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わたしが生じる メーチー・ジュン師
本当は
”わたし”というものは初めから無いのです
”わたし”というものは執着することから生じてくるのです
それはあたかも
自然にあるものを”わたし”として無理やり持ってくるようなことなのです
私たちがリゾートホテルに泊まっていたとします
しかし
私たちがこのリゾートホテルの持ち主とは感じないでしょう
宿泊が終わったなら
私たちは帰らなければなりません
これなのです
真実は同じことです
呼吸が生じることも同じです
生が生じることも同じです
私たちは一瞬、その場にいる客とおなじなのです
私たちが苦(ドゥッカ)を感じるのは
本当に”わたしがある”と思っているからなのです
本当に私たちのものと思っているからです
本当に私たちの子供と思っているからです
ありとあらゆるものが”本当に私のもの”と思っているからなのです
ですから
本当に苦(ドゥッカ)が生じてくるのです
それは
”わたし”というものの観え方が
最初から間違っているからです