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人としての喜びのある生き方と仕事の両立

ひと段落した,というわけでもないけれど,
noteを書こうと思える時間ができた。

数ヶ月の間,休職していた人が帰ってきた。
メンタル不調の一歩手前で休みに入った人。

帰ってきた姿を見ると,
人としての喜びのある生き方をしたい
と,思ったのである。

ーーー

そもそも業務量が多いのが,私の職場である。
昔ながらの紙文化を愛する人もいて,
紙の管理も仕事を増やしている原因ではないかと思う。
(紙も書くことも好きだけど,すべて紙である必要はない)

全員が数値処理を行う必要があるけれど,
Excelが使えない人もいる。
その膨大な量を手計算する方が,よっぽどミスが増える。
そして,そのミスによって,さらに仕事が増える。
(そういう人に限って,なぜか覚えようとしない)

どうにかして,この流れを断ち切れないか,と。
ひとり働き方改革と称して,自分が影響を及ぼせる範囲に限って,工程を減らしたり,システム化するなどして,ヒューマンエラーが入り込む余地を減らしている。

人間なんだから,ミスしないことはあり得ない。
ミスをする余地を減らすしかない。

しかし,業務に忙殺されていると,創造的な仕事ができない。
多くの人は,現状が良くないと認識していても,それを改善するだけの余裕がない。あるいは,無意識に現状を認識しないようにしているのかもしれない。

そうして,より一層,現状は悪化する。

そして,メンタル不調を訴える人が増える。
訴えられるということは自覚があるから,まだいい。
本人も気づかぬまま,体が動かなくなることがあってはならない。

人を育てる仕事をしているのに,
人に寄り添えない,寄り添う余裕のない人間が多すぎる。

自分で精一杯の人が,人を気遣えることはない。

そうして,負のスパイラルに溺れる人は増える。

さて,私は一人働き方改革をしているわけだけど,
これは仕事の中での私の生き方である。

気をつけないといけないのは,業務が効率化されればされるほど,余裕が出てくる,つまり引き受けられる業務量が増えるのだ。

これは,危ない。

どこかで,手に負えなくなる危険性をはらんでいる。
あるいは,どれだけ効率化したとしても,イレギュラーな事態も多い。

あまりにも業務が多すぎると,ほんの些細なことをきっかけに,瓦解する。

しかし,どれだけ業務量が多くても,この仕事そのものは好きである。
だからこそ,業務量が増えることが圧倒的な苦ではない。
そうして気づかぬうちに瓦解する,それはあってはならない。

どうにかして持続可能に働く必要がある。
大切なのは,人としての生きる喜びを見失わないことである。

人を育てる仕事である。
にもかかわらず,自分自身が喜びに満ちた人生を送っていないのであれば,未来に希望は持てない。自分自身が,未来となって,先に生きるものとして,生き方を見せたいと思うのだ。

生きる喜びというと大層な言葉に聞こえるかもしれない。
しかし,生きる喜びは身近に感じられる。

例えば,
気持ちよく目覚める,
朝の空気を体に取り入れる,
空模様に季節を感じる,
鳥の鳴き声に,蝉の音に命を感じる。

体が心地よいと思う過ごし方をする。
サウナでも,マッサージでも,運動でも。
ハンモックに寝転がって,自分の体の重さを感じてみたっていい。

仕事も好きだ。
だけど,人としての喜びを忘れてはならない。

何か大きなことを成し得ようとする必要はない。

自分が一人の人であるということ,
同時に他者も一人の人であるということ。

私たちはそれを忘れてはならない。

ーーー

憑き物が落ちたように,すっきりとしていた。
表情も体も軽くなって見えた。

そんな彼をみて,私は嬉しかったのだ。
彼が休んだために,いろいろ奔走したけれど,
彼の姿を見ると,私がほっとしたのだ。

誰もが健やかに過ごせますように。

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