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『青年』|読書感想文
森鴎外の『青年』を読んだので感想を書きます。森鴎外の作品は『高瀬舟』と『舞姫』くらいしか読んだことがなかったので、『青年』を選んでみました。
あらすじ
現代社会を描きたい希望を持って東京へ出た文学少年・小泉純一が、初志に反して伝説に取材した小説を書こうと決意するに至るまでの体験と知的発展を描く。作中に漱石、杢太郎、鴎外自身などをモデルとしった作家が登場する。鴎外の歴史小説を理解する上で必読の作品。
美しい肉の塊に過ぎない
主人公の小泉純一は、東京に出て、作家・大石路花を訪ねたり、平田拊石(漱石)の講演を聞いたり、そこで知り合った医大生・大村との親睦を深めたりして、啓発されていきます。
そして、劇を見に行った時に知り合った未亡人・坂井夫人に心を惹かれていきます。年末年始に箱根に行くという夫人に誘われて、純一も箱根に向かいますが、そこで有名な画家の岡村という人物と一緒に居る夫人を見て、まるで夫婦のようだ…となります。謎の目をしていた坂井夫人は、純一の中でただの美しい肉の塊に変化することになります。目が覚めて冷静になったという感じでしょうか…。それにしても、「肉の塊」とは強烈な表現です。
幻想を抱いていた坂井夫人を一介の肉塊と化かしたことで作品が書けるようになる、という展開には驚かされましたが、それほど純一にとって坂井夫人は影響の強い人物であったんだな…と思いました。「自分の身の周囲に空虚ができて来るような気がしてならない。そして、その空虚な寂しさを埋め合わすための作品が生まれるのでないか」と純一は感じたようです。作品というのは、プラスのことよりもマイナスのことの方が因子になって、良いものが生まれやすいのかもしれませんね。
いったい日本人は生きるということを知っているか。
純一の日記の断片にある「小学校という門をくぐってから、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり付くと、その職業を成し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」という言葉がとても印象に残りました。
学校に行って勉強するのは、自分の将来のためになります。職業に就いて、仕事をしてその対価としてお金をもらうことで私たちの生活は成り立ちます。でも、そこに本当の意味での生活や充実感が存在するのか、という問いかけをしているように感じられました。過去にも未来にも囚われるのではなく、今この瞬間をどのように生きるのかを大切にすることが真の意味での生活を形成する鍵になるというメッセージが伝わってきました。何も考えずにぼんやりのうのうと生きるのは、私は何だかもったいような気もしますね…。
媚が体に付いている
純一は小さい頃から人に可愛がられ、「いい子」という言葉が別名のように唱えられたそうです。純一は単に自分の美貌を意識するようになっただけではなく、自分がある見方をすると、年長者がもろく譲歩してくれるということも会得します。それが媚であると自覚せずにはいられなかったようでしたが、いい子から美少年に進化した今も全くなくならない、と書いてありました。
美貌を利用するというのは、媚なんでしょうかね…。私は使える武器があるのならば、自分のために使えばよいと思います。でも、「この媚が無邪気な仮面を被って、その陰に隠れてより一層威力をたくましくしているように思える」とも書かれていたので、純一は自分の媚を厭っており、複雑な心理を抱えているんだな…と感じました。媚が影響して、恋愛にも一歩踏み出せず「いくじなしだ」と自分を恥じている様子だったので、なんか可哀想でした。何度も怯懦という言葉が出てきていましたね…。臆病で気が弱いのは、私も一緒だなあ…と思いながら読んでいました。
消極的新人と積極的新人
作中では、古い観念にとらわれていない新しい考え方をする「消極的新人」と古い観念にとらわれないだけでなく積極的に新しい観念を持ちそれを確立する「積極的新人」という思想が出てきます。真実を描くためにあらゆる美化を否定し、現実をありのままに描き、醜悪なものも厭わない自然主義文学を書く消極的新人が多い文壇に対して、疑念を抱いている純一は、積極的新人になるのかな…と感じました。『青年』は、反自然主義の立場で描かれているような作品だと思います。
「哲学が幾度建設されても、その度ごとに破壊されるように、新人も積極的になって何物かを建設したら、またその何物かに捕らわれるのではないでしょうか。」という純一の漱石批判の言葉も印象に残っています。漱石の立場は「永遠の希求」として示されていました。こういう議論が私は結構好きです。何事も批判なくしては、良さが実感できない気がするんですよね…。
フランス語混じりの難解な哲学的会話が多かったので、ちゃんとは理解できない部分も結構ありましたが、青年っぽさが随所に表れていて、若さを感じました。今の若者でこんな小難しい会話ができる人はなかなかいないだろうな…と思いました。純一が女性に対して意識が行きやすいところも初心な感じがしました。明治の東京の細かい情景描写や人々の暮らし・娯楽の様子から、当時の世界に入り込めたような気がしたし、東京に出た青年の成長過程が追求されていて面白かったです。