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何の為に修行するのか? ⑬【解脱に達すると心は涅槃を観ざるを得なくなる】(最終回)

(⑫続き) 解脱に達すると何が得られるのでしょうか。涅槃が観えるようになります。しかし涅槃の主になるわけではありませんよ。涅槃は誰のものでもありません。涅槃はここにある普通の世界なのです。それはそこにあり続けるダンマの世界なのです。しかし、涅槃を観に行くことが出来る人、その人は幸福を感じる事が出来るのです。涅槃を知り行く心は最上の幸福なのです。必死にもがく事から自由になるのです。飾り立てられることから自由になるのです。渇き飢えから自由になるのです。

 私達は少しづつ訓練していくのです。今日の法話は朝から今までどんな話をして来たでしょうか。このように話しましたね。修習することとは ”何を修行するのか?” を知らなければなりません。
 何の為に修習するのか? サマタは心の力を付けてヴィパッサナーをする為なのです。あるいはサマタは時々 心を少しの間休める為に使います。心に十分に力が湧き、すがすがしくなったならば、それからヴィパッサナーを行います。
 どのようにするのか? サマタは心を心地よい所縁(観察対象)の一つに向かわせます、そうすると心に静けさが生じます。ヴィパッサナーは身体と心の変化に従って知っていくことなのです。心はただただ知る人、見る人なのです。貪欲が生じたならばそれを知る。怒りが生じたならばそれを知る。考えに浸り込んだならばそれを知る。ただただ観ていくのです。
 知り続けていくと 何が得られるのでしょうか? もしサマタををするのであれば、知る心が立ち上がってきます。ヴィパッサナーをするのであれば智慧が現れてきます。身体と心の真実が観えると、それらは苦ばかりである観えてくるのです。真実が観えると手放すのです。身体の執着・心の執着が終わるのです。涅槃が観えるようになるのです。最上の幸福に至るのです。


■ ご通読頂き誠にありがとうございました。「何の為に修業するのか」 をより正確で洗練された訳文にプラ・タカシ・マハープンニョー師に校正して頂き、ルアンポー・プラモート師ご本人より翻訳許可を頂いた施本を下記リンクより入手することが出来ます。

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