作画机ひとつとっても~ジブリ私記19
ぼくが描けるジブリのことなんて、大したことない。
前回ぼくが描いたのはスタジオの2階のだいたいの配置図であって、「だいたい」でしかないし、あの文章で言っていた/求めたように、あの当時の記憶やいきいきした感じをよみがえらせること、なんて、とても出来てやしない。
だからそのスタジオの配列を決定づけていた「作画机」の描写なんて、とても出来やしない。
あの、学習机に似ていて、非、なるもの。
学習机みたいに、すべすべした合版じゃなくて、あらっぽくヤスリがけしただけでニスを塗った、あの素材丸出し感の机。
割れたのを見たことがないから、よほど頑丈なガラスでできている作業面。ほどよく手前に傾いて、手元左についているクラシカルなオンオフのスイッチ。あの作業机に内蔵してあった蛍光灯は蛍光灯のままだったのだろうか。デジタル化の流れのなかでLED化の時代と共存していた作画机はあったのだろうか。
そして棚類。頭上に幅広の棚が一段あって、それはいま作業しているカットと並行して作業しているカットをいっとき眠らせているための棚。それから右手に数段の手狭な棚があって、それはまだスケジュール的に余裕のあるカットが整然と、タイムシートを2つ折りして挟んだ形で整理されてある。
机の上段の棚の上の平台になっている部分も素材の置き場所になっていて、だいたいカット袋が中身が詰まってふくれあがったのがどさどさと積み重ねてあるのが通常運行。
でも一番せわしないのは、バックライトが点いたガラスの作業面に置いた、現在進行形のカットが数枚。たとえばA3~6にあたる数枚がガラスごしの光で透けるようになっていて、残りの前後する作画は机の奥に置かれている。A1~2とかA7以降とか、Bセル以降とか。
机の奥の左か右に電動鉛筆けずり。
作画ブースを定点観測したら、ひとの手元だけが高速で動いて、たまにどこかから鉛筆けずりのガガッていう音が響く。
そうやって作画マンは(ウーマンも)上映秒数にして数秒あるいはコンマ何秒(の層の重なり)を毎日毎日、政治家みたいに乱発しない意味での「粛々」と作業をつづけていく。しかもそれは色を塗られたり、背景と組み合わされたり(まだ)していない素材でしかない。
そしてそれは労働として外形的に見る限りとても「地味」だ。
しかしそう見えてしまうのはぼくが演出助手でしかなく、アニメーターだからではないからかもしれない。地味に見えたとしても、彼らの動作、鉛筆の線のひと筋ひと筋が「入魂」な思いでなされていないと誰が言えよう。
宮崎さんくらいになると、椅子の上にあぐらをかいて、C3の上に修正用紙を重ねつつ、「ふっ!」とか「ぐっ!」とか声をあげ(つまり声で威勢をあげ)ながら原画の修正とかしてたものだ。作画のひとはまあ、遠慮ぶかくふるまって、声をあげていないだけなのだろう。
しかしぼくに何が言えよう。2年とちょっとしか現場経験のない人間には、作画の巧拙などまるでわからなかった。
宮崎さんと作監の高坂さんの間には高いスチール棚が置いてあって、出来上がった原画がチェックを求めて積み重ねられていき、宮崎さんや作監の判断で優先順位をつけて高さの違う段にふりわけていく。
宮崎さんとL字型に机を並べていた作監の安藤さんが、制作進行さんがあがった原画をまとめて持ってきて、スチール棚の所定の位置に積み重ねて、また持ち場へ戻ってしまうと、それを見計らった安藤さんが独特の足つきで(ちょっとムーンウォークっぽい歩行の癖がいまも残像のように頭の中で再現されたので、我ながらちょっと驚く)いま制作進行さんが置いていった最新あがりの原画を手に取るとぱらぱらと見ていく。だいたいはそのまま元の場所へ置いておくだけだけど、たまに(ここからは聞こえないほどの)小声で宮崎さんにささやきかけると、宮崎さんも勝手知ったる反応で安藤さんから渡されたカットをその場でぱらぱらっと見る。すると、安藤さんに顔を向けて「ムハハッ!」と声をあげて笑うのだった。それが出色の原画があがったときの一連の所作だった(高坂さんものぞきこんで談笑するときもあった)。
安藤さんも四半世紀前の行動を叙述されては困るだろう。
しかし安藤さんや高坂さんだけでなく、作画のひとは総じてぼくの生意気さを受け入れてくれたのがいま思うと不思議だ。
嫉妬したり変な言動に出るひとは演出助手と制作進行のひとだった。『もののけ姫』の制作が終わってスタッフの入れ替えが起こったとき、辞めることになった制作進行のひとりが、周りに人がいなくなった瞬間を見計らって、ぼくに向かって、
「お前なんか、すごくも何とも、ないからな」
と言った。
けれど、彼と実のある会話を、ひとつとしてしたことはなかったのだから、「ああ、ルサンチマン……」と思うだけだった。
この連載も、そうしたルサンチマンに(何重にも増幅される可能性に)取り囲まれながら続けているのでした。
さて、本当なら、作画ブースの「夜の儀式」を描きたいところでしたが、作画机まわりのことを書いていたら、案外手間取った。「儀式」といっても、怪しいことではありませんので誤解なきようご期待ください。
あ、大事なことに気づいた。
作画のひとに嫌われてなかったって言っても、若手のひとには、ってことですね。
ぼくは、ベテランのひとにはなぜかすごく嫌われていましたね。宮崎さんの「盟友」とでも言うべきひとには、押しなべて。あの対照性はいったい何だったのか。
でも「それ」を語り始めるにはまだ早いのでした。
で、こんなつぶやき
というついでに、ぼやきます
前の記事にさかのぼるなら、