自分と向き合うのはこわいこと
自分と向き合うのはこわいこと。
途方もないこと。
だから目を背けたいし、日常に散らばるいろんなことに注意を向けることで直面しないでいようとする。
でもある日突然、感情が揺さぶられて、自分の心の奥底にあった気持ちとばったり出会ってしまう。
そういう時に喰らう衝撃と言ったら計り知れなくて、打撃を抱えたまま、ここ数日を過ごしてる。
自分と向き合うことを「こわい」と思うのはなんでなんだろう。
たぶん、終わりがないからだと思う。
今という地点で考えることと、先の自分が考えることはきっと違っていて、同じ事柄やある過去の一地点を見返しても、その再定義が何度も何度も繰り返されるからかもしれないな。
とにもかくも、体力のいることだ。
でもこれは生きてる限りずっと続く。
見ないふりをしても、自分という人間ほど長く付き合っていく存在はない。
だから後回しにしたくなったりするんだろうなぁ。
本当は1番に優先した方がいいはずなのに。
誰かに喜んでもらえることやどう思われるかを優先する。
そうすることでそこを誤魔化すというか、ま、今じゃなくてもいいか、なんて思ったりする。
ひとつ、自分の行動や感情に目を向けると、あらゆる事柄すべてが自分という人間を象っていることを知る。
その量が多い。というかこの身ひとつで24時間365日を体験してるのだから当たり前か。
自分と向き合うこと。
自分を満たすこと。
もしかしたら、「こわい」と思うことで向き合うことから逃れる余地を作りたいのかもしれない。
「こわい」は何かがはっきりと浮き彫りになる時に生まれる保身のための感情でもある。
あ、だからなのか。
自分という人間の姿の直視がたぶん「こわい」。
うやむやにして「分からない」ことで言い訳できていたことができなくなる。
それがたぶん「こわい」。
まぁそうは言っても、自分の心地よさとか、この先の選択を納得したものにしていくためには、現地点の自分をよく見ることなんだよな。
…向き合うかぁ。
ひとまずは、ひとり部屋で麒麟の缶を開けたとこである。
Annie Lena Obermeier / アニー
絵描き。現在、小笠原村父島に滞在中。
生き方と働き方を主題に多種多様な人々へインタビューを全国各地でして回っており、『LAMPPOST』というマガジンで、2週間に1度記事を更新している。