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食欲の行先|牛タンに対する執着がSDGsにつながった話

定食についている生菓子を断るようになってから,食事が快適になった。
残すには(フードロスの意味で)もったいない,だけど,いらない。
残すには(お金の意味で)もったいない,だけど,いらない。

別にその生菓子がおいしくないわけではない。
ただ,主菜の後味で終わりたい。それだけ。

間にスイーツを挟むという考え方もあるけれど,私はスイーツは最後に食べたい。途中でスイーツを挟んでしまったら,主菜を楽しみたいようには楽しめなくなる。

(文章にしてみるとめんどくさいな,私。)

まあ,ということで,生菓子はいらないなあと思っていても,なんだかんだ食べていた。出されたものは食べるのが,礼儀だと思っているし,なにより「もったいない」し。


だけど,そんな気持ちは卒業した。

もう生菓子はいらない。


私は牛タンが食べたい。利久の牛タンが食べたい。
牛タンの後味で終わりたい。おいしい牛タンの余韻にひたっていたい。

生菓子を断ったら,生菓子を残すことはない。無理に食べることもない。
(フードロスの意味で)もったいないを卒業した。

生菓子を断ったからと言って,何か他でサービスがあるわけではないけれど,それでいい。だって,私は牛タンの余韻にひたっていたい!それが何よりも大切なんだ!!!
(お金の意味で)もったいないを卒業した。


一応説明しておくが,利久の生菓子はおいしい。
伊達茶のクリーム大福。クリーム大福は最高だ。おいしい。

しかし,これは生菓子のおいしさの問題ではないのだ。
私は牛タンに向き合いたいのだ!牛タンの余韻にひたりたいのだ!
(だから,ご飯も少なめにして,相対的な牛タンの割合を高めている。)



日本でのフードロスは,国民一人当たりに換算すると毎日お茶碗一杯のご飯を捨てていることになるほどらしい。

だからといって,無理して食べる必要はない。
残すんじゃなくて,断る,最初から少なくすればいい。


牛タンに対する執着がSDGsにつながった話。



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