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尼子猩庵「輪切りトンネルの串揚げ」

◆作品紹介

コインパーキングから引き出せない車のメーターが刻む曖昧な時間、山の中を毛虫のように這い回る鯨、頭を下げるたびに聞こえるシャッター音。返事の有無も不明な何通もの手紙が積み重なるほどに、語り手の内面世界と外界の区別はより不安定に混交され、読者の思考にもじわじわと不気味な幻が忍び寄る。「苦髪楽爪」「サファイアのジャム」に続き独自のアウトサイダー狂気小説を追求する作者のanon press三作目。毎回編集作業をするたびにちょっと頭がおかしくなってます。もう勘弁してください!(編・樋口恭介)


前略

 猩庵先生。いつぞやは失礼をいたしました。その後お変わりなくお過ごしでしょうか。
 私は相変わらずコインパーキングから車を引き出せないでおります。こうしているあいだにも駐車料金はどんどん上がっています。
 ほかにも停めっぱなしの連中はいくらでもいるのだ、あに、私だけはばかる理由あらんやと、人間の真似をしたのがいけませなんだ。しかしまあ、恐るべきメーターが一回りして料金がゼロに戻るまで、あと三ヶ月ばかりの辛抱です。
 一回忌を過ぎましたが何ともないようです。とりあえず現状を維持するために就職しなければならないという、親父の意見に従うことにしました。数十年ぶりに会いましたが、相変わらず偉そうです。しかし親父のほうがこちらに詳しく、何より親父が建てたログハウスに住まわせてもらっているので、文句も言えません。ちょいと斡旋のようなこともしてもらいました。
 面接の日は、電車が遅れ過ぎて昨日の車両が少し早めに到着し、並ばずに乗れました。
 車窓からはジンベエザメが縦になって雲の中のプランクトンを吸っているのが見え、さらに上空の辺りには無数の凧も引っかかっておりましたが、あれらがいわゆる「曇り日のオーロラ」というやつでしょうか。まだよくわかりません。
 会社の門をくぐり、(あの有名な門ではありません。)誰だったのかわかりませなんだが直々に会ってくれました。とにかく褒めなきゃならんと思い、いい絵ですね。あァわかるかね。タルシル・トムの後期だよ。あれを買うために二割がた解雇せんけりゃならなんだよ、ハハハハハ。
 私は事業拡張部に配属されました。
 とりあえずご報告まで。何卒お体ご自愛下さいませ。

匆々

面壁元年 蛸月零日

蒙埼昧阿弥もうさきまいあみ

尼子猩庵様




二伸 朝、便座に座っていて、不用意に立ち上がったのがいけませんでした。私の頭部は夕方ごろまで便所の片すみに転がっていました。




拝啓

 勿体無きご厚情をたまわり父子共々心から御礼申し上げます。
 事業拡張部では、アイデアを出せと言われ、いくつか提出いたしました。中でも自信のありますものは、全国津々浦々の町役場に電話して回り、諸地方の後継者問題と中央の就職難問題を按排する案。それから飼い主が自分より小さくなったら犬はどう反応するかという案です。通るか否か、上層部から連絡があるまではただ出勤だけしていればよいとの由で、日がな一日本ばかり読んでいます。
 写真をお送りいたしましたミケとランジェロは、相変わらず喧嘩ばかりです。と申しますよりも、ミケが一方的にランジェロをイジメているばかりです。少しはやり返せばいいのにと、見ていて苛々します。
 逃げ回るランジェロが、床一面に種をぶちまけました。親父がどこかの散歩先で、拾って来て置いていた、何かの花の種です。とりあえず掃除機で吸っておきました。
 では厳寒の折柄、御身お大切に遊ばしますよう。

敬具


面壁元年 蛸月卅日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




二伸 近ごろ職場で私は蒙昧もうまい君、蒙昧君と呼ばれています。ここまで来れば一安心かと胸をなで下ろしております。




三伸 先日、本ばかり読んでいても詮無いので、早退しようと思いましたが、早退はその日オフィスで一番背の高い社員に伝えねばならぬのです。けっきょくその日最も高身長なのは私だったので、帰ることはなりませんでした。

(※駝鳥は自分の目線より背の低い飼育員をイジメるそうです。)




謹啓

 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 私、上層部から連絡のないまま一年目を終え、忘年会では自作の落語を披露いたしました。
「いいか、いっぺんしか言わねェから、よォく聞きな」
「――ェえ?」
 というものです。
 お目汚し失礼いたしました。

敬白

面壁二年 蝦蛄月マイナス廿二日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




二伸 長く親父がいないとゴキブリが多いので、近所の花屋で一番大きな食虫植物を買いましたが、朝目を覚ますたびに這い出るのが大変です。




三伸 例のイタズラ電話、あまり孤独なので掛けたという女ですが、電話にて交際が続いております。従妹がムリヤリ仕向けたのだと言っておりますが、さあどうですか。




四伸 遂にランジェロの片耳がなくなりました。それでもまだやり返しません。最近私はむしろランジェロを憎んでいると言ってもいいような心理状態です。




五伸 掃除機は花ざかりになりました。




六伸 やっぱりテレビの具合が悪いようで、木曜日なのにどのチャンネルでもオリンピックが開催されておりませんでした。




七伸 親父はおりませんけれども、健康は問題ないそうです。雨音を聞きながら眠り、便所を流す音で起きる日々だと言っております。




八伸 サモエドはまだバントばかりしています。




九伸 私はこの頃、人を撃ったり刺したりする人が撃たれたり刺されたりした時の表情がまぶたの裏に焼きついて少々不眠気味ですが、ご心配には及びません。ちょっと弱音を吐いてみたくなりました。若人の甘えご寛恕くださいませ。




十伸 ライザ・ミネリがジュディ・ガーランドの娘だと先日知りました。




十一伸 軽い不眠のために明け方はマリアアザミとウコンが飲み比べをしておりますが、曙光に明るんだカーテンを開ければ死んだ金魚を埋めている少女の対岸でカナリアの卵を拾っている老婆がいたりします。飲んだより多く出す酒は、乳首の平らなアバズレが乳首の大きな処女を育てるようなものでしょうか。




十二伸 十一伸はお忘れくださいませ。




拝啓

 お返事ありがとうございました。無学のためか、眼精疲労によるものか、惜しいことに一文字も読めませなんだが、一日も早く読めるように、お手紙、日当たりのよい所に置いております。
 眼精疲労ですが、眼医者に行きましたら、この医者というのがヒドイ人なのです。ちょっと見て、「ああ悪いね」と言うのです。「この分だと失明するでしょうな」と言うのです。「ちゃんと薬を飲まないから」と言うのです。
 私はちゃんと薬を飲んでいますのに、わかると言って決めつけるのです。信じてくれないということは悲しいものです。
 仕事のほうは順調で、何も問題はないものの――まだ上層部からの連絡はありませんが。――さっこんはラッパーが羽振りがよいと聞きまして、近ごろラップを作っております。デビュー出来たら会社を辞めたいと存じます。(あと引っ越しも。隣人のご婦人が「作り過ぎたから」とシチューを持って来てくれたのですが、ネズミに食わせてみたら、あんのじょう翌朝死んでおりました。)
 今のところは、こういうものです。ご感想をいただけましたら幸甚に存じます。

 唯物論的無神論者のアンビバレントな感情は

 (※タータタタンタタタッタンタンタタタンタタタンタタタンタータ)

 檻の中で食べるアプリオリなブリの照り焼き

 (※タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ)

 一生かけてもたどり着けぬゴールは発心(ほっしん)した時

 (※ッタータタタタタ・タ・タ・タ・タ・タタータタタッタンタ・タ・タ・タ)

 誰も彼もコギト・エルゴ・スム的なこと

 (※タタタタタタタタタタタタタタタタタタタ)

  並の民のためのナムのアミのダブのツ

 (※タタタタタタタタタタタタタタタタタタタ)

 お目汚しお許しくださいませ。
 ソレデハなにとぞご自愛のほどお祈り申し上げます。

匆々


面壁二年 蝦蛄月十五日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




 私の手紙は届いているのでしょうか。少し怨み言を申し上げてしまいました。ご容赦くださいませ。
 あの紹介状は人違いのようでしたがそれも何かの縁です。転居はつつがなく終わりました。親父も一緒です。くれぐれもよろしくとのことです。
 先日、仕事から帰宅しましたところ、十四階建てのマンションなのにエレベーターが十五階を示しているから、屋上に乗っているのだろうかと思い、前の道路まで出て見てみましたがそれらしいものはありませんでした。戻ると、エレベーターは一階におりました。
 くれぐれもお体ご自愛下さい。

匆々

面壁四年 鮫月六日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




前略

 正木先生のことお慶び申し上げます。尼子先生はその後お変わりありませんか。
 以前追伸にてご報告差し上げたばかりで詳細を申しませず失礼いたしました。親父に叱られてしまいました。イタズラ電話の女ですが、名前は宇佐美(うさみ)右左子(うさこ)と申します。遂に会う運びとなったのですが、待ち合わせ場所に行きますと、ムリヤリ仕向けたとやらの従妹だけがおりまして、(この女は豆々(まめまめ)式部(しきぶ)と名乗りました。)代理で来たとのことでした。
 いわく、宇佐美右左子には、真剣な交際をさせてやりたい。向こう一年は手も繋ぐべきではない。そのあいだ色欲の方面は女性用風俗に通わせる。それでよろしいか。
 私は承諾し、右左子とは、とりあえず毎晩電話だけしております。面白くもない話ばかりですが、手紙に関するものだけ少し興味深く思いました。
 何でも彼女、しょっちゅう手紙が来るのですが、読まないのです。自分もたくさん書くのですが、出さないのです。読まなかった手紙も出さなかった手紙も、笑い事では済まない分量だそうです。かてて加えて海辺など散歩していると古い手紙の入った瓶をやたら拾うそうで、このあいだはとうとう船の模型が入った瓶を拾ったそうです。
 くれぐれも御身お大切に。

匆々


面壁四年 三日月十一日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




二伸 とうとうミケはランジェロの子どもたちまで殺してしまいました。むろんランジェロはやり返しませんでした。




三伸 これも申し遅れましたコインパーキングですが、メーターが壊れまして、タダで停め放題になっております中、私の車だけえらい値段のままで止まっているのでした。もうしばらく引き出せそうにありません。




四伸 掃除機に鳥が巣を作りました。




五伸 豆々式部とは、何度か会っております。このあいだは、レインボーブリッジダッタ橋を歩いて渡り、ダイバダッタ公園を散歩しました。




拝啓

 ご無沙汰いたしております。(時には夜な夜な参上つかまつるという虚しき夢想もいだきますのですが。)
 眼医者は相変わらず薬を飲んでいることを信じてくれません。幸い、失明の恐れはなくなったとのことであります。ご心配をおかけしました。
 しかし信じてもらわれないのと、あの口ぶり(ちょっと見るなり、「ああ、悪いね」というもの。)に苛立ちながらの帰り道に、職務質問を受けました。交番で巡査は桃を剥いてくれたのですが、四切れある桃を、二つだけ食っていいと言うのでした。あとの二つは巡査の分なのだろうと思いました。それで、巡査がちょっと席を外した時、つばきを吐きかけてやろうかとよぎったのです。けっきょくしませんでしたが、戻って来た巡査が、
「帰ってよろしい。残りの二切れもよかったらどうぞ」
 と言われた時、私は非常な罪を感じました。行為ではない、胸中の罪です。帰り道、教会に駆け込まずにはいられませんでした。(残り二切れは礼儀として食べました。種は、ちかぢか保育園が建つという地所に埋めました。)
 さてこのほど、正木先生のお子さまへ子守唄を作っております。(ラッパーになる夢は諦めました。)歌詞の草稿をお送りいたしますので、もしお暇がございましたら改善点等、ご指導・添削のほどよろしくお願いいたします。
『〽衆生病めばすなわち菩薩病む、すなわち現世の菩薩は病みき。キリストのリストがストを起こすと、格子の牛は死に、半分の窓は無く、鼠蔵亭(そくらてい)楽(らく)僧(そう)はしゃにむに知ったるだ……廃りなば檀家は零人(れいにん)。とろみつき、嚥下(えんげ)するのももうたくさんと丸くす。丸くしゃがァる。丸木ドサドサ、お支払いは、チャラとすとら。井戸で以て、爺ィ汲むと風呂いと暗いすと。入る人ら、真っ裸のままがんじがらめ。ブラブラしていて不満なら、あァ止まんなさい。褒めろす、余す寺には、いざ、波のみ凪のことだと。』
 毎度のお目汚しご容赦くださいませ。

匆々


面壁六年 蛤月卅八日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




二伸 頭を下げるたびに大量のシャッター音が鳴る日がしばらく続きました。そのあいだは顔を洗うこともままなりませんでしたが、そろそろ大丈夫のようです。




三伸 公園で虫干しをさせていたミケとランジェロが、ちょっと目を離したすきに池へ逃げてしまいました。雨季になれば帰って来ると思います。




四伸 コインパーキングのメーターはふたたび回り始めましたが、料金がゼロになる直前に車が盗まれました。オーナーが犯人だろうと睨んでいます。裁判所から駐車料金を支払うよう命ぜられましたが控訴する予定です。




 暑中お見舞い申し上げます。
 ご病気とご境涯のほどはいかがでしょうか。お伺い申し上げます。
 私のほうは、社員の二割を失業せしめたタルシル・トムの後期の絵が贋作と判明したために大規模な昇給騒ぎがありまして、私ごときゴクツブシも何とかひねもす本ばかり読んでおります。
 買い手がつかなかったログハウスも、例の隕石で潰れたために保険が下りまして、土地も更地になったため買い手がつきました。
 さて、宇佐美右左子との関係ですが、先日、遂に会いました。喫茶店で、二人とも、苦しい沈黙でした。これは駄目かと思いつつ、店を出て、次の場所(豆々式部が作成した予定表通りに動いていたのです。)へ向かう道々、ふと私の靴がパンクしたのでした。それも両方とも、同時に。
 幸い近くに青果店と自転車屋を兼業しているお店がありましたので、靴を預けましたが、修理が終わるまでのあいだ、右左子も待つというのです。
 豆々式部の予定表からは大きく外れる行為だったので、私は反対しました。そんなイレギュラーなことをして、右左子の精神が平気なのか心配だったのです。しかし彼女は断乎、私の靴が治(ママ)るまで一緒に待ってくれました。
 私は、感謝の気持ちあり、彼女は、従妹の束縛から解放された誇りあり、お互いに沈黙は軽うございました。私がふと、「木曜のオリンピック、見てますか」と問いましたところ、即座に「見てます! 重量挙げが面白くって――」それでたいそう盛り上がりました。
 靴が治(ママ)ったあとも、私たちは豆々式部の予定表を大きく逸れて、気ままな散歩をいたしました。右左子の門限が過ぎてしまい、送る、一緒に謝りに行くと申し出ますと、
「どうせこれが最後なら」と、申すのでした。
 それで私たちは、その足で旅行へ出かけたのでした。
 まだ暗み切る前に旅館にたどり着きました。そこの湯は名湯でございましたが、あまりに効くために怪我人や病人であふれ返っていたのには辟易いたしました。部屋のテレビをつけると、どこかの火山が白いものを断続的に噴き上げておりました。
 その夜の右左子の話は面白うございました。彼女の両親の話です。ある日、母親が打ち明けた。「じつは私、くだんの少女ではないの……」そのわけはこうです。若い頃、右左子の父親は、昔日に命を助けた少女が元気だろうかという由を、掲示板に書いたのでした。
 そこへ名乗り出たのが母親で、二人は一緒になったのですが、右左子も生まれて、だいぶ育ったある日、母親が打ち明けたのです。すると、父親も打ち明けました。「じつは自分も、少女の命を助けたりなんかしていないんだ」――
 これには家族一同、大笑いだったそうです。
 益々のご活躍をお祈り申し上げます。

匆々

面壁六年 鰯月五日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




二伸 思い出話が行き詰まったのは、カトリーヌ・ドヌーブが出なかったからでした。しかし思い出せない時ほど、ほかをやたら思い出すのはなぜでしょう。アンナ・カリーナやブリジット・バルドーはいいにしても、ジーナ・ロロブリジータなんぞが出たのはどう考えても変です。記憶というものの個体性に疑いを持つイヤな瞬間です。




三伸 部屋の電気を消したあとは、パンくずを落としながら歩く少女をもみ殻たちが見送っておりました。




四伸 ロマンチック街道とシルクロードのちょうちょ結びを、一糸乱れぬ自由たちの行進が汚しておりました。




拝啓

 御清栄の段御慶申上候。
 我がマンションには、地下がないのに、ある日仕事から帰りますと、エレベーターは地下一階を示しているのでした。それなので△(上)を押しましたら、隣の、十一階に待機していたエレベーターが下りて参りました。
 親父は繁茂せる掃除機の移民政策に難儀しております。
 仕事のほうも問題なく、先日社内の運動会にて、障害物競走で競馬実況をやりましたら拍手喝采をもらいました。(新採の女の子からも蒙昧さんと呼ばれていますけれども。)
 宇佐美右左子との関係ですが、両親が、従妹に依存する娘を懸念していたとの由で、私は迎え入れられました。非常に行き届いた両親で、これまで右左子を監視してくれた豆々式部に対しても、お払い箱にするようなことはありません。
 右左子の祖父が百八年の血統ローンを組みましたために、彼女も必ず子どもを産んで引き継がなければならぬという家なのでした。なるほど結構な邸宅です。
 リビングに大きな水槽があり、ボングイという変な魚がおりました。ボングイはもともと河川に生息し、壁面に快適な穴を掘る習性があるとやら。いくつも掘っては、見回りをし、住み着いている小魚を食うのだそうです。
 これが観賞用に改良されたのですが、ボングイ自体は何と言いますか別にこれと言ってきれいなことはありません。おのが姿を飾り立てる代わりにこの魚は、習性のほうを発展させました。水槽内を自ら清潔に保つのはもちろんのこと、見事なアクアリウムを作るのです。飼い主の目の色を読み、飼い主好みのものへと改良を重ねてゆくそうです。見飽きがしないために、折々模様替えもするとのことです。
 その右左子と先日、喧嘩をいたしました。私はつい彼女を激しく罵倒して、道の上で別れました。私は歩いて帰ろうとしていました。ふり返れば、しかし右左子はついて来るのです。私が変な道を歩いても、ついて来ます。そのままぐるぐる町を回り、最後には共にマンションへ帰りました。
 しかし空からは鳥がボトボト落ちています。ここ数年、群れなして飛行機に特攻しているのです。遠くの山々を見やれば、鯨が山の上を毛虫のように這って行くのも見ます。海には、タンカーに特攻をかけるシャチやイルカのために真っ赤な線が引かれています。
 テレビをつければ、森の中の鯨の死骸を食べる動物たちが写されます。
 私、少し通院する予定です。
 益々のご活躍を祈念いたします。

匆々


面壁七年 烏賊月零日

蒙埼昧阿弥

尼子猩庵様




謹啓

 のっぴきならないことが起きましたもので、たいへんご無沙汰いたしました。少し長くなりますが、経緯は以下の通りです。凡骨鈍脳ゆえ蛇足・不足ご海容ください。
 ある医院に行きました。先生もご案内の科です。それで、違和感(とより申し上げようのない、私以外の全世界が罹患している諸症状)を訴えますと、医師陛下は聴診器で印を結ばれ、しばらく目を閉じて、
「本来なら愚僧の腕の及ぶところではないが、解決策がないわけではござりませぬ」とおっしゃいました。
 そういうわけで、私はその「極めて効果的な療法」を教えていただいたのです。
 次の週の午後八時半に、指定の場所に行きますと、目印の黄色いスカーフを首に巻きつけた、非常に大きな婦人が立っておりました。
 私は教えられた通り、婦人の背後に立って、背伸びをし、婦人の腰の辺りに手を添えて、
「少し、拝借いたします」と言いました。
 そのとたん、誰かに後ろから突き飛ばされたように感じました。
 気がつくと、腹の中央がじんわりと温かく、頭の中がとろみのある炭酸水のようになり、しゅわしゅわと整頓されている中、心臓へ漏電する音楽は、極めて楽しゅうございました。
 私の心身はどんどん清潔になり続け、好もしくなくなっていた諸細胞のどんどん辞去してゆくのが感ぜられました。遥か頭上では母上の心臓と脳髄があるらしく、母上の自覚が上下左右を駆け巡っているのが見えました。
 医師陛下のおっしゃる由では、七日経てば元の姿に戻るから、そうなったら、少々女性の尊厳をアレすることになりますけれども、然るべき場所から出て来て、母上にお礼を言って帰ればよいとのことでした。
 母上の自覚が、私の前にちょこなんと座ります。焦点はバッチリとは合いませんが。それからまた散じてゆくので、私はその腰にしがみついて、中央部まで連れて行ってもらいました。
 母上の視野は、懐妊を確かめるべく、ショウウィンドウを覗いておりました。ガラスに映る母上は、非常に大きな婦人であるけれど、意想外に若くていらっしゃいました。
 母上が腕時計を見ると、まだ八時半でした。母上が歩き始めると、一帯には同じくらい大きな婦人がたくさん居、母上は平均的であるどころか、小柄でさえあるらしゅうございます。それから、黄色いスカーフは、もう取り外されて仕舞われていたために、もしかすると私は、医師陛下の用意してくださった婦人と、ただそこに立っていた無関係の娘とを、間違えてしまったのかも知れないなどとも思いました。
 しかしともあれ、「極めて効果的な療法」は、正常に始まったのでございます。
 母上の不安げな記憶によりますれば、母上も母上で、こちらの医師陛下から、私からすれば逆さまの療法を勧められた由なのでしたが、その原因となるコトに関しては、母上の尊厳のために伏せさせていただきます。悪しからずご了承くださいませ。
 母上は、非常に大きいし、顔の造作も私の見て来た女たちとはまるで違いました。この母上の血で育ち直すと、生まれる頃には私も元とは変ずるに相違ないと案ぜられますところが、変じないというのだから素晴らしい療法でありました。
 母上の視野を離れ、妙なる揺り籠に戻りますと、ふいに辺りが真っ赤で、明るい所に出たのか、母上は腹部の衣類をめくり上げたのか、私のつるつるの肢体がぼんやりと見えました。
 もしかすると豆のようなところまで戻った可能性もあったと、その時になって思い当たりましたけれど、(そうなると人格に断絶が起こりましたろうか。私は詳しく聞かなかったのです。私の意識はほとんど白濁しておりましたから。)とかく喜びが、あぶくだらけの脳髄と言わず心臓と言わず、大きに奏でられておりましたので、真相はもうどうでもようございました。
 赤い視野を見渡せば、服も靴も時計も鞄も、隅にきちんと置かれています。とにかくスッカリ元の姿に戻るまでは七日間ということでした。
 母上は帰宅すると、なにぶん初日の私のためを思って入浴を控え、(母上は自分を茹でるのがこの上なく好きなのにも関わらず!)ソファに腰かけて静かにしておりました。
 やがて寝室に上がり、眠りにつきました。私は母上の心臓の鼓動のせいで眠られませんでした。自分の速過ぎる鼓動もうるさくて。
 いいや君は眠っているよと言うのは、としふりた猿の老婆でありましたが、さあこれも母上の中の現代がこしらえものでないと言えますかどうか。
 今母上は夢を見ているのではないですかと尋ねると、としふりた猿の老婆はうなずきました。相当な悪夢らしく、私に起因するらしい。賑わって来るに従って、巨大な工場みたようなものが長い影を落とし、影の中はたいへん臭うございました。

 

       *

 

 母上は勤めておりましたので、座っていることが多く、筋力の著しく成長し出したらしい私は、へその緒がねじれたり絡まったりするのもお構いなく、ぐるぐる回っておりました。
 母上は昼休憩になると、同僚と会社の外で食事をしました。母上が腹部の衣類をめくり上げると、辺りが真っ赤になり、同僚が母上のおなかを触るから、思い切り蹴ってやると、同僚は女らしく喜んでおりました。
 母上の遺伝子の奥部に鎮座まします、八十億分身の大系譜もて半永久的の命を繋ぐ人類一匹は、根本的の部外者たる私を仁王立ちして腕組みして睨んでおります。知らんぷりして私が戯れる相手は眼前のへその緒を措いてほかにありませんでした。
 こいつを引っ掴み、肩や足に巻きつけて力の限り引っぱったり、固く結んだりしようとしましたけれど、敵は強靭で、血の往来はビクともせず、その攻撃的なまでの母性作用の活動はつつがなく、ここへ来て母上は、確かに私を望んで宿したようにも思われました。
 私は色々と雑音のように考える意識のゴミをへその緒からポイポイ捨てました。それでしばらく清々していましたけれど、濾過作用から免れたゴミが母上の体をめぐってまた帰って来ることもありまして、そんな時我々は喜々として旧交を温めました。
 ある時、母上が同僚とランチの折、「たまにはいいか」と、へその緒からコーヒーが流れ込んで来ました。私は腹でコーヒーをがぶがぶ飲んで高揚し、無闇にでんぐり返っていると、急に狭いのがつらくなったのです。私はぐるぐると動き回り、蹴り回りました。
 母上のおなかを同僚が触って何やら懸念しておりました。としふりた猿の老婆が言うことには、私は性急に大き過ぎる、療法は失敗した、こちらの胎児として尋常の限度を超過しつつある、このまま七日間を強行すると、途中で母上は子宮破裂で死に、私は窒息して死ぬだろうということでした。
 嘘だよと言って老婆は消えました。私は非常なストレスを覚えました。するといきなり劇痛が走って――それは母上の自覚上の劇痛なのでしたが――頭が真っ白になりました。母上の声で、
「おなかがカチカチになった……石みたい……」
 と呻いているのが聞き取られます。同僚が切迫流産だと言っているのが聞こえます。
 私はへその緒を撫でさすっては、拝んでおりましたが、全身を絞殺される苦しみから何とか逃れようともがいてもがいて、私の体がある方向を向いた時、扉が見えたのでした。
 ノブを掴み、左にひねって押し開けると、私は羊水と一緒に外へ滑り出ました。
 尻餅をつくと、へその緒がすっと外れて、掃除機のコードのように母上の中へ帰って行きました。
 私は光と重さと寒さにボコボコにされながら一心に呼吸しました。失神したように突っ伏している母上の、腰の辺りに四角な切れ目が出来、開いた扉はぶらぶらしていました。
 同僚は慌てて扉を閉めると、
「どうして鍵をしていなかったの!」
 と言いました。母上は失神したのではなかったようで、くるりとふり返り、火照った顔で私を見下ろしました。それから二人して、私を追いかけ回したのです。
 私は必死で逃げました。非常に大きな婦人たちは、たいそう遅うございました。私の小さな足は、恐ろしく速うございました。
 私は、彼女たちの胎児にしても、けっきょくカナリ小さかったのですが、肢体はだいたい元の通りでした。服や靴を忘れて来たことに気がつきましたが、何しろコーヒーが、体中を駆け巡っていたものですから。


       *

 

 追っ手を撒いたあとも、羽のように軽い体と馬のようにみなぎる脚力に物を言わせてしばらく駆け続けておりました。やがて大きな公園が見えたので、一服することにしました。
 噴水のふちに腰かけて、清らかな水をボンヤリ見ておりますと、背後でどよめきが起こりました。ふり返ると、非常に大きな子どもが五、六人、私を見つめてあんぐり口を開けているのでした。
 私は危険を感じて、全力で逃げ出しました。子どもたちの誰かが、仲間に追跡を命ずる声が響き渡ります。
 私は子どもたちに追い回されました。私の足は速かったけれど、子どもたちは大勢だったし、地理にも詳しく、大人ほどは遅くありませんでした。
 彼らは回り込んだり囲もうと広がったり挟み撃ちにしたりして来ました。私は股の下を滑り抜けたり頭上を飛び越えたりして逃げました。
 五分くらい経ちましたろうか、私はどかんと疲労を覚えました。空腹だったのかもしれません。何かが急に枯渇したのでありました。
 そのまま私はへにゃりと倒れました。視野が七色にうねくり、心臓がぴかぴか痙攣しておりました。いくら息を吸っても吸い足りませんでした。
 追いついた子どもたちは、しかし私に触ろうとはせず、観察し始めました。
 やがて、子どもたちは立ち去るようです。誰か呼びに行くのか、興味を失したのかわかりませなんだが、突然に回復した私は、ぱっと立ち上がり、駆け出しました。すると子どもたちは「動いたぞ」と叫び、また追って来ました。
 私のほうが速いけれど、子どもたちは疲れません。
 ふたたびどかんと枯渇して、私が倒れて動かなくなると、子どもたちは私を取り囲み、しかしやっぱりただ観察するばかりです。それからまた、立ち去りそうにしたのでした。
 彼らが完全に去るまで待ち切れない私がそっと立つと、子どもたちの誰かがそれに気づいて、また追って来ました。私は無我夢中で逃げました。
 そんなことが何度続きましたやら、またぞろ私が倒れて動かなくなった時、一番体の大きい子どもが、遂に私をつまみ上げました。そして、
「くたびれてかなわないから、もう動くな」
 と言って、私を噴水のふちに戻しました。そうして子どもたちは、やれやれというように、去って行ったのでありました。
 私は噴水のふちで、荒い息をついているばかりでした。何しろ生まれたままの姿なのです。日射病にかかったのかも知れませんでした。
 そのままどれくらい経ちましたろう。一人の、巨大な童女が私をそっと抱き上げました。私は焦げて、にじみ出た体液に濡れておりました。抱かれると、童女の服の繊維に肌が擦れたり貼りついたりして、痛うございました。
 童女は人目のない茂みに私を持って行き、服をあごまでまくり上げて、小さな乳首を露わにすると、私の顔に押しつけました。
 私は非常に嬉しくなって――私には大きかったので――口を一杯に開いて、むしゃぶりつきました。けれども、いくら懸命に吸っても、何も出ては来ませんでした。
 ガッカリした私は、童女が示した反対側の乳首を吸いませんでした。ひどく眠かったので、眠ることにしたのでした。
 何もかもが沈んで行きます。痛みや息苦しさやめまいや疲労や寒気が、快楽の電飾に塗り潰されてきれいに消えて行きます。
 目を覚ますと、童女はまだ私を抱いていて、歩いていました。公園ではありませんでしたが、樹木がたくさん見えます。私が目覚めたことに気がつくと、ニッコリと笑いました。
 それから、一帯を木陰にしている大樹に着くと、幹から飛び出ているたくさんのひだの中の一つを鷲掴みにして引っ張り、私の頭の上に持って来て、力任せに絞りました。
 ひだの先が糸を引いてぱっくりと開き、きゅうきゅうと苦しそうな声を上げたかと思うや、私は温かな、この上もなくさらさらした樹液を被ったのでした。
 全身の火傷が癒え、樹液は口の中にも入りますと、内側からも激しく癒してゆきました。
 ひだのきゅうきゅうという苦悶の音は、童女が絞る手を放して尖端の口が閉じたあとも、しばらく続いておりました。その音を聞きながら私はふたたび眠りました。
 目を覚ますと、懐かしの母上が私を抱いておりました。その嬉しさといったらありませんでしたが、母上が探しに来てくれたのか、童女が送り届けてくれたのか、それは遂にわかりませんでした。
 私としては、童女が一瞬で成人したように感ぜられたばかりです。
 母上の腰のドアは、私が無理に開けましたために蝶番がバカになり、内部も菌が入ってしまって一切がダメになっておりました。


       *

 

 ひどく小さな人が訪ねて来たと思ったら、昔日の医師陛下でした。医師陛下は、私を連れて帰ろうとしましたけれど、母上が拒みました。それで小さな医師陛下は、こちらの医師陛下と何やら話したのち、連絡先か何かを書いた紙を私の額にパンと貼って、帰ってゆかれました。
 母上は私を引き取ったものの、勤めておりますために、私は海辺の託児所で過ごすことが多うございます。魚めいた保母さんは、逃げ回る私たちを巧みに捕まえ、抱いて背中をぽんぽんしたり、甘い舌で舐めてくれたりいたします。
 上に緑の見える断崖とおだやかな海に挟まれた広やかな砂浜を駆けずり回るのは、非常に大きな乳児や幼児ばかりですが、中に一人だけ、私と同じような体格の子どもがおりました。
 それは女の子でありました。彼女も私にひどく関心を持ち、我々は睦まじく語らう仲となりました。
 彼女も「極めて効果的な療法」の知られざる失敗例で、境遇もたいがい私と同じクチでした。
 彼女の名前は清々式部すがすがしきぶと申します。彼女の歩く後ろには時々美しい婦人が浮かんでおりまして、何か生前と関係があるのではと踏んでおりますが、その仔細まだ彼女に尋ねておりません。

 

       *

 

 じつを申しますと、先生のことは最近思い出したのです。雷に打たれた心地でした。爾来、あるいは家で、あるいは託児所で、母上や保母さんの目を盗んではコッソリ書いてまいりました。筆を抱えるような具合なので、字の汚さ、紙の汚れ、ご寛恕くださいませ。
 昨年の暮れから書き始めて、今朝、年が明けてしまいました。もうすぐ完成して、清々式部に手伝ってもらい、投函しにゆきますが、先生の元まで届くことを祈ります。
 私と清々式部は、長生き出来るかわかりません。
 うまく生き延びられましたら、またお便り差し上げたく存じます。
 ご活躍をお祈り申し上げます。お体大切になさってくださいませ。


謹言

桃栗元年 元日

蒙埼昧阿弥


尼子猩庵様




◆著者プロフィール

尼子猩庵(あまこ・しょうあん)
昭和六十三年六月八日兵庫県神戸市生まれ。
『苦髪楽爪』『サファイアのジャム』anon press掲載。
『偸盗菩薩』話題の本ドットコム掲載。
『手信号』『スゲーのこと』『ながいキャッチボール』『母校へ』koubo掲載。
『飼い鬼物語』『手すりの指・骨拾い』『タイプライターのためのインヴェンション』『タイプライターのためのインヴェンションⅡ』『エターナル・ホリデー』kindleにて販売中。
『生贄物語』『縁日ヶ丘物語』『三つ子の魂』『枯れざかり花』『その幽霊屋敷は』ステキブンゲイにて公開中。

*次回作の公開は2025年2月19日(水)18:00を予定しています。
*本稿の無料公開期間は、2025年2月19日(水)18:00までです。それ以降は有料となります。
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