サティは問題につける薬 メーチー・ジュン師
「お寺に行く機会があったらいいのに」
この言葉を何度も耳にすることがあります
「お寺に行ければいいのに」
ほとんど毎回この言葉を耳にします
しかし
「本気でお寺に行こうとしている人」に会ったことはありません
つまり
「お寺に行こうと機会を作る努力する」という言葉は
明日と来世どちらが先にくるか分からない
ということなのです
もしも死、その時が来たのならば
準備は整っていますか
私たちはその時になってから
願を掛けても仕方が無いのです
私たちがそこから離れる権利があったとしても
離れられるのでしょうか
それはただの言葉なのです
命令する
これもただの言葉です
私たちは本当は離れることは出来ないのです
私たちは本当は命令する事は出来ないのです
私たちが命令したり
離れようとするのは心です
しかしそれは
生じる事すべてを受け入れる事なのです
いつか死ななければならないと知らない人はいますか?
いつか離れ離れにならなければならないと知らない人はいますか?
いつか病に侵されなければならなくなると知らない人はいますか?
しかし
このことに心が波絶たずに受け入れられる人は何人いるでしょうか
これなのです
私たちが訓練していかなければならないことは
病気や痛みが生じること
これは学ぶべき善き事なのです
苦(ドゥッカ)が生じる事
これは学ぶべき善き事なのです
よくそれを観察するのです
よく観るのです
感情を持ってそれらを見ると
全て私達に問題を引き起こすのです
しかし
サティとパンニャー(智慧)を伴ってそれらを観るのです
サティは問題につける薬なのです