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ぐりとぐら ぜんぶ読む【後編】|二人の関係は?家族が登場しないのはなぜか?多様性と保育園、戦争の影?

というわけで ぐりとぐら ぜんぶ読む【後編】です。
前編はこちらです。


ぐりとぐらはどういう関係か?
なぜ家族が描かれないのか?保育園、戦争との関係は?

 3つ目の疑問についてです。これには保育園の保母さんをしていたのが重要ポイントだと思います。中川さんは世田谷区の無認可保育園「みどり保育園」の保母さんをしていたそうです。その経験がベースになり『いやいやえん』ができて、絵本も作ることができたと様々なインタビューでおっしゃっています。
 ここで大事なのは中川さんが働いていたのは“保育園”という事です。この保育園が当時どういうものだったのかを理解することが中川さんの絵本の理解にも繋がる気がするので少し長くなりますが自分の体験をまじえて話したいと思います。

当時の保育園は少数派


 中川さんが務めていたのは1955年から1972年までのようです。今でこそ保育園と聞いてもさらっと聞き流せてしまいますが、当時は保育園育ちというのはとても少数派の存在でした。僕も保育園育ちなのでそれがよくわかります。ほとんどの子ども達が幼稚園に通っていて、小学校に上がった時には保育園育ちの子は一学年で2人くらいでした。
 僕は1976年生まれで、生まれてすぐに保育園に行っていましたが、中川さんが務めていた72年でも同じようなことだったと思います。つまり、夫が働いて妻は専業主婦という家庭がほとんどで、そういう家の子どもは幼稚園に行くわけです。そして、夫婦が共働きだったりシングルだったりなどいろいろな事情で親が家にいない家庭は、夕方まで預かってくれる保育園に預けるということになります。
 小学校に上がった時も他の子達はみんな幼稚園時代からすでに友達で仲がいいわけですが、保育園育ちの子は完全にアウェーなわけです。僕は小学校1年生になる時にはめちゃくちゃ緊張したのを覚えています。200人対1人みたいな気持ちで通っていました。さらに小学校に上がっても親が仕事を辞めるわけではないですから、放課後は学童保育に行きます。これも当時としては少数派で、下校時は自分の家と反対方向の学童保育のある方へ歩いて帰るわけですから、友達からなんでお前は逆方法に帰るんだ?とかからかわれていました。
 また「共働き」をしていると「子どもがかわいそう」というイメージが当時は強くありました。家に帰るとお母さんが「お帰り」と言ってくれる家庭がいい家だと言われていました。その証拠にこれまた「鍵っ子」という言葉もあったのです。家に帰るには普通はお母さんがいるから鍵なんか持っていなくていいけど、「共働き」の家は帰っても誰もいないからいつも鍵を持ち歩いている、だから「鍵っ子」と言われていました。「共働き家庭」で「鍵っ子」という言葉が僕には貼り付けられていました。今の感覚だとちょっとしたマイノリティーだったと思います。でも僕の場合は一人っ子でもあったので、恵まれている、過保護だ、なんでも買ってもらえる、ワガママというイメージもついていたので、どっちつかずの複雑な気持ちでした。言葉があるということは少数派につけられるものですから、やっぱりメインストリームの「普通」から外れているという、今で言う無自覚な偏見が向けられていたと子どもながらに感じていました。

 長くなりましたが当時のそういう保育園のイメージを知ると、より中川さんの作品の理解が深まると思います。つまり、当時そういう状態にあった保育園で保母さんをしていたからこそ、中川さんはいろいろな家庭を目にしていたと思います。いわゆる、お父さんが働いてお母さんは専業主婦という家庭だけではなかったと思います。事情のある家庭をたくさん目にしていた可能性があります。
 それが、ぐりとぐらの関係性と、なぜ家族が描かれないのか?という疑問の答えのヒントになると思います。

家族が描かれないのはなぜか?

 ぐりとぐらは、みなさんはどういう関係だと思いますか?兄弟、兄妹、双子、友達?僕は仲良し二人組のイメージでしたが、名前が似ているから、親族かもしれません。そこで、全巻に目を通してみるとヒントがありました。
 全巻を通して二人とも「僕」と言っている場面が何度もありました。なので兄弟の可能性はあります。でも双子かもしれません。でも、結局二人の関係性についての明確な文は無かったのでそれ以上はわかりませんでした。
 もしぐりとぐらが兄弟で親族だとしたらお父さんやお母さんは描かれてもいいはずですよね。子どもの絵本では、お父さんやお母さんは頻繁に登場します。中川さんの他の作品『ねずみのおいしゃさま』などでも家族がでてきます。しかしぐりとぐらはこれだけシリーズがあるのに、両親が登場しません。ということはそれは意図的なのだと思います。あえてぐりとぐらの関係性を描かない、両親も登場させない。わざと家族を描かなかったのです。それはおそらく決まった家族の形を描きたくない気持ちがあったと想像します。
 保育園で保母さんをしていたからこそ、いわゆる普通の家族の形に当てはまらない家族に接していたから、読んだ子どもが自分は普通じゃないと感じないようにしたのではないでしょうか?
 さらにはここでも戦争体験が影響しますが戦争孤児の問題などももしかしたら頭にあったのではないでしょうか。私が『虎に翼』を見ていたのでもしかしたらと思ったのですが、中川さんの世代は戦争で親を亡くした友達などがいてもおかしくありません。だとすれば、あえて親を描かずに子ども達の世界だけを描こうとしたことにも納得できます。家族の形よりも、目の前の好奇心や、出会った友達と仲良くすることを大事にしたかった。家族の形は一つではないと肌で感じていたからこそ、家族を描かない事で、今でいう多様性を感じられるようにしたかったのではないかと思います。

 それにしてもあの大きなカステラは本当においしそうですよね。誰もがあこがれますよね。あの大きさで実際に作ろうとチャレンジした人がいないかとネットで調べてみましたが何組かいらっしゃいました。それぞれにいろいろ工夫をされていましたが、途中で生地の液がこぼれたりして苦労されていました。そしてなによりあのふっくら感。あの大きさであのふっくら感を出すのは現実には厳しいみたいでした、、、

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