見出し画像

『ドグラ・マグラ』|読書感想文

夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んだので感想を書きます。これは日本文学史に残る三大奇書の一つ、幻魔怪奇探偵小説として知られています。構想に10年、執筆に10年、という20年にかけて制作された超大作らしいです。

あらすじ

見知らぬコンクリートの一室に目覚めたわたしは、自分が誰でなぜここにいるのか分からない。そこに現れた若林という法医学者の説明によれば、ここは九州帝国大学の医学部精神病科の病棟で、今は大正15年11月20日。ひと月前に自殺した正木博士なる奇人天才型の精神医学者が、わたしが生まれたときからわたしをある実験台にしているのだという。

わたしは、隣室にいるわたしの従妹にして婚約者だという美少女と会わされるが(その娘を半年前の式の前日にわたしは絞殺したのだという)、それでも何も思い出せない。正木博士の遺志を継いでいると自ら語る若林教授は、わたしが何者か思い出させるためだといって、正木博士の部屋で、正木博士の残した文書をわたしに読ませる。…

Wikipediaより引用

青年は誰か?

主人公の青年は、16歳の時に謎の狂気に駆られて、実の母親を絞殺したことがある人物です。そして、20歳の今は、半年前に許嫁の17歳の従妹を絞殺したことで、精神病院にいます。彼は、夢遊病や離魂病であると考えられていました。しかし、従妹は仮死状態から回復したようで青年と同じ精神病院におり、意識はありますが、幻魔に取りつかれているような状態でした。見知らぬ部屋で目覚めたやいなや、隣の部屋から「お兄さま、お兄さま、お兄さま…、あたしです、あたしです」と自分を呼ぶ声がする、すすり泣きが聞こえる、という何とも奇妙で衝撃的な展開でした。

青年を狂気に至らしめ、精神病院送りにした怪人物がいるのか、怪事件の犯人は誰もいないのか、という謎がこの物語のカギになっていた感じでしたが、真相はわからずじまいで終わっていました。ある種の狂気にとりつかれたように脳研究をする若林博士と正木博士に挟まれて、研究材料にされ、翻弄されている青年には、同情しました。自分がしたことの記憶がないって、それはそれでどうしようもないことだと思うんですよね。そんな中で、自分が過去に犯した所業を知っていくのは、苦しいだろうな…と思いました。夢と現実を同時に見ている主人公は、まるで迷宮入りしたかのような気分ではなかっただろうか…と思いました。この青年は、一体誰なんだろうか…という疑問も残った感じがしました。

「キチガイ地獄外道祭文」

主人公の青年が最初に読んでいたこの文書が、怪文まみれで非常に読みづらかったです。序盤に出てくるのですが、私はここで読むのを挫折しかけました…。「➢ア――あ――。」から始まり、「スカラカ、チャカポコチャカポコ…。」という呪文のような言葉で終わる段落が幾度となく繰り返されていました。その中でも、「二十億万人類社会の。アタマの入れ換えをするのが楽しみ。」という文言にはゾッとしました…。この部分は3回読んだけど、ちゃんと読んだら、精神病患者への虐待や治すつもりがない適当な治療など、差別が告発されていることがわかりました。

どんな人でも精神病院に入ったら、死ぬまで出られないという恐ろしさが物語られていたので、精神病患者に対する当時の偏見や迫害を風刺しているのではないかと思いました。これは現代に通ずる部分もありそうです。現代の精神病棟でも、言うことを聞かず暴れてしまう患者さんは拘束する場合があるみたいだし、精神病に縁もゆかりもない人は精神病患者のことを毛嫌いする傾向もあるように私は感じます…。

「地球表面は狂人の一大解放治療場」

精神医学研究者の正木博士曰く、「地球表面上に生きとし生ける人間は、一人残らず精神的の片輪者かたわものばかり」「紳士淑女が、自分だけは誰が何と言っても精神病的傾向を微塵も持たないアタマの持ち主だと自惚れ切っている。だから、そんな連中からあらゆる残酷な差別待遇を受けている、罪も報いもない精神病患者を弁護したくなるのだ。」とのことでした。

自分のことをまともだなんて思ってはいけないんですよね。作中では「キチガイ」「狂人」と言い方は悪いですが、みんな多少はそういう部分を持っているということです。一生のうちに、5人に1人がうつ病にかかる可能性があるという話も私は聞いたことがあります。精神病に限った話でもないですが、身近に狂気や病魔はいつだって潜んでいるんだと思います。あんまり考えても仕方がないことなので、そういうことは考えたくないのですが…。

「脳髄は物を考える処に非ず」

おおまかに言うと、「細胞の一粒一粒を人間の一人一人と見て、人間の全身を一つの大都会になぞらえると、脳髄はその中心にある電話交換局に相当する。吾々の精神、もしくは生命意識はどこにもない。吾々は、全身無数の細胞の一粒一粒が描きあらわすところの主観客観が、脳髄の反射交換作用仲介によって一つに重なり合ったのを透かして覗いているだけ。」という説でした。それまでの「脳髄が物を考える」という学説を否定する正木博士の論文は、とても興味深かったです。

「脳髄が物を考える」という従来の考え方を、突き詰めてみると「脳髄は物を考える処に非ず」という結論が生まれる。だけど、それをもう一つたたき上げると、「ものを考えるところ」に逆戻りしてしまう…。それが正木博士の不可思議を極めた精神科学式な堂々巡りの原則だそうです。頭がこんがらがってくる内容でしたが、生物の勉強になるなあ…と感じました。

「胎児の夢」

正木博士の論文「胎児の夢」も大変興味深い内容でした。「人間は母親の胎内にいる十か月間に、単細胞生物から、魚、水陸両棲類、獣、人間の胎児の姿へと進化する過程を追体験する。人間の胎児がそうした進化の夢の中で一番見るのは、悪夢でなければならぬ。先祖代々は、生存競争や残忍卑怯な獣蓄心理、私利私欲のために、大小さまざまな罪業を重ねてきているからである。胎児が生まれた瞬間に、それまでの夢は潜在意識のどん底に逃げ込み、強烈、痛切な現実の意識がしみわたる。」とのことでした。

何の記憶もないはずの赤ん坊が、眠っているうちに突然に怯えて泣き出したり、何を思い出したようにニッコリ笑ったりするのは、「胎児の夢」の名残を見ていると考えられていました。人間というのは、改めて不思議な生き物だなと実感しました。本当に「胎児の夢」を見ているとしたら、面白そうですね。奇想天外な学説を展開する正木博士は、研究者の鑑ではないでしょうか。ひらめきの力というのは、私も欲しいですね…。


全体的に圧倒的な情報量とすごい文字数で、ちゃんと読んで理解するのにとても時間がかかりました。時計の音で始まり、時計の音で終わることから、それが永遠の謎を謎を象徴しているかのように感じられました。結局、記憶を失った青年の話も何一つ真実であるとは言えず、何が正しいのかわからなくなってしまうような本だったので、奇書と呼ばれるのには納得の作品かな…と思いました。謎を解こうとするよりも、この意味不明な世界観を楽しむという感じで読むといい気がします。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集