ってはいけないと自分に言い聞かせて逃げるだろう。そういう現在も、やがて過去にしてしまえるだろうか。
3作目が一番好きかな。みんな自分勝手に神社に来て願う。その神社視点なのが面白い。こういうのは短編小説ならではの醍醐味だと思う。どうしようもないやつらのアホみたいな話の中にちょっとトリックを織り交ぜて、愉快だった。わざとアホみたいな話を書くのは難しいと思うし、そういうのも書けるのが宮内悠介のいいところなのだ。
川端康成初恋小説集
川端康成 (新潮文庫)
平成26年に発見された手紙をきっかけにまとめられた作品集。
前半は、婚約者だった人とその失恋を描いた作品たちが並ぶ。ほとんど同じ内容の小説が何篇もある。それだけその失恋が衝撃だったのだろう。しかも実際にあった出来事を書いているようなので、相手が見たらそれとわかってしまう。しかも受け取った手紙もほぼそのままの内容で小説中に登場する。プライバシー的な問題で大丈夫なの? と思ってしまう。
後半は、その初恋のできごとを題材にしたと思われる作品たちが並ぶ。何人もの「千代」という名の人に翻弄されるホラー風味の「ちよ」という作品がよかった。
ちょうど岐阜に行った際に読んだ。岐阜が舞台の作品が多くて驚いた。なにか惹かれるものを読む前から感じ取っていたのだろうか。岐阜に行くならこの本を持っていこうと思うきっかけなんてなにもなかったはずなのに。しかし行ったのは岐阜県と行っても飛騨の方で、美濃ではない(作品は美濃が舞台)のである。岐阜駅周辺は以前一瞬だけ行ったことがあったけど一瞬しかいなかったから本格的に訪れてみたいと思った。岐阜城と長良川と鵜飼と。川端康成もこの景色を見たのだと思いを馳せながら訪れよう。
そんなに川端康成の小説は読んだことはなかったけれど、読みやすいし文章が純粋に好き。もっと読みたい作家だと思った。
ひとこと
もっとじょうずに感想を書けるようになりたい。