「日の名残り」哀愁のロンドンへ
夢の中で自分が誰かと供に「THE SMITHS」のPanicを軽快に口ずさんでいる場面で目覚めた。ロンドン出張前に、カール・グスタフ・ユングの説く無意識や深層心理の現れか、歌ってる夢なんて初めてかも。モリッシーとジョニーマーは、1986年チェルノブイリ原発事故の直後に、DJが流した軽薄なポップスに憤慨し「ディスコを燃やしてDJを絞首刑に」と叫ぶ過激な歌詞を綴った。くだらないヒットチャートを愛でる業界に物議を巻き起こした名曲が、イギリス渡航を激励する。戦争のロシア上空を避けて、アラスカからグリーンランドへ北極圏を縦断する迂回航路。眠れない機内の窓から、オーロラが見えたらいいな~と妄想したら、代わりに暗夜の満月が煌々と輝いていた。
Panicの挑発的なヘビーサウンドとは裏腹に、僕はこの長い夏、イギリスの作家カズオ・イシグロ氏の「The Remains of the Day (日の名残り)」(※)を読んでいた。老境のベテラン執事が、沈みゆく夕日に虚ろな心残りを滲ませる。拙い洋書遍歴の中で、この静かな小説は難度が高く、若い頃に読んでもピンとこないであろう円熟した文体が特徴。洋書はいつも、序盤の読み込みが遅く、徐々に面白味をつかみ、ほどよい勢い(Momentum)が付いてくる。しかし、今回は鈍いペースをいつまでも脱することができず、最終コーナーに入りやっとエンジンが掛かった。老執事の語る奥ゆかしい回想談にウィットなジョークもあり、構文解釈に行き詰まって何度も立ち止まる。ひとえに読解力の乏しさだが「日の名残り」は、しとやかな情感が隠れた宝石みたいに散りばめられ、かみしめるほどに香り豊か。読みこぼしを補うべく、秋の訪れとともに、土屋正雄先生の絶妙な名翻訳と照らし合わせて再読を始めたら、ロンドン出張が持ち上がった。
「The Smith」をバックボーンとする私が、真逆ともいえる「日の名残り」をふと手にしたのは、題名に何か惹かれてのように思う。初老の主人公スティーブンスは、英国執事(Butler)の最上の品格(Dignity)を追求するあまり、私生活を一切投げうって職務に捧げたが、生き様を顧みてうっすら涙する。特に女中頭ミス・ケントンと互いの淡い恋心を自ら封印してしまった後悔の終着点、長い時を経た二人の再会シーンは、まるで絵画の様にお見事。御屋敷の主人で政界の名士ダーリントン卿への過度な心服だけではなく、一流の仕事に固執した純真な方だったのです。これほどまでに献身な人物はフィクションならではかもしれないが、「いい仕事をしましたね」と評されるのは、職業人の美徳であることに間違いない。芸術家の丹精込めた創作のように、きれいにひと仕事を仕上げた後は、清らかな境地に満たされていく。微力ながら海外出張はそうありたいと意識したせいか、年甲斐もなく少し緊張していた。
宿を取ったのは、お気に入りのMarylebone(メリルボーン)街区周辺。瀟洒なブティックショップや、ブラウンストーンの邸宅が並ぶ洗練した佇まいで、うっとりするばかり。久しぶりのロンドンで、市内のイメージはすっかり忘れていたが、思い出すと意外と早いものです。学生時代に憧れて初めて旅した夏休み、銀座クラブマスターの知人が経営するTottenham Court Road(トテナムコートロード)の日本料理屋でしばらくバイトさせてもらった。文字通りには不法労働だけれど、ランチとディナーの間の休み時間、歩いて数分の大英博物館通いが懐かしい。その店は、卒業後に数年で閉店となったのをだいぶ昔に確認していたが、オーロラのように消え去っていた追憶の路地裏を再び辿ってみる。もはや、お世話になり泊めてもらったオーナーも他界してる歳月を思うと、うら寂しい気持。リージェントパークやハイドパークの樹木も紅葉が色づいて、落ち葉が雨に濡れている。日の名残りの気配が迫り、もしかして僕も何か大切なものを見落として、生きているのかもしれない。夕景が一番いい時間(The evening is the best part of the day)であるよう、小説の名セリフに想いを馳せ、中秋のテムズ川沿いを歩き続けていた。
※日の名残り (カズオイシグロ)
1989年ブッカー賞
1993年映画化
監督: James Ivory、主演: Anthony Hopkins、Emma Thompson2017年ノーベル文学賞