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空想哲学短編『情溺(じょうでき)の海から抜け出せない賢い馬鹿たち』

第一章:水の上と水の中

ある日、哲学者を気取る男、アオヤギは都会の喧騒を抜け出し、小さな港町のカフェでコーヒーをすすっていた。目の前の海は鏡のように静かで、波一つ立たない。そんな穏やかな海を眺めながら、アオヤギはふと呟いた。

「人はいつから、海に溺れていると気づかなくなったのだろう?」

カフェの店員であり、哲学好きのバイト青年ケンタは興味を引かれ、問い返した。
「溺れるって、何の話ですか?」

アオヤギは微笑んで言った。
「知識という海のことさ。情報社会とやらで人々は溺れている。だが、面白いことに、溺れていることに気づかない者が一番危うい。」

第二章:情弱と情溺のはざまで

ケンタは、思い出したように話を始めた。
「それ、いわゆる『情弱』の話ですか?ネットでよく聞きますけど、知識が少ない人をそう呼ぶみたいですね。」

アオヤギは首を横に振った。
「情弱は、ただ知らないだけだ。知らないことを認められれば、それで救われる。だが、『情溺』は違う。彼らは知識の海に溺れながらも、自分が沈んでいることに気づかない。むしろ、水中から他人を指差して笑い、『論破』だの『賢い』だのと騒ぐ。滑稽で仕方ないよ。」

ケンタは首をかしげた。
「でも、賢いってことは、溺れているんじゃなくて泳いでいるんじゃないですか?」

アオヤギは苦笑しながら答えた。
「それが違うんだ。彼らは泳いでいるつもりで、実際には水の底に沈んでいく。しかも、沈んだ自分を見ないふりをする。まるでゾンビだ。」

第三章:無邪鬼な天邪鬼

ケンタはさらに話を続けた。
「じゃあ、アオヤギさんはその海の外にいるんですか?それとも、沈むのが嫌で浮き輪でも使っているんですか?」

アオヤギは笑いながら応えた。
「私は浮き輪なんか使わないさ。むしろ、逆に流されてやろうと思っている。無邪鬼な天邪鬼としてね。」

「無邪鬼な天邪鬼?」
「そうだよ。他人を論破したり、嘲笑うつもりなんてない。ただ、無邪気に、でも自分の道を天邪鬼らしく進むだけだ。沈むことも浮かぶことも気にせず、ただ流れるままに。」

ケンタは納得したような、しないような顔をして頷いた。

第四章:ソクラテスと聖徳太子の微笑み

「ところで」とアオヤギは続けた。「君はソクラテスや聖徳太子がどんな人だったか知っているかい?」

「なんとなく…賢い人、ですよね?」

アオヤギは笑った。
「そう、賢い。だが、彼らの賢さは、他人を論破することじゃない。他人の失敗を笑うことでもない。ただ、無知を認め、どんな相手にも微笑むことだ。」

ケンタは少しだけ恥ずかしそうに言った。
「それって…簡単そうで難しいですね。」

アオヤギは静かに頷いた。
「だからこそ、育ちの良さや本当の賢さはそこにあるんだよ。他人を嘲笑う者には、その境地は一生理解できないだろうね。」

第五章:沈む者たちへの処方箋

カフェを出たアオヤギは、海辺に立ち寄り、足元の波を見つめて呟いた。
「人は皆、少しずつ溺れている。でも、それに気づき、時々顔を上げて空を見ればいい。そこには、いつだって自由が広がっているんだ。」

ケンタはそっとアオヤギに声をかけた。
「溺れていることに気づく方法って、あるんでしょうか?」

アオヤギは振り返り、ケンタに微笑んだ。
「まずは、他人を嘲笑うことをやめることさ。自分がどこにいるのかを見失わないようにね。」

ケンタもまた微笑み返し、その日の会話を胸にしまい込んだ。

エピローグ:ゾンビの卒業

それから数年後、ケンタは小さな哲学カフェを開き、自らもアオヤギのように「無邪鬼な天邪鬼」として人々と向き合っていた。そこでは、賢い馬鹿たちも、情弱たちも、一つのテーブルを囲み、誰もが溺れずに心地よく知識を分かち合う場所になっていたという。

笑いの中で学び、微笑みの中で生きる。そんな未来が広がる世界があればいい――それが、アオヤギの最後の願いだった。

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