Saññā 想念
Saññā 想念について、なかなか理解が進まなかった事からあまり意識してこなかった部分でしたが、今回理解を深めてみようとおぼえ書きの記事です。
丁度、2022年12月17日のルアンポー・プラモート師の法話を聞いていましたらこの想蘊(そううん)の話だったのですね、それからスマナサーラ長老の法話をたまたま見ていたらPapañcasaññāsaṅkhāパパンチャ・サンニャー・カンダの質問をされていた方がおり、同じ想蘊=サンニャーの話を二人のお坊様から同じ日に聞き、とても参考になったので文章に記録しておこうと思ったのです。
まず、Saññā 想念とは我々を構成する五蘊(ごうん)の要素の一つです。パユット・オー先生の仏教辞典を確認すると、「五蘊とは、自我、われーかれなど施設として呼ぶものを一単位に就業した5つの色蘊と名蘊の集まり」とあります。なかなか難しいです。プラモート師の法話の言葉を使ってみますと五蘊とは生き物を構成する5つの塊、ということになります。蘊(うん)というのは塊という意味なのです。そして、生き物すべては五蘊で説明することが出来るということですね。
五蘊とは色蘊(ルーパカンダ)、受蘊(ヴェーダナー・カンダ)、想蘊(サンニャー・カンダ)、行蘊(サンカーラ・カンダ)、識蘊(ヴィンニャー・カンダ)の5つになります。五蘊で全てといいましたが一つだけ五蘊外のものがあり、それは涅槃になります。
色(ルーパ):物質世界を感受し(ヴェーダナー)、想念(サンニャー)概念のデータベースによって行(サンカーラ)が回転し、認識する(ヴィンニャー)が生き物の認識の流れということですね。
では本題のSaññā 想念ですが、タイ語ではสัญญา(サンニャー)、またパユット・オー先生の仏教辞典に戻ってみますとこのようにあります。
これも難しいですね、所縁とは(Ārammaṇa):アラマナ、認識対象のことを指します。我々が認識できるのは、6つ器官を通して対象を認識します、つまり、眼・耳・鼻・舌・身(触れること)・意(頭の中の記憶など)の6つからのみ認識できるわけです。
言い換えてみると
Saññāとは認識対象を覚えようとする機能のこと
となりそうです。
ルアンポー・プラモート師の法話(2022年12月17日)ではこのSaññāを瞑想実践でどのように観ていくのか語ってくださっていますが、その前にもう少し教科書的にSaññāを深堀してみたいと思います。
一つはタイのパユット・オー師の仏法の解説より
もう一つはスリランカの ワールポラ・ラーフラ師の著書より
参考 スマナサーラ長老 Papañcasaññāsaṅkhāのご解説