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『死にがいを求めて生きているの』|読書感想文

朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』を読んだので感想を書きます。タイトルから「死にがい」って何だろう?と思わされたので、選んでみました。

あらすじ

誰とも比べなくていい。
そう囁かれたはずの世界はこんなにも苦しい――
「お前は、価値のある人間なの?」
朝井リョウが放つ、〝平成〟を生きる若者たちが背負った自滅と祈りの物語

植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。
二人の間に横たわる〝歪な真実〟とは?
毎日の繰り返しにあぐんだ看護師、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。

交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、 目隠しをされた〝平成〟という時代の闇が露わになる。今を生きる人すべてが向き合わざるを得ない、自滅と祈りの物語。

Amazonの紹介分より引用

四日間の塊

看護師の白井友里子さんは、「四日間の塊を渡り歩く」、つまり同じような四日間を繰り返す生活を送っています。「高校生の時、時間割が工場のベルトコンベアに見えた」とか、「今日と変わらないどこかへ自動的に運ばれる」といった表現が印象的だったし、なるほどなあ…と思いました。彼女には、患者の生死にも冷たくいられる才能があり、あまり心が動かないその繰り返しの日々から脱却したい気持ちがあるようでした。

私はいつも自動的に運ばれていたい人です。その理由は何も考えずに楽をしたいからです。学校に毎日行けば、自動的に卒業という終わりを迎えられるから、しがみつくように休むことなく通っていたんだと思います。繰り返しのような日々であっても、日付は違うし、電車に乗っている人は毎日違うし、毎回の授業内容は全然違うし、その日の自分の有り様も違います。

接客の仕事をしていたときも、常連のお客さんはもちろんいましたが、おそらくは一期一会の出会いだったであろうお客さんも多くいました。繰り返しの日々の中で生きていると、退屈になって生きる意味を考えてしまうこともあるかもしれないけど、私は自動的な流れに身を任せて生きるのは、楽な選択でもあると思っています。私からすると、その楽な選択はそこまで悪くないです。

転校生が馴染んでいく過程

北海道の小学校に転校した前田一洋かずひろさんの話は、心温まるシーンが多かったです。自分が新しい環境に馴染んでいく実感を得たところで、「クッキーを食べてパサパサになってしまった口に牛乳を含んだときのような感覚」と表現されていました。的確でユニークな表現だなと思いました。

転校した経験が何度かあり、いろいろと新しい環境へと適応するための手取りを熟知しているようでしたが、やはり最初は緊張感を拭いきれない様子でした。どんなときに学校や住む場所が変わったと実感できるのかが、詳細に語られていました。私は転校経験はありませんが、一洋さんのリアルな体験の話を読んで、それを追体験できたような気分になれました。転校生はとても大変だ…と思いました。

手段と目的が逆転している

安藤与志樹よしきさんは、自分の存在感を見失っていた中学生時代にビブリオバトル(一定時間内に本のプレゼンをする)に熱意を注ぎ、体育館のステージで表彰されました。「最優秀グランプリ受賞」という肩書によって、彼は“目立つ存在の男子”であり続けることができました。高校生になってからも存在感を求めて、彼は同級生にビブリオバトルを挑みますが、「妖怪唾吐き」と影で呼ばれるようになります。

彼は過去の栄光にすがって、今をちゃんと生きれていない人だと思いました。中学生時代の彼は、グランプリを狙うために意図性を持って本を選び、先生に評価されるような内容を考えて、早口のプレゼンを披露しました。グランプリを取る目的を果たすための手段がビブリオバトルであったのに、いつしかお得意のビブリオバトルを同級生に披露し続けることが目的であるみたいに変わっていました。

手段と目的が逆転していたことは私もあったので、共感したし、とても響きました。自分の中のものを更新できずに変わらないのは、「幼い」と言い換えられるそうです。痛いところをついてくるなあ…って思いました。

正しさを突きつけられる

ホームレスを支援するNPO団体で活動している波多野めぐみさんの言葉に、とても共感しました。「幸せそうな人のデート姿や小さい子供が遊んでいる姿を見ると、自分が責められている気がした。赤ちゃんを抱いている人の姿を見ると、わざわざ赤ちゃんを高く掲げて、生き物としての正しさを私に見せつけてきているような気がしてた。」

私には、誰かと幸せになって、結婚して子供を産むという未来がありません。死や自殺についてよく考えているので、生き生きとしている人を見ると、自分が正しい生き物じゃないと突きつけられているような気分によくなります。また、私が生きる前提でこれからの就職の話を勝手に進められているときには、強烈な違和感と抵抗感を抱きます。死ぬ前提で生きる私のことをみんなはどう思うんだろう…と時々考えるんです。人はいつ死ぬかわからないのに、どうして私が生きることを勝手に決めつけられて、就職に口出しをされ続けるのかなあ…と不満に思っています。

手っ取り早く死んでしまえば、周りの人の期待を裏切って、その人たちの顔に泥を塗りたくることができるし、私は楽になれます。それは、一石二鳥ではないかなと私は思うんです。私には、死んだ方がいいと思える理由がたくさんあると気づかされました。

雄介の凶暴な幼さ

智也さんと仲良しの雄介さんは、リーダー気質で、勉強ができて、運動神経が良くて、勝負ごとに熱くなるという性格の持ち主でしたが、なんか怖いな…と私も他の登場人物と同じように思いました。やたら順位付けを求めたり、立ち向かうべき相手を設定したりし続ける姿勢が、自分から対立を求めている感じがしました。自分がやっていることを大っぴらに見せびらかしている割には、中身はおままごとに過ぎない…というのがひしひしと伝わってきて、見ているこっちがちょっと呆れてしまう要素がありました。

そうやって自ら対立を求める雄介さんの習性は、多かれ少なかれみんな持っているのかもしれないけど、それが人を傷つける悪い方向に行ったときの危険性は凄まじいだろうな…と恐怖を感じました。最初は好印象だったけど、だんだん印象が悪くなっていきました…。彼は自分のことばかり考えていて幼い、そして凶暴だ…と思いました。

死にがいと生きがい

「死にがい」は、死ぬまでの時間を生きてていいものにするために、自分へ与える役割のことを指しているのかなと読み取りました。生命としての時間と引き換えにできるくらい、死ぬほど価値を感じられるようなものを「死にがい」と言うのではないかなと私は思いました。一方で、「生きがい」は、「○○するために生きる」「これ・この人のためなら生きられる」という感じで自分が生きるための拠り所となるものなのかなと考えました。「死にがい」と「生きがい」は、似ているようでちゃんとニュアンスが違うものだとわかりました。

執拗に「生きがい」を求め続ける雄介さんは、いささか常軌を逸していると思いました。無関係な対立構造に飛び込んで何かに命を注ぐことは、果たして「生きがい」になるのかな…と思いました。人生に価値を付与してほしい、生きる意味や生きがいを求めているという登場人物が多く現れましたが、なんか気持ち悪いかも…と思いました。

私だって同じようなことを考えているのに、いざそういう人たちを俯瞰してみると、嫌悪感がすごかったです。なんで私は生きてるんだろう?、何のために私は生きてるんだろう?と考えてみましたが、私の内なるエネルギーが注がれている対象はよくわかりませんでした。生きているというよりは、死んでないだけというのが今の私の状態だからかもしれません。私は自分が、雄介さんがいう「生きがいがない人。自分自身のための生命維持装置としてのみ、存在する人」に当てはまると思いました。

対立からは逃げられない

雄介さんや父親に気持ち悪さや不気味さを感じながらも、対立する者には、対立に至る背景があると理解し、対話を試みようとしている智也さんに感心しました。対立を受け入れている姿勢からは、智也さんの強さや寛容な心が感じ取れました。対立する者は遠ざけようもないし、逃げようもないというのは残酷で苦しい事実だと思いましたが、諦めずに言葉を搔き集め続ける智也さんはとても立派で尊敬したいな…と思えました。私は智也さんが一番好きでした。



『帝国のルール』という漫画や『海山伝説』という都市伝説の要素が話に組み込まれていて、面白かったです。でも、口を開けば「山族」「海族」と自分の研究に結びつけようとする、智也さんのお父さんは不気味でした。そんなに種族を分断しないと気が済まないのはなぜ?、自分が正しいと思い込みたいからなの?と思いました。最後に明かされた智也さんと雄介さんの間のつながりの正体には、とても驚かされました。『正欲』と同様に、自分に刺さる内容ばかりで読んでいてなんか苦しくなりましたが、朝井リョウさんの本を他にも読んでみたくなりました。

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