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死ねない自分

嫌なことがあった。そして、また嫌なことがあった。そしてそして、また嫌なことがあった。嫌なことばかりで溢れている日常。

嫌だなと思う気持ちが死にたい気持ちにつながっている。嫌なことが降りかかってきても、自分で対処できない。嫌でも抗う気力も勇気もないから、逃げられない。いつも一人で苦しむことになる。

死にたいって、思ってばかりいるくせに、いつまでも死ねない自分に腹が立ってくる。私は自分で死ぬこともできないのかなあ…って、不安になってくる。死にたいなら、死ねばいいのに、死ねない…。生きていたくないし、この先ずっと生きていきたくもない…。どうすればいいのかわからない。

私は死にたい自分を、治すことも直すこともできない。休んでもふさぎ込んでいくだけで、何も好転しない。割れたガラスが元通りにはならないように、壊れた心もキレイに回復することはないんじゃないかな…と思う。

昔の私は、まだ元気だった。一生懸命に生きてたと思う。「幸せになりたい」という気持ちがあったから、いろんなことを頑張れてた。原動力は「幸せになりたい」だった。

だけど、私の元にやってくるのは幸せよりも不幸ばかりだった。私とは無関係なところで、いつも人が喧嘩して揉めている。みんな自分のことばかり考えて、譲歩ということすらできないバカの多いこと。そんなバカたちに、私は二度も三度も追い出されてきた。私の小さな望みは、他人の手により容赦なく蹂躙されてきた。

そのうちに、「幸せになりたい」自分というのがもう行方不明になってしまった。人に揉まれ、社会に揉まれ、本当の自分はいなくなってしまった。そして、「幸せになりたい」は「死にたい」へと少しずつ変化した。

「死にたい」が頭にこびりついて離れない。今更病院に行っても、どうこうなるような話じゃないと思う。治療費の無駄遣いでしかない。元気になるための元気すらないから、病院にも通い続けられない。何か前向きなことをしようと、行動にも起こせない。生きるのに疲れ果てたら、人生は後退していくばかり…。

もう十分生きた。生きた年数の割には、何だか年を取りすぎている気がする。寝ていたら、そのまま死んでたという状況が一番助かる。私が何もしなくても、自然に自分が死んでいたら、それが一番いい。

とにかく、何もしたくない。ただ死にたい。希死念慮はもう多分消えない。弱くなったり、強くなったりで、苦しい…。死んだら、死にたい自分にも死ねない自分にも苦しむことはなくなるはず。だから、いつか死ねる日、この苦しみから解放される日のことを今日も夢見る。苦しくない時が来ますように、と願って。

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