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First name:Anizine・写真の部屋(無料記事)

自分がソーシャルメディアに書いたり、人と話すときに、他人の名前や固有名詞を全部なくしてみるといい。そこに残ったのがあなただ。

一流企業の名前、乗っているクルマ、着ている服、それらをすべて捨てて、南フランスのヌーディストビーチに立っているところを想像して欲しい。いや、南フランスは固有名詞だから、どこかわからない場所で。

私はそこでただ『メタボリックな肉体』を人前にさらすことしかできません。

でもそれは恥ずべきことでしょうか。その劣等感を他人の目から覆い隠すために身につけているのが、自分を飾り立てるブランド品の数々です。自分の言葉から「他人が作り上げた価値」を差し引いたら何も残らないというのは悲しいと思いませんか。原始的であること、本質であること、嘘がないこと。私がいつも考えていることを次の本に書こうと思っているのですが、同時に同じ考えで写真も撮ろうと考えています。

さっきトイレでオシッコをしていたとき、ふいに「First name」という言葉が浮かびました。自分からあらゆる他者を取り除いたときに残るのは名前だけしかないのではないか。苗字は結婚すれば変わることもありますが、親が子どもに愛情を込めてつけた『ファーストネーム』は不変です。文章にしても写真にしても、そこにあるのが限りなく動物に近いピュアな存在であって欲しいし、しかし人間であるなら名前は不可欠。そんなことを排泄しながら思いつきました。

前回の『ロバート・ツルッパゲとの対話』も根っこのところではそう思って書いていたのですが、次はよりソリッドに表現できるといいなと思っています。年齢を重ねるにつれ、無駄なモノがいらないと感じるようになってきます。若い頃にいいと思っていたモノのくだらなさに気づかされることもしばしばですが、まあそれも通過してきたからわかったことであり、若気の至りというものです。

もしかしたらずっと作らずにいた写真集に取りかかるかもしれません。私は写真家ですが写真集がそれほど好きではなく、その数百倍、映画や小説が好きです。言語はビジュアルより先にあると思っているからで、私にとってどれほど素晴らしい写真集も映画や小説に勝つことはありません。そういう理論武装で今まで写真集から逃げていたのですが、ちょっと真面目に考えてみます。

排泄しているときに思いついた、という解説は不要かとも思いましたが、そういう無の瞬間に頭に浮かんだ言葉は間違いが少なく、勝算があることも知っているので一応メモとして書いておきました。

というご報告でした。



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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。