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【図解】なんて親切なんだろう。私は○○に違いない
はじめに
イヌとネコの性格の対比として、
こんな話を聞いたことがあります。
エサをもらったイヌはこう思っている:
「なんて親切なんだろう。この人は神に違いない」
エサをもらったネコはこう思っている:
「なんて親切なんだろう。私は神に違いない」
とある件で(必要以上に)親切にしてもらった私は、
こんなことを思いました。
「なんて親切なんだろう。私はカモに違いない」
いきさつ
契約している保険会社に、
ちょっとした問い合わせをしました。
YES / NO で回答できるような問い合わせ内容で、
メールで返答が来ることを想定していました。
ところが、実際には、
担当者から何度か電話がかかってきた上、
封書が送られてきました。
(電話には出られず)
封書には、問い合わせへの回答に加えて、
現状と契約を変更した場合とを比較した
シミュレーション結果が同封されていました。
想定を上回る手厚い対応でしたね。
一方で、YES / NOで済む問い合わせの回答に
めっちゃコストかけてんな、とも感じました。
わざわざ電話でコミュニケーションしようとしたり、
頼まれてもいないシミュレーションをしたり、
それを封書で送ってきたり。
この対応のために発生した少なからぬ労働を思うと、
人手不足に苦しむ我が国に対して
傷口に塩を塗るような問い合わせであったかと
自責の念に堪えません。
考察
この労働のコストを支払うのは誰なのか、
間違いなく私です。
向こうもビジネスである以上、
そうでなければ採算が合いません。
契約時点ですでに支払い済み
である可能性さえあります。
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「なんて親切なんだろう。私はカモに違いない」
と思うに至った経緯は以上のとおりです。
ビジネスの関係で親切にするのは、
電車で座席を譲るのとは違います。
「親切にしてもらうコスト」は誰が払うのか、
シビアになる必要があると考えます。
資本主義の野良イヌみたいな発想ですが、
穴の開いたサイフを背負ったカモで
あり続けるよりはマシ。
おわりに
生命保険会社とのウェットな関係を
私は求めていないことがわかりました。
もちろん、ウェットな関係や手厚いサービスに
救われる人がいることは否定しません。
そういった価値を期待するならば、
それ相応のコストを支払うことは
理に適っているでしょう。
向こうが提供する価値と、私の期待との間に、
ギャップがある、というだけの話です。
マネーリテラシーが今よりはるかに
未熟な時に契約した保険なので、
自分が求めていない価値に対して
必要以上のコストをかけてしまっています。
解約や、もっとドライなネット保険への
切り替えを検討ですね。
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