読書好きは母のおかげ
母は出版社に勤めていたくらいだから本が好きで、私を読書好きの子に育てたかった。
まだ小学校に上がる前は、絵本や挿絵の多いお話の本を買ってくれた。
母に買ってもらった絵本でよく覚えているのは「人魚姫」と「はまぐり姫」。
「白雪姫」や「いばら姫」もあったと思う。
「人魚姫」は蕗谷虹児(ふきやこうじ)の絵で、細かいところまで覚えている。
探したら、こちらのサイトに絵が載っていた。
深海で魔法使いのお婆さんに舌と引き換えに2本足の人間にしてもらう場面や、足をもらう代わりに喋れなくなったせいで王子様に思いを告げることができず、王子がよその国の王女と結婚することになり、そのお祝いの席で足が痛むのを我慢して踊る場面、姉たちが届けてくれたナイフで王子を刺して血を足にかければ元の人魚に戻れるのに、刺すことができずに自ら海に飛び込んで海の泡と消える場面などが、美しい絵で描かれていた。
「はまぐり姫」は漁師が釣り上げたはまぐりを舟に置いておくと、どんどん大きくなって中からお姫様が生まれるというもので、その後の展開は覚えていないが漁師は金持ちになるというストーリーだった。
挿絵入りの本では、女の子が森を歩いていると小さな家があり、中に入っていくとテーブルにおいしそうなスープ(おかゆ?)が入ったお皿が3つあった。
女の子は一番小さなお皿のスープを飲み(おかゆを食べ)、眠くなったので寝室に行くと、ベッドが3つあったので、一番小さなベッドに入って眠った。
そこへクマの親子が帰ってきて、空になったスープ皿を見つけ、寝室に行ってベッドで眠っている女の子を見つけた。
それからどうなったかは覚えていない。
小学校に上がって文字が読めるようになると、母は「小公女」を買ってくれた。
母は父を亡くして校長先生に辛く当たられた主人公セーラに、7歳で父親を亡くして母親に辛く当たられた自分を重ねていたかもしれない。
私はこういう可哀想なお話が好きではなく、一番好きだったのは「若草物語」だった。
「若草物語」は映画も見に行った。
キャサリン・ヘップバーンがジョー、エリザベス・テーラーがエイミーを演じている1949年の映画で、小学生時代に1人で町の映画館へ見に行った。
大人になってから、テレビの名画劇場という題名だったか、古い映画を放映してくれる番組でも見た。
学校の図書室でも頻繁に本を借りて読んだ。
夏休みはまとめて3冊借りられるので、借りてきて次の登校日までに全部読んでしまった。
高学年になると、新潮文庫で村岡花子訳の「赤毛のアン」を買って読んだ。
アン・シリーズは全10巻あるが、私は第5巻の「アンの幸福」から読み始めた。
アンが大学を卒業してサマーサイドの中学校長になり、幼なじみで婚約者のギルバートが医者になるまでの3年間を、下宿の「柳風荘」で過ごす物語だ。
これが面白くて、すっかり夢中になり、読み終わってから第1巻「赤毛のアン」、第2巻「アンの青春」……と、全ての巻を読み、アン・シリーズは「若草物語」を抜いて、私の中でトップの地位に躍り出た。
私は母の思惑通り読書好きな子供に育ったわけだが、家に帰って寝るまでずっと本を読んでいて、夕飯のときも食べながら読んでいたので、
「ご飯のときは読むのをやめなさい」
と叱られた。
いつも宿題を忘れていたのは、帰ってきてすぐに本を開くからだ。
することを先にしてしまってから読めばいいのに、とにかく本が読みたくてたまらない。
読み始めると、宿題のことなんかきれいさっぱり忘れてしまった。
自分が買ってもらった本や買った本のことばかり書いたが、母は結婚後に自分のために本を買う余裕はなかったと思う。
自分の本を買うようになったのは、子供が社会人になって経済的に余裕ができてからで、美人画の画集の他に新潮日本古典集成をシリーズで取っていた。
「万葉集」「枕草子」「源氏物語」「伊勢物語」「無名草子」「徒然草」などがあった。
このうち「源氏物語」は全8巻のうち7巻まであり、現代語訳ではなく原文で書かれていた。
母が亡くなってから私がもらって、各ページ上部に詳しい注釈が付いていたので、それを頼りに6巻まで読んだ。
桐壺から始まって夕霧まで。
光源氏が亡くなってからはつまらなくて読むのをやめてしまった。
数年前に蔵書をメルカリで100冊ぐらい売り、このシリーズも「源氏物語」以外は売ってしまったが、「源氏物語」はもう一度読み返そうと思って取ってある。
ヘッダーの写真は母が結婚前に勤めていた出版社、ジープ社で出した本。
ジープ社は大衆向けの政治雑誌や民俗学の本を出していた。
写真の本はオスカー・ワイルドの童話集で、「星の子」「幸福な王子」「夜鶯(ナイチンゲール)と薔薇」「我儘な巨人」「素晴しい花火」の5編が収められている。
これは訳者の神津児郎から母の妹に贈られた本で、扉を開くと見返しに「岩田維子様恵存 神津児郎」と書かれている。
母は出版社で編集者として働いていた。
訳者や著者の先生のところへ原稿をもらいに行ったり、ゲラ刷りを校正したり、できた本を届けたりしているうちに、ワイルドの童話集を訳した神津さんと親しくなったのだろう。
それで、当時高校生だった妹の維子(つぎこ)に、神津さんが自分の訳した童話を贈ったのだと思う。
子供の頃、神津さんの名前は祖母や叔母、維子の口から何度か聞いたことがある。
もしかしたら、神津さんは仕事を離れて母と付き合いがあったのかもしれない。