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鼓膜のスイッチ:Anizine
身長160cmの人の前で「ボクは170cmだ」と
優越感を誇示する人は、
180cmの人を目の前にすると何も言わない。
「相対評価」とはそういうことで、自分が勝負できる部分は声高に主張し、それ以外の負けている部分は都合よく無視するものです。1993年に山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』という本を読みました。主人公を取り巻く相対評価の都合良さを鋭く描いていて、感心したことを記憶しています。
では相対評価の自尊心は悪なのか、というとそうとも言えません。「自己肯定感」という言葉が流行語のようになっていますが、誰でも自分自身を肯定しないと生きていけませんし、生きていく意味がありません。ただその拠り所となる優位性の根拠がとても幼稚になっているような気がしています。『ぼくは勉強ができない』の主人公は、勉強はできないが女の子にはモテる、と自己肯定感を持ちますが、それは彼らが高校生だからいいのであって、いい大人がそれでは困ります。
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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。