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サンニャー(想)は智慧の敵では無い ルアンプー•プラモート師

ウィパッサナーを高める時

智慧を高める時

私達は「正しく知ろうとするサンニャー(想)」を持たなければなりません

正しく知ろうとすること

それは

生じるものは

アニッチャサンニャー*であり

アニッチャン(無常)であると知ろうとするのです

ドゥッカサンニャー

ドゥッカ(苦)は圧迫され壊されてしまうものであると知ろうとすること

アナッタサンニャー

アナッター(自我が無いこと)であると知ろうとすること

知ろうとすることはそれぞれ一つ一つでも構わないのです

まず初めに考えを使って観察するのです

そして心が上達したならば次に「知ろうとすること」は

意図せずに知ることが出来るのです

考える事は固執したり、不安になったりすることなのです

もしもサンニャー(想)が生じ正しく働いた時には

正しく知ろうとするサンニャー(想)が正しく働いているということなのです

ですからサンニャー(想)はパンニャー(智慧)を高める為の敵では無いのです

サンニャー(想)の敵はサンニャーウィパラートなのです

それは4つあるのです

1つ目は美しくないものを美しいと観てしまうこと

2つ目は変化するものを変化しないと観てしまうこと

3つ目は苦であるものを楽であると観てしまうこと

4つ目は自分の思い通りにならないものを思い通りになると観てしまうことです

それは我である自分であると感じてしまうのです

これがサンニャーウィパラートなのです

ですから

ヴィパッサナーを高める時に

心は三相(無常・無我・苦)を知ろうとしなければならないのです

もしも

サンニャー(想)が無いのであれば

そこでウィパッサナーを高めることは出来ないのです

梵天(ブラフマン)の世界には心はありません

心所が無いのです、サンニャー(想)も無いのです

ブラフマンは一万劫*もそこに座っているのです

何も生じてこないのです

智慧も生じてこないのです

サーリプッタ尊者はかつてこのように教えを説かれました

色界の第4禅もしくは無色界の第8禅を

ネーワ・サンニャー、サンニャーヤタナと呼びます

サンニャー(想)がある事も正しくなく

サンニャー(想)が無いことも正しくないのです

サンニャー(想)が大変微小に残っているところなのです

サーリプッタ尊者はこの状態はウィパッサナーをすることが出来ると

説かれたのです

しかし

この部分(色界4禅)を超えてしまうと

サンニャーが無くなってしまい

ウィパッサナーが出来ないと

言われたのです

サンニャーサマバット(想が残っている禅定)ならばウィパッサナーが出来る

もしもサンニャーが無くなってしまったならば

本当のウィパッサナーは出来ない

と言われたのです

ですからよく区別するのですよ

サンニャー(想)はパンニャー(智慧)の敵では無いのです

全く別のものなのです

正しくサンニャー(想)を持たなければらな無いのです

仏歴2565年4月2日

類似法話 Saññā 知ろうと意図する心⑧ ルアンポー・プラモート師

アニッチャ・サンニャー 形、感情、知覚、すべての能力。 精神は無常です。 このようにして五つの凝り固まった集合体の無常を考えることができる。 これはアニカ・サンヤと呼ばれます。

リンク

*劫(こう) 【仏教】世界が1回消滅するまでの時間。極めて長い時間をあらわす。雑阿含経ではその長さを例えて1由旬立法(約14.4kmの3乗)の鉄城にケシ粒を満たして百年に1粒づづ除去していって全部除去してもまだ1劫は終わらないとしている

タイ日大辞典(富田竹二郎)


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