シェア
バカボンの兄 owari-chan
2024年6月22日 17:53
1998年頃の話。サイババ見物を早々に切り上げ、ボンベイ(ムンバイ)のサルベーションアーミー(安宿)に戻った。食堂だったかドミトリーだったか忘れたが、ビルマ(ミャンマー)で坊さんやってた、という人と知り合った。(以降、坊さん、と記す。)坊さんは言った。「食いっぱぐれたら、ビルマ行くといいよ。2万円で坊さんになれる。袈裟(けさ)代が2万円かかる。」…ホントかいな?そしてこうも言った。
2024年6月17日 15:42
1994年の話。レーまでは、ダラムサラ、マナーリー経由でバスで北上した。レーは標高が3500mぐらいあるので、陸路でゆっくりと標高を上げた方が、デリーからいきなり飛行機で入るよりも高山病になりにくい、とのことだった。なのにですよ!? マナーリーからバスで少し上がっただけで、ボクは高山病の様相を呈し始めたのだ。レーまでは、山中でのテント泊を含む、一泊二日もある旅程だというのに。休憩のため
2024年6月15日 17:37
2005年の1月だったか2月だったか。オーロラを観にいくことに決めた時、ボクはカイロのスルタンという安宿のドミトリーに泊まっていた。同部屋の人がパソコンを持っていて、アジアまわりのボクとは逆に、彼は米欧をまわってカイロにたどり着いた。そんでボクに、イエローナイフでしこたま撮ったオーロラの写真を見せてくれたのだ。この時期を逃したら、二度と観にいく機会はなう!! 今しかなう!! でも、イエロ
2024年6月13日 17:28
1998年3月、一週間の予定で、初めて屋久島に行った。鹿児島からのトッピーの中で、キロロの「長い間」が流れていたのを覚えてる。縄文杉を見にいったのだが、登山経験は皆無で、マジでキツかった。登山には足首を覆える靴がいいと聞いて、バイクのブーツで登ってしまって、足の裏の皮がベロベロにむけた。疲れすぎて、早く山小屋で休みたくて、縄文杉は2秒しか見なかったww翌年のリベンジを誓った。そして