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生産性のある議論がしたい
前々回のRadiotalk「延チケ全ベットLive」から、
生産性のある議論についてピックアップ!!
ネット社会の弊害について
1つの答えを持っている人が正しい
この世界を崇高に説明している人が正しい
1つの物事に対して1つの答えを持つ人が崇められている現代では
絶対的にこれが真実なんだ
それだけを求めて
それ以外を排除しようとする
そこから生まれる生産性は何もない
四角形には6つの側面があるのに1面だけを求めているのが現代
それは二次元の話である
我々は三次元+時間軸の四次元を生きている
これは何を意味するかというと
色んな側面があるということだ
●お金がないのに頑張ってVUITTONを買う人
●お金持ちの家に生まれて毎日VUITTONを買う人
表面だけ見ると同じVUITTONを持つ人
であるが、その背景を見ると色んな側面があることに気づく。
バイトする理由も多様性に溢れている。
そのくせ、ネット社会を見るとどうだろうか?
「1つの物事に対して、1つの答えを崇高に説明できる人がすごい」
この風潮がまさに平面の考え方を助長している
つまり生産性のない議論を生み出している=何も生み出していない不毛な時間を生み出している
(↑これはたかしくん言ってないw)
物事はもっと奥深く、奥行きがたくさんある
なぜそうなったかという因果関係があるから三次元となる
面しか見ていないと因果関係が何も見えない
つまり生産性がないという事になる
本質側で議論するか、現象側で議論するか
結論、
起きた物事に対して、現象側で議論していても何の生産性もないということだ。
【現象側で議論している人たち】=表面上だけを捉える
ひまわりの種を植えてバラを咲かせたいのに咲いた花を見て
「バラじゃないからダメ」と毎回茎をチョキンと切って
またバラが咲くのを見て「バラじゃないからダメだ」とまた茎を切る
⬇️
相手の言うことの揚げ足をとって議論っぽく見せてるだけで、問題点にすら到達していない議論となる
【本質側で議論している人たち】=背景まで捉える
ひまわりの種を植えてバラが咲いてしまったことに対して
どこに原因があったのか探し、ひまわりを一旦捨てて、
土を掘り起こして種を見つけて、それがどうなっているのか見て、
これはひまわりの種だったからバラに植え替えようという新しい答えが見つかる
⬇️
表面上の出来事に対して、多角的に奥行きを持って捉え原因を追求し問題点と改善案を出す議論
現代の日本は現象でしか議論されていない
咲いた花に対してずっと「この花は違う」と言い続けていても、
何も変わらない
そうではなく、【本質】で話し合うべき
例えば、体罰でいうと「愛を伝える」が本質である
これを物事の表面だけ捉えると
「体罰」と「暴力」の違いや、体罰がいい悪いについてずっと延々に繰り返される議論がなされる=全く生産性がない
これを物事の背景まで捉えると
なぜそうなったのかという理由について議論される=生産性がある
理由があるから答えが変わるのだ
理由が変われば行動も変わるのだ
まずは理由が大事なのだ
この理由について言及できる議論の場が増えるといいなと思います
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