「気になる“夢”しゃべり場」第一回参加報告(夢の学び31)
一昨日、「夢学」のわが師である大高ゆうこ氏が、「気になる“夢”しゃべり場」の第一回を開催しました。私もパートナーとともに参加。
あまり大々的に宣伝しなかったせいか、あるいは「夢」の重要性に対する世間の認識がまだまだ低いせいか、結局集まったのは少数の「内輪」だけでしたが、逆に深い話になりました。
ちなみに、第二回が11月8日に開催されますので、ぜひご注目ください。
さて、第一回の参加者でいちばん印象的だったのは、現在、師に密着して、ある意味「ドリームワーク三昧」の日々を送っていらっしゃる50代女性です。仮に「Aさん」としておきます。
Aさんは、最初は毎月4回(一回当たり一時間半~2時間)ぐらいのペースで、今でも月3回のペースで、すでに一年半もリモートによるドリームワークを続けているそうです。緊急の場合は、師とメッセージのやりとりで助言を仰いでもいる、とのこと。師も覚悟を決め、Aさん専用のプログラムを組んで対応しているそうです。いわば、オーダーメイドの個人向け講座ということです。
Aさんはなぜ、それほどまでに「ドリームワーク」にハマったのでしょう?
まず第一に、Aさんは何と40年前から繰り返し繰り返し同じ悪夢をみ続けてきた、というのです。
第二に、20年ほど前、「鬱病」を患っていた、ということもあるそうです。
第三に、Aさんはすでに心理学畑の専門職に就いていて、様々な講座やセミナーなどで心理学の勉強も続けてきたし、心理学のある「学派」と呼べる団体にも所属している、という経緯があるのですが、いまひとつピンとくる内容のものに出会えずにいた、ということがあります。
そうした折、一年半ほど前に師のドリームワークと出会い、さっそく繰り返しみていたその悪夢をワークしたところ、たちどころにその夢の意味が解読でき、それをきっかけに「ドリームワーク三昧」の日々が始まった、ということです。
その一年半の「三昧」の結果、どうなったかというと、これもAさん独特の表現で面白いのですが、まずドリームワークによって、「自分の叶えたい現実の夢が叶った」かというと、そうではなく、それまでは想いもよらなかったものが現実化した、というのです。それはつまり、意識の表層で願ってきた願望と、無意識の深層で抱いてきた願望とが食い違っていて、現実化したのは、むしろ意識していなかった無意識の願望の方だった、ということです。もちろん、こちらが正解です。というか、表層部分での願望は叶わないようにできているのです。この「仕組み」を知っている人は少ないようです。
Aさんは、このことにまず愕然とします。なぜなら、無意識の願望は、意識のうえでは、むしろ避けてきたことだったからです。ところが、自分の(寝てみる方の)夢をドリームワークしていくと、自分が表層意識では避け続けてきたそのことを、「真っ先に手掛けなさい」というメッセージが自分の無意識から来ていたのです。その結果、Aさんは自分が長年避け続けてきたことに着手します。すると、あれよあれよという間に現実の状況が動き出し、それ以来とんとん拍子に事が運び、Aさんは思いもよらなかった自己実現を果たします。
ここで重要な点がもうひとつあります。Aさんが実現したことは、Aさんの暮らす地域のニーズをきちんと満たすものだった、ということです。Aさんの自分勝手なエゴによる願望だったら、当然実現はしなかった、ということです。無意識はそのこともちゃんと知っているので、当然自分勝手なエゴによる願望を抱かせるようなことはしません。むしろそれを阻止する方向に働くでしょう。Aさんが同じ悪夢をみ続けていた理由もそこにあります。なぜなら、無意識は、その人が何のために、この時代、この国に生まれ、今この地域に暮らしているのか、その隠された目的までちゃんと分かっているからです。
さて、こうした「流れ」の中で、Aさんにどんな変化が訪れたかというと、まずあれだけ繰り返しみ続けていた悪夢は、最初のドリームワークでその意味を読み解いて以来、パタッとみなくなった、というのです。Aさんが、(夢という)無意識からのメッセージをしっかり受け取ったため、「夢の源」は、それ以上同じ夢を作り出す必要がなくなった、ということです。
当然、それ以来Aさんがみている夢は、次にこなすべき課題の数々です。そうして、「ひとつの課題をこなせば、また夢が次の課題を出してくる。永遠にその繰り返し」ということを、Aさんもご自分でおっしゃっていました。これも、Aさんがドリームワークを続けている大きな理由のひとつでもあるでしょう。
では、人はいったんドリームワークをやり始めたら、一生続けなければならないのでしょうか。つまり生涯ドリームワーカーの世話にならないと自己実現できない、ということでしょうか。
この疑問を言い換えると、「だいたい人は、何回ぐらいドリームワークを受ければ、自分でワークできるようになるか」という問いになるかもしれません。
もちろん、これには個人差があります。
このことは師匠がビシッとおっしゃっていたことでもあるのですが、いちばん危険なことは、本人が生半可なノウハウで、主観やエゴや日常的な観点(思い込み、思い癖など)で自分の夢の意味を判断してしまう、ということです。せっかく夢が意識ではないものの見方を提示してくれているのに、それを意識の領域の基準で判断してしまうことのもったいなさ、ということです。
ましてや、人から夢の話を聞いて、勝手にその意味を判断してアドバイスする、といったこともさらに危険なことです。これは、私たちドリームワーカーにとっても、自らを戒めなければならない点でしょう。
別の見方をするなら、自分の夢を自分で客観的にワークできるようになったかならないかが、エゴや思い込みを超えたかどうかの、ひとつのバロメーターになり得る、ということでもあるでしょう。
さて、もうひとつAさんに訪れた変化があります。ドリームワークの奥深さを知ってしまって以来、あれだけ続けてきた心理学的な学びや「学派」での活動が、「表層的」だと感じるようになり、今はこうした活動からは距離を置いているそうです。
ここにご紹介したような、Aさんの身に起こったことは、ドリームワークを経験した人に、多かれ少なかれ、共通して起こることでもあります。
もっと極端な例で言うと、師匠のところには、(ごくたまに、ではあるでしょうが)医者やカウンセラーから「マインドレイプ」を受けて、かえって症状が悪化してしまった、というクライアントも(ドリームワークを最後のよりどころとして)訪れる、というのです。
どんな専門家のどんな考えも、ひとつの考えにすぎません。その考えが腑に落ちる人もいれば、落ちない人もいるでしょう。しかし、いったん人が、ドリームワークというかたちで自分の無意識を偏見や先入観抜きでダイレクトに覗き込んだら、誰しもがまずその「奥深さ」に驚くのです。
さらに夢の学びが進むにつれ、次なる「驚き」が待っています。その驚きは、それだけの「奥深さ」がある無意識を通して、自分と他人がつながっている(シンクロやシナジーが起きる)、という実感を抱いたときに訪れます。また、さらにその先もあるのですが・・・。
つまり、「夢の学び」というのも、そのように段階を踏んで「進化」するものである、ということです。
この「進化」はどこまでいくのか?
もちろん「宇宙」とつながるところまでいきます。
宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』の「序論」において、次のように謳っています。