運命の人 ルアンポー・プラモート師
私達はこの世で
運命の人に出会いたいと
願っています
それを
”波羅蜜(バラミー)のカップル”と言います
波羅蜜のカップルと成れるものは
徳と波羅蜜を共に積んできたカップルなのです
それも決して少なくない徳と波羅蜜を
共に積んできたのです
ある一生においては
このつがいは
離れ離れになってしまうこともあるのです
しかし
お互いの正直な真実の心によって
惹かれ合うものなのです
なぜならば
タンブン(徳を積む)や善行為を
共に積み続けてきたからなのです
そして
心に繋がりができ
心が惹かれ合い
頻繁に会うようになるのです
しかし
普通はこのようなことは起こらないのです
ほとんどは
夫が変わり
妻が変わり
その繰り返しをしているのです
前世を見るまでも無いのです
今生きているこの生を見ても
今の時代
昔の時代
パートナーを変えてきているのです
高校生になると
パートナーを探し始めるのです
女性と男性
女性と女性
男性と男性
パートナー同士になり
とても愛し合うのです
しかし、しばらくすると
それぞれが飽きてしまうのです
なぜならばそれは
ブン(徳)とクソン(善行為)に依った
繋がりでは無いからなのです
煩悩、渇愛、欲の為を満たす為に出会い
満足しているからなのです
もしも私たちが
ブッダの教えの通りに輪廻の真実を理解するのであれば
私たちが出会った人で両親や兄妹で無かった人は
ほとんどいないのです
すると
それほど人を嫌ったりしなくなるのです
例えば
私たちが嫌っている人が
もしも両親兄妹であったのならば
嫌うようにはならないのです
可哀そうだと思うようになるのです
前世を思い出すことが出来ない私達は
両親は二人しかいないと思っていますが
そうでは無いのです
あるいは
夫や妻が一人しかいないと思っているのです
ですから
死んでしまったのならば
とても悲しくなってしまうのです
しかし
どれほど悲しくなったしても
それほど長いないうちに忘れてしまうのです
ある人は一生忘れないという人もいます
しかし
また生まれてくる時にそれを忘れてしまうのです
そしてまた別の人を愛していくのです
輪廻は清々しいものは何も無いのです
変わらず続く事は何も無いのです
いつまでもこのようなものなのです
ですから
このことを理解するのであれば
執着しなくなってゆくのです
落ち込まなくていいのですよ
私たちが愛する人が死んだら
どこにいるのでしょうか
それは
彼ら彼女ら自身の業に従うのです
しかしもしも
私たちがパートナーと共に
業を同じように作るのであれば
例えば善い戒を同じように持つのであれば
あるいは悪いことを同じように持つのであれば
同じようにダンマを持つのであれば
ある人は同じようにケチであったりするのですが
戒とダンマを同じように持つのであれば
お互いに惹かれ合うのです
再び出会うことになるのです
しかし
ある人は善くある人は悪い組み合わせであれば
いずれ別々の道へと離れていくのです
ある人は谷底へ向かって歩き
ある人は山頂に向かって歩くようものなのです
まず初めに一緒にいることから始まるのです
しかし歩み始めるならば
それぞれ別の道を歩んでいくのです
輪廻は人それぞれなのです
本当に真実の波羅蜜(バラミー)のカップルは
シッダッタ王子とソータラー王妃の様なカップルは
本当に見つからないです
徳と波羅蜜が満たされた為にそうなったのです
さもなければ
運命に従って動いているということなのです
ですから
もしも夫を妻を心から愛しているのならば
お互いが戒を同じように持つ様にするのです
お互いがダンマを同じ様にするのです
善き方向へと進むべきなのです
悪き方向では無いのです
もしも同じように悪きを行うのならば
同じように落ちて行ってしまうのです
同じようにカップルで善いのであれば
徐々に同じように高まっていくのです
輪廻はこのようなものなのです
ですから
もしも私たちの愛する人が死んだとしても
悲しみに明け暮れてはいけないのです
徳(ブン)と善行為(クソン)を作り出し
それを捧げることで
心同士が結ばれ
心の繋がりが出来るのです
ある人は
いつの生でも再び出会います様にと願うほど愛している
妻が早くに亡くなり
あるいは
妻は何十年も先に生まれ
そして再び出会うのです
すると
夫は大変若く妻がとても年上ということが
あるのです
この様な事が無いということは無いのです
しかし
死にそして再び出会うということは
大変難しい機会なのです
大変少ない機会なのです
なぜならば輪廻は大変に長いので
難しく大変なのです
生き物は数えきれないほどいるのです
そして入れ替わり立ち代わりしているのです
ですから
再び戻ってきてまた出会うということは
大変に難しい事なのです
毎月1日の宝くじで大当たりするよりも難しいことなのです
ですから
わたしたちはそれに執着してはいけないのです
もしも今世で一緒になるのであれば
互いに善くあるようにするのです
生きている事の質を上げていくのです
戒とダンマはお互いに善く
更に善くなっていくのです
そして真実のダンマを実践する友となるのです
あらゆることは業の法則の元にあるのです
他のものは無いのです
私たちが出会う人を好きになるのか
私たちが出会った人は煩悩を起こさせるのか
それらは業の法則の下にあるのです
他に何もないという言葉は
たまたま起こるということは無いということなのです
ですから
出会ったのならば出来る限りの法の実践を行うのです
なぜならば
それほど長くないうちに
別れなければならないからです
後になってから悲しむようなことになってはいけないのです
仏歴2564年7月17日
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