アンヌ
多発性神経症種症という体の中にたくさん腫瘍ができる病気で、これまでに何度か腫瘍の摘出手術を受けたり、サイバーナイフ治療をしました。手術のために九段坂病院と虎の門病院に入院したときのことを中心に、入院生活のあれこれと同室の患者さんたちの面白エピソードなどを綴っています。辛いこともありましたが、総じて楽しい入院生活を送りました。
80年代初頭、パソコンが普及し始める直前に、キーボードにCPUが付いただけのようなパソコンで、BASICのプログラミングを勉強しました。それをきっかけにパソコンインストラクターやマニュアルライターとして働くことになりました。そんな私の経歴を綴っていますが、大雑把ながらパソコンの歴史としても読めると思います。
90年代に入ってすぐにIT業界から遠ざかりましたが、十数年のブランクを経て、インターネットサービスプロバイダーの接続サポート要員として働きました。その後、56歳で就職活動を行い、IT企業に就職して現在に至ります。そんな経緯を綴っています。
母は出版社に勤めていたくらいだから本が好きで、私を読書好きの子に育てたかった。 まだ小学校に上がる前は、絵本や挿絵の多いお話の本を買ってくれた。 母に買ってもらった絵本でよく覚えているのは「人魚姫」と「はまぐり姫」。 「白雪姫」や「いばら姫」もあったと思う。 「人魚姫」は蕗谷虹児(ふきやこうじ)の絵で、細かいところまで覚えている。 探したら、こちらのサイトに絵が載っていた。 深海で魔法使いのお婆さんに舌と引き換えに2本足の人間にしてもらう場面や、足をもらう代わり
子供の頃、母によく絵を描いてもらった。 お姫様を描いてと頼むと、新聞の折り込みチラシの裏などに鉛筆で絵を描いてくれた。 お姫様らしい髪型の髷を結って、立ったら裾を引きずりそうな打ち掛けを着て、脇息(肘掛け)にもたれているところや、他にもいくつも描いてもらった。 髪型もかんざしも衣装のことも、よく知っていた。 それをほんの数分でサラサラと描いてしまう。 描いてもらった絵は、そのときは大事に眺めているのだが、すぐに飽きてその辺に散らばしておくので捨てられてしまうらし
去年の今頃、散歩に行ったらいつも通るお寺の前に張り紙がしてあり、ギンナンがたくさん実ったので自由に拾っていいと書かれていた。 門の中に入っていくと、大きなイチョウの木があり、下にたくさん実が落ちていた。 散歩に出ただけで何も入れるものを持っていないし、素手で拾ってかぶれたら嫌なので拾わずに帰ってきた。 帰り道を歩きながら、昔、自営業をやっていたマンションの前がイチョウ並木になっていて、秋になるとたくさん実が落ちるので拾ったことを思い出した。 ギンナンのエピソードを
退院して家に帰ってから、少し寝ようと思って布団に横になったが、5日間寝ていないので布団が冷え切っていたのと、季節が一気に進んでいたのとで寒かった。 1時間ぐらいして起きて、持ち帰った荷物や書類を整理した。 パジャマやタオルなどは段ボールに詰めて、宅急便の集荷があるまで病院の総務課に預けてきたが、iPadやキーボードやケーブル類などすぐに使うものはリュックに入れて背負ってきた。 夕飯は冷凍しておいた食パンにパルミジャーノを乗せてチーズトーストにした。 それと、冷凍コ
手術は成功し術後の状態も良く、比較的快適に過ごしています。昨夜はiPhoneでWeekend Sunshineの聞き逃しを聴きながら眠りに落ちました。今はiPadでこれを書いています。ご心配くださった方々、どうもありがとうございました。予定通り明日退院します。
今、病室で書いている。 私はこれまで自分の人生が幸せだったか不幸だったか考えたことがなかった。 今回思いがけない病気で入院することになり、まずその症状について病院で外科の先生に診てもらった。 初診で手術が必要と言われてすぐに入院日が決まり、血液検査やレントゲン、心電図などを撮って帰ってきた。 1日置いて土曜日にもう1度外科の外来を訪れた。 検査の結果は問題なく、予定通り手術できることがわかったので、先生から手術に関する説明と、麻酔の方法やリスクについて話を聞
大学を卒業した翌年の秋、母と京都、奈良に旅行した。 私は中学の修学旅行で行ったことがあったが、母は1度も京都にも奈良にも行ったことがなかった。 母は結婚前は出版社に勤めていて、そこで仲の良かった人が結婚して京都に住んでいたので、その人に会いに行きたいと言った。 私は京都でレーザリアムというものができたので、それを見に行きたかった。 そんなわけで出掛けたのだが、前の晩にテレビの深夜映画でカトリーヌ・ドヌーヴの「昼顔」を見ていたので眠かった。 新幹線で外の景色を眺め
来週7日に入院する。今週は水、木、そして今日も病院へ行ってきた。命に関わる病気ではないが日常生活に支障があるため急いで手術することになった。これから持っていくものを準備して宅急便で送らなくてはならない。iPadを持っていくので入院中も記事を投稿できると思う。コメントご遠慮お願い。
この間、上の階のMさんと話していたら、最近は1日2食にしていると言っていた。 3食食べると調子が悪いそうだ。 腸の働きが弱くなっているんじゃないかと言う。 だいぶ前に光代さんも食事は1日2回だと言っていた。 ここに越してきて足を怪我して動けなかったとき、区のボランティアの人にヘルパーを頼んでいたが、彼女が1日1回しか食べないと言ったので驚いた。 私は3食ちゃんと食べる。 光代さんは2回にした代わりに朝はたっぷり食べるそうだ。 Mさんは回数を減らした分、
イスラエルによるパレスチナとレバノンへの攻撃が連日報道されている。 胸が痛む。 パレスチナ問題に詳しい宮田律さんの記事も毎日更新されているので、必ず読みに行く。 これだけの情報を得るのは難しいので、毎回勉強になる。 イスラエルはガザ同様レバノンにも攻撃をしかけ、多くの市民が犠牲になっている。 国連レバノン暫定駐留軍(平和維持軍)をも攻撃し、これに参加している国々から派遣された要員を殺害した。 イスラエルは上記国連軍に参加している50カ国から非難されているが、
中学時代の私は変わった子だった。 卒業してから中1時代の担任の家に何人かで遊びに行ったとき、誰かが先生に言われた。 「◯◯くん、変わったわねぇ」 大人になったということか。 すかさず私が、 「先生、私は?」 と聞くと、 「あなたは前から変わっていたわよ」 と、はぐらかされた。 変わっていたというのは、誰も思いつかないような、突拍子もないことをするからだ。 中1のとき、社会科の授業で、沖縄と小笠原諸島は日本の領土なのに、アメリカからまだ返還されていないという
入院記録の「目次」を上にするため、マガジン内の記事の順番を大きく変えるという手順に従って操作しようとしたが、「並び替え・削除」の画面に表示されている記事の右側にスクロールバーがないので、下の方にある記事をつかんで移動できない。 バグっているんじゃないの?
脳外科の診察が終わって、帰りは来たときと違うルートで日比谷線の銀座に出た。 そこで電車を乗り換えたのだが、銀座は何度も行っているのに、日比谷線の銀座駅で乗り降りするのはずいぶん久しぶりだった。 あれは確か90年代の初め頃、銀座の日比谷線のホームで電車を待っていたら、「オバウエ!」と声が飛んできた。 「オバウエ」というのは私の中学3年のときのあだ名だった。 クラスで私が何か言おうとしているのに、みんながいつまでもペチャクチャ喋っているので、「お黙り!」と言った。
10月9日は脳外科の定期検診で、神谷町脳神経外科クリニックへMRIを撮りに行った。 野村先生と会うのは1年ぶり。 9月初めの健康診断でクレアチニンが0.88と基準値より高かったので、今回も造影剤は使わなかった。 2021年10月に右小脳腫瘍の取り残しが大きくなったのでサイバーナイフを掛けたが、そのときの検査ではクレアチニンは基準値内の0.79だった。 ところが、5ヶ月後のMRI検査の際はクレアチニンが0.96もあったので、造影剤を使うことができなかった。 その年
ここに書いてある◯人分というのは私が食べる回数なので、たくさん食べる人は2人分もしくは1.5人分が1回分になるかもしれない。 食塩相当量が毎食2gになるように計算して献立を考えているので、もしこのこの組み合わせで食べるなら1.7gだが、1.5人分食べる人は塩分摂りすぎになる。 その場合は、3度の食事のうち1度をオートミール(「ある休日の朝食」参照)と、何かの組み合わせにするなどの工夫が必要だ。 私はいつもそのように調整して1日6gになるように心がけている。 ●炊き込
子供の頃は食べ物の好き嫌いが多かった。 母は私に人参を食べさせようとして、人参を斜め輪切りにして甘く煮たのを、鍋ごと持って私に迫ってきた。 「甘くておいしいのよ。お菓子みたいよ」 私はイヤイヤをして逃げる。 ときには叔母を加勢に呼んで、 「叔母ちゃんにあげちゃうわよ。ほら」 と言って、叔母にその甘い人参を箸で挟んで差し出す。 叔母は口を開けて人参を口の中に入れてもらい、 「ああ、おいしい」 と言う。 私は甘く煮た人参なんか食べたくない。少しもうらやましくなん