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巨匠との寿司(その1)~ジブリ私記17

 たまにはたわいのない話でも書いてみよう。
 巨匠と寿司の話である。
 たまたまだが、ぼくは宮崎駿と高畑勲、それぞれと寿司を食べに行った経験がある。
 宮崎さんとは、ぼくがまだ新人ほやほやのころに寿司に連れていってもらった。
 しかし記憶がいまいちあやふやだ。
 宮崎さんが3億円だかの税金を支払いに行ってきた帰りだったのか、それとも「トトロの森」に3億円だかを寄付してきた帰りだったか、忘れてしまった。納税と寄付がほぼ同時期に宮崎さんの手で行われたのは確かなので、そのふたつがぼくの記憶のなかでごっちゃになってしまった。
 朝一番に出勤するのが宮崎さんの変わらぬ習慣だったのに、その日の宮崎さんは午後になってからの出勤だった。社内ではもっぱら「何億円も税金を納めに行ってる日(もしくは寄付?)で出勤が遅くなる」と噂でもちきりだった(何しろ本人がいないので噂し放題だった)。
 実際、宮崎さんは午後になってスタジオに現れた。カバンも持たず、手ぶらだった。作画ブース側の入り口で宮崎さんはスタッフに囲まれてわいわいやっている。ぼくはちょっと好奇心があって(仕事もひまだったので)遠巻きにその輪に加わっていた。スタッフたちの問いかけは声が小さいし、宮崎さんの方を向いているのでよく聞こえない。宮崎さんが受け答えする声だけがよく聞こえる。
「なんか、バカバカしいな。こんなに持ってかれって」
「納めるとなったら、納めるだけです」
 そんなような受け答えだから、やはり納税だったのかなあ(いや、その受け答えも記憶を捏造しているかもしれないが)。
 ぼくはまだ新入社員だったから、同期の新人作画マンたちと並ぶように遠巻きにして宮崎さんたちの受け応えを聞いていたのだが、ふとした拍子に前列の作画マンが席へもどったりしたのだろうか、気がつくとわれわれ新人と数名が話の輪に残っていた。
 そのとき宮崎さんがポケットから茶封筒をとりだした。
「たくさんふんだくりやがって、これしか残ってやしない」
 宮崎さんはおもむろに封筒の中身を引っ張り出して、
「う~。3万とちょっとか……」
 何億円を税金に納めたのかしらないが、そういう巨額の納税でも現金で決済するものなのか、そして残金は少なければこうやって現金で手渡されるものなのか。しかし宮崎さんなら案外、税務署まであえて現金を持参してしまいかねないところがあのひとにはある。昨今のキャッシュレスな決済なんて宮崎さんは特に嫌いそうだ。「バーチャルなんだな。空虚なんだな」とか言って。
 どういう仕組みからわからないが、宮崎さんは3億円前後の金額を納税したあげくに(こう書いてくると基金に寄付ではなかったか)茶封筒に万札3枚と小銭を手にしている。宮崎さんはその茶封筒にお札と小銭をもどして、ふと顔をあげて、まだ取り巻いている新入社員(ぼくも含む)と数名の顔を見渡すと、
「おい、寿司行くぞ、寿司。こんな金、持って残していたって仕方がない。お前たち、寿司おごってやる。回っているやつじゃないぞ、カウンターで食うやつだ」
 そう言われてぼくを含む数名は、宮崎さんに連れられて高い料金をとられる寿司屋に行くことになった。五、六名で行ったから、カウンターではなく座敷で食べた。ぼくはまだ入社したてで宮崎さんとも大して口を交わしていなかったし、それは同期の作画マンも同じだった。緊張して、何を話し、どんな寿司を食ったかも記憶にない。新入男性作画マンと新人演出助手(ぼく)が勢揃いしていたから、あるいは宮崎さんにしてみれば新入社員にねぎらいの意味もこめて誘った可能性は大きい。ぜんぜんそんなところはおくびにも出さず、ふんぞりかえった姿で宮崎さんが新人に寿司でねぎらってくれるとは、いかにもあのひとらしい姿だ。
 しかし3億円納税して、茶封筒に3万円が現金で手渡された仕組みはいまだにわからない。謎だ。
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 宮崎さんと寿司に行った話を書いた。
 今度はそれから一年後、『もののけ姫』は完成して公開間近、ぼくは『もののけ姫』のスタッフからいちはやく外されて、数日間休暇をもらうとそのまま次回作・高畑勲監督の『となりの山田くん』の企画準備室に回された。
 1997年春のことだ。まだ『もののけ姫』は夏公開に向けて製作終盤にかかっていた。それから一年間、『やまだ君』は制作が順調に進んだとは言い難い、スローモーなペースで企画準備は進んでいた。試作のようにワンシーンが作られ(暴走族のシーンや、お父さんが酔っ払ってバナナを夜食に食べるシーン)、それから数カットが試しに作られた。
 あとは基本的に、高畑さんがこの原作をどう料理してアニメーション作品にふさわしいものにするか考えるのに時間が費やされ、準備スタッフ(メインスタッフ)は高畑さんがぼくらに言葉を発するのを待ち受けるしかなく、必要に応じて意見を言ったり、話し合いをしたりするのをたまに(たまにだ)した。
 その一年間は、試作的なシーンやカットだけをアニメーターが作成するほかは、作画も美術も(仕上げ、撮影も?)外注をこなして「無為」をしのいでいた。彼らの多くに社員として月給を支払っていたのだから、経営的にはそうとう消耗させられていたはずだ。
 企画準備の段階でメインスタッフブースには、作監(当時は)の田辺修さんに小西賢一さん、演出助手にぼくとチーフのふたり、そして制作進行からひとり、という構成だった。
 『もののけ姫』から『となりの山田くん』になる段階で、3人いた演出助手のうちセカンドが馘首になった。スタジオとしては演出助手は基本的に2人体制にしたがったのだろう。いま考えると、2人体制にしたことによって、サードだったぼくがセカンドに繰り上がるわけで、人材としてはより現場に対応できる「使える人材」にする必要があった。しかしチーフはそうは考えなかった。むしろ敵対意識をむき出しにして、ぼくを現場から孤立する方策に出た。ここからもあの演助チーフの非常識性が問われるわけだが、ここのあたりはまた別の機会に本格的に書く必要があるだろう。
 いま話の流れとして(高畑さんと寿司を食いに行く話だ)、おさえておくべきポイントは、『やまだ君』準備の間、メインスタッフをはじめ、ほとんどのスタッフが次回作にふさわしい仕事がなかった、ということだ。メインスタッフ以外はまだ外注という手段をとれた。メインの作画マンも、キャラクター設定をつくっていったり、試作シーンの絵コンテを描いたりと、やろうと思えばなにか手を動かしていることができた。
 困ったのは演出助手と制作進行だった。チーフの演出助手は、ジブリで暑気払いに行った自転車レース(「ツール・ド・信州」と言った)を撮影したビデオの編集にとりかかって、『となりの山田くん』準備期間中の一年間、ずーっとやっていた(信じがたい話だが、ぼく以外誰も問題視していなかった)、制作進行のひとはスタジオをひとりでふらふらして回っていて、何をしているかわからなかった。
 ぼくはそんな真似ができるほど、スタジオの「慣習」に慣れきっていなかった。
 そこでぼくはひとつの大きな仕事をするのだが、それはまたおいおい別の記事にしよう。
 要するに『山田くん』の制作期間2年のうち、半分の一年間は高畑さんが確信をもてるまで何もすることがなかったのだった。その「無為」の感じの一年間は、会社組織として規格外なまでの「暇さ」だった。監査とかいう名の何事かが入れば、徹底的に糾弾されただろう。
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 だから基本的に、特にメインスタッフは、高畑さんがアクションを起こさない限り、何もすることがなかった(受動的な構えでいるとそういうことになった)。その「無為の感じ」はいま思うと、やはり「大したこと」だと思う。
 高畑勲といえば、「徹底したひと」として有名だと思う。「とことん企画内容にこだわる」。「妥協をしない演出家」とも言われるだろう。
 実際、ぼくが『となりの山田くん』の準備期間の1年、見ていたことはそういう「徹底」「こだわり」「妥協をしない」姿勢なのだと思う。
 また企画に・制作にこだわるあまり、「スケジュールを無視する」「締切に間に合わなくても動じない」ことでも有名だ。
 実際ぼくも1年間準備に携わっていて、出来上がったカットが数カットというのは大したものだと思った。こんな「進まなさ」で大丈夫かと思った。
 しかしそこで誤解されがちなのは、高畑勲に「積極的な何か」があると思われがちなことだ。あたかも積極的に、高畑勲は徹底し、こだわり、妥協をしない、のでは「ない」のだ。あるいは積極的に、スケジュールを無視し、締切に間に合わなくなる「のではない」のだ。
 もう一度言う。高畑勲は「なにか・積極的に・アクション」した結果、作品が徹底され・こだわりが現れ・妥協のない仕上がりになるのでは「ない」。「積極的な・アクションをした」結果「スケジュールが遅れる」のでも「ない」。
 むしろ高畑勲がすごいのは「なにも・してない」=「なにかを・積極的に・しているようには・みえない」結果として、「なんとなく・消極的な感じで・スケジュールが逼迫してくる」ところがすごいのだ。
 「積極的に・なにかをしないひと=高畑勲」であり、「あたかも、消極的に・スケジュールが遅れてしまうように・みえてしまうひと」だからこそ、関わった多くのスタッフが恐れをなして高畑勲の営為をたたえるのだ。
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 ぼくが関わったのは『となりの山田くん』だけだから、あくまでぼくの結論する高畑勲像とは『となりの山田くん』に限定された話にされてもかまわない。
 しかし「高畑勲と仕事をすると心配・不安になる」のは、この「怠惰にも見える・消極的な・なにもなさ」に直面するからにほかならないとぼくは断言する。
 多くの人が高畑勲と仕事をしてきて、この「積極的でない」感じの「たまならさ」をうまく言葉にしたのは、宮崎駿の書いた「ナマケモノ」論文だけであろう。ある意味無遠慮な書き方ができた間柄だから書けたのであるわけで、高畑勲には作品なり企画なりに向き合う姿勢が、どこか「どうしようもない」ものがあるのは確かなのだ。
 つまり、
「大丈夫か、このひと?」
 というひと言に尽きる。
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 高畑勲氏と寿司を食いに行く話のはずが、脱線して、それが案外高畑勲人物論として面白かったので、そのまま書いてしまった。
 それに、この結論らしきものから改めて始めて、もっと面白く伸ばして書けるなという感触を得たので、今回はここでおしまい。
 高畑氏と寿司の話(そんなもの、誰も期待していないか)はまた今度にして、今日はこのへんで終わりにしておきましょう。

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