⑭自分自身の心を読む ルアンプー・プラモート師
(続き)初めのうちは欲(ローパ)が沢山あるのです
しかしそれに気づきが間にあっていくと
ほんの少しの欲が生じただけでそれを知る事が出来るのです
私達はこのように「知る事」を実践するのですよ
これを正念(サンマー・サティ)と呼びます
正念(サンマー・サティ)とは自分自身の心の振る舞いにに気づきを間に合わせる事です
これは重要なことです
そして
この正念(サンマー・サティ)が生じる時
正定(サンマー・サマーディ)もいつも同時に生じるのです
例えば私たちが型のある瞑想をします
「プットー・プットー」と念じ続けると
私達の心はサティが途切れて
違う事を考え始めます
そして
「心が違う事を考えた」とサティによって
知るのです
考え事に浸り込む心が消えたならば
それを知る心が生じるのです
その「知る心」というのが
正念(サンマー・サマーディ)なのです(続く)
19:15~