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ひねくれ者はブラッサイアと朝を過ごす。

朝起きてカーテンを開け、穏やかな朝日を部屋に取り込む。
この習慣が染み付くまでにどれくらいかかっただろう。

シャッという音から始まる一日に、部屋も心も明るくなる。

でも、実は元々朝が得意だったわけではない。
1年前までは朝を迎えるのが憂鬱で、夜がずっと続けばいいと思っていた7分の5。
仕事のことを考えないようにとにかくギリギリまで寝ていた7分の5。

あれからいろいろと工夫をして、朝を心地よく過ごせるようになった。
ご自愛朝ごはん(過去記事参照)も工夫のひとつ。おかげで自分の機嫌を取るのが上手になったと思う。

他にも生活の変化に貢献してくれたものがあった。
観葉植物だ。
カーテンを開ける習慣ができたのはこれのおかげだと思う。

観葉植物を買うことは、私の中で結構勇気と覚悟の要る決断だった。
というのも私は“いのちあるもの”が得意ではない。
動物然り、花然り。

--動物は昔から苦手。
動物園や水族館に行った記憶もあまりないし、散歩中の小型犬にも萎縮してしまう。

一方、花を苦手だと認識したのは社会人になってからのこと。
これでも一時期は仕事帰りに花屋に寄るのが好きだった時期もある。
でもある日、花を買って花瓶に生けたら一日で萎れてしまったことがきっかけでもうダメになった。
店では可愛らしかったピンクの花が、私の元に来た途端こうべを垂れて死を待つ囚人のようになってしまった。
その時あらためて実感したのは、花にもいのちがあるということ。
生命の流れが急加速したことに怖くなってしまった私は、「触れない!ムリ!代わりに処分して!」と騒いで夫に怒られ、我が家では生花購入禁止となった。

この出来事を友人のトガに話すと、「あ〜あんた人間も嫌いだもんね」と返ってきた。
「え、そうなの?」とその場ではすっとぼけたが、いや、確かにそうかも。
嫌いというより無関心なのだけど。
周囲の人をオブジェクトとして捉えがちで、突然自分の視界にニュッと入ってこられるとビビってしまう。

だから私は自我を出してくる店員さんが苦手だし
散歩中の犬が目の前で吠えると足がすくむし
花が急に枯れると怖くなる。--

観葉植物を買いたいと言った時も、最初はやっぱり夫からNGが出た。
ちゃんと世話できるのか?と。
半年くらい悩んでまだ欲しかったから、ちゃんと世話しますと正座して誓った。

自分のことでいっぱいいっぱいの毎日から脱却するには、自分以外のなにかを気にかけることが必要なんじゃないかと思った。
でも花はまだ怖く、動物は責任が重すぎる。
それならば、と比較的生命の流れがゆったりしていそうな観葉植物を育てる決意をしたのだが、
冒頭にも記した通りこれが私の生活を変えてくれるきっかけになった。

初めて買ったのはブラッサイア。
乾燥に強く育てやすいという店員さんの言葉と、クネクネとした独特な育ち方が魅力的で決めた。
「ひねくれてる人はひねくれてるものに惹かれるんだね」と夫。うるさい。

世話を頑張ることを誓ったから、朝カーテンを開けて明るい窓辺に移動させるようにした。
水遣りのタイミングは素人には難しくいまだによくわかっていないが、根腐れしないように枯れないように良きタイミングで水をあげることを心がけている。
最初は存在ごと忘れてしまうときがたまにあったり、逆に葉の健康状態が気になりすぎて仕事が手につかなかったりもして、「気にかける」のバランスをとることってこんなに難しかったのかと学んだ。

最近増えた子

ちょうどその頃トガと「いのち嫌いが将来子育てできるのか」という話になった。
最近観葉植物でいのちに触れてるよ!リハビリしてるから大丈夫!と意気揚々と話したら、「返答がサイコパス」と返ってきた。意味がわからない、助けて。

不慣れなお世話を続けていたら、今やカーテンをシャッと開けてブラッサイアと一緒に光合成するのがすっかり日課になった。
これをしないと一日が始まらない、というくらいに生活に馴染んだ。

自分の人生に不満ばかり抱えていた私。
朝の過ごし方を変えたことで、忘れかけていた「大切なこと」を思い出し、毎日をテキトーにやり過ごすのをやめよう、と思えるようになった。

「大切なこと」。それは、
朝の静けさは最高のBGMだということ。
朝日を映すレースカーテンが美しいということ。
早起きしても一日は短いから時間を大切にしたほうがいいということ。
夫とふたりで選んだNIWAKAの結婚指輪が「朝葉」という名前であること。

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