スワン(コブ白鳥)のヒミコとの思い出
遥かなる邪馬台国
出雲を首都とした連合国家で、東端は北陸から関東。南方は畿内から四国、西端は九州にまたがった大帝国でした。
ところが、瀬戸内海(or北陸)経由で畿内に入った大和系が巨大勢力となり、邪馬台国(出雲系)の軍を打ち破り、日本統一に成功し、大和朝廷となります。(大国主のミコトの◆出雲の国譲り◆)。
弥生最大の妻木晩田遺跡(大山町~淀江町)を探検したり、周辺の山々も探検して構想が膨らみ
淀江~大山町を舞台にした電子小説を書いてしまったのです~(汗が100回)
⇒ 電子書籍: マーヤとアラシ (邪馬台国の使者)
◆この日本を作ったのは誰? 卑弥呼女王の石棺/幻の邪馬台国 前篇
◆この日本を作ったのは誰? 卑弥呼女王の石棺/幻の邪馬台国 後篇
四国の山奥を出て就職し、全国を転勤して都会や田舎をいくつも居住体験。
定年間近になり、春から秋の温暖化のムシムシに耐え切れなくなり、移住先は「山陰の鳥取県西部~島根県中部まで」と決めていたものの、さらに絞り込むために、脱サラ退職前後から車中泊で山陰をさまよいました。
岡山県の倉敷市にすんでいたため、高梁川沿いに北上して峠を越え、日野川を下り米子市入り。ここから東西へと車で探索(車中泊)を数カ月。
そして米子市から淀江町へ到達。ここの海岸で車中泊したときに、すぐ近くの宇田川(地元の呼び名は大川)で、野生のコブ白鳥のつがいとアヒル3羽に出会いビックリしました。
結局は脱サラして「涼しくて雪下ろしのない」鳥取県西部の淀江町へと移住。
やはり、この淀江町(米子市)という日本の始まり(邪馬台国)の遺跡群の独特の雰囲気。霊峰・大山に守られて開けた淀江平野。絶景の日本海というシチュエーションも終の棲家「淀江町」に定着した理由ですね。
コブ白鳥やアヒル達にエサやりを開始しましたが、市のほうからの依頼で鳥取県に出向き、保護計画書を提出して「宇田川での河川使用許可」を取得。
鳥に全く興味も接点もなかった私ですから、ここでのスワン(コブ白鳥)のつがいとのつきあいが15年も続くとは正直思ってもいませんでした。
このメスのコブ白鳥のヒミコとの付き合いは16年間。野生のコブ白鳥の寿命が15年ですから、大人になったヒミコとはその全人生のつきあいになりました。
オスのコブ白鳥のキタローは、ヒミコの再婚相手で、6年ほどのつきあいでした。
残念なことに、2羽とも2018年の前半に相次いで死亡。
そのメスのコブ白鳥のヒミコと言う名前は、もちろん、この淀江町(大山町も)の、弥生時代最大の妻木晩田遺跡に由来します。
ほぼ確定(学会は妻木晩田遺跡を認めない)ですが、邪馬台国の首都の出雲を守る軍事商業都市の妻木晩田の城郭。
邪馬台国と言えば「卑弥呼女王」ですから、ヒミコの命名はすんなりでした。
あわよくば、ヒミコの導きで天の岩戸を見つけてお宝ザックザクという目論見もありましたけどね(汗)
ヒミコ(メスのコブ白鳥)が老衰死したのは、去年の2月8日(2018年)。
これは前日7日の様子です。
積雪の中、ほとんど盲目のヒミコは、エサをウミネコ達に横取りされていて、私がウミネコを追い払い、ヒミコの背中の雪を取り除いてやりました。
そして2月8日の昼過ぎ。宇田川の河口の河原に降りると、倒れたヒミコの姿が。あわてて近寄り抱き上げると、まだかすかにもがいていました。
そのためすぐに家に連れ帰り保温して体をなでてやりました。
でも、30分後には静かに息をひきとりました。
ヒミコの死骸は、アヒル達が眠る河口のヒミツの場所に埋葬しました。
そこはヒミコの愛した穏やかな日本海や宇田川が一望できる浜辺です。
いろんな思い出のあったスワン(コブ白鳥)のつがいとの満ち足りた日々の記憶。
いつの日か、再び淀江町の宇田川に、別のスワン(コブ白鳥)のつがいが飛来することを期待して、毎日夕方には、200羽近いウミネコ達に餌やりを続けています。
スワン(コブ白鳥)達のいなくなった宇田川の河口(鳥取県米子市淀江町)
宇田川の中流にあるコブ白鳥達の住処だった場所
-----------------------------------------------------------
「有料マガジン」価格1,600円
"老化"にサヨナラ 驚異の「若返りで美肌、美髪」ゲット!
には、9本の有料記事(合計5,100円)が入っています。
この有料マガジンの価格は 1,600円 なのでチョーお得ですね。
-----------------------------------------------------------