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誰もが心に隠している糜爛。悪党は本当に悪人なのか。~Villain

今日はBUCK-TICK「ABRACADABRA」収録の「Villain」について。
トレーラーで初めて聴いた時から、あっちゃん(櫻井敦司)の、何かを振っ切って「その先」へ行こうとするような歌い方が印象に残っていた曲。

Villainについて

『Villain』 (作詞:櫻井敦司・今井寿 / 作曲:今井寿)
2020.9.21に発売された「ABRACADABRA」6曲目に収録。
タイトルは、Villain(今井パート)・糜爛(櫻井パート)のダブルミーニング。作詞は今井・櫻井の共作で、各自作詞箇所を歌唱。一見してどちらが書いたかわかる言葉選びで、それぞれの個性がわかりやすく現れている。

忘備録・言葉の意味など

villain
悪党、悪漢、ならず者
糜爛(びらん)
1 爛れ崩れること。
2 皮膚や粘膜の上層が剥がれ落ち、内層が露出している状態。ただれ。
惡の華
1990年発売・3作目のシングル曲。
同年 5枚目のアルバムタイトルで同作9曲目に収録。

タブー(TABOO)
1989年発売・4枚目のアルバム。同作9曲目の収録曲タイトル。
逸脱
「ABRACDABRA」制作当初から今井寿氏が口にしていた、今作のテーマのひとつ。

櫻井敦司が語るVillain(PHY,配信インタビューより)

ネットの匿名性が引き起こす出来事、便利さの一方で弊害として起こる人の闇、簡単に人を攻撃し、悪を裁いた気になる気軽さと罪の意識のなさへの怒りと怖さ。それらを物語として書きたかった、とのこと。
また「糜爛という言葉を使いたかった」と。
今井さんがタイトルとして提示した「Villain」が語呂もよくちょうどはまったらしい。

今井寿が語るVillain(PHYvol.17より)

おもしろいのが出来た。
最初からこのタイトル。
Villainのイメージで自分のパートを書いたら、自然にこうなった。

ふたりの個性が重なってうまれる破壊力

興味深かったのが、あっちゃんと今井さんの違い(個性)がいつも以上に顕著なこと。

現実の出来事に対する自分の感情やリアリティをとことん追求して言葉にしようとしているあっちゃん。
あまり考えていない(逸脱・オルタナなどの基本テーマから外れない、ということ以外は)という今井さん。
特に、今井さんが「結果的にこうなった」、「自然にそうなった」と繰り返し言っているのが印象的だった。

静かな凄みにちいさなユーモアを潜ませ、飄々と歌う今井さん。
何かを吹っ切って「その先」へ行こうとしているような、激しい歌い方のあっちゃん。

今井さんは、外側の事象にあまり左右されないヒト。
その時に出てきたもの、面白いと思ったものを作品にする。
あっちゃんは事象に揺り動かされた感情を作品として消化(昇華)する人。

とことん対照的なふたり。
なのに、それぞれが自分の世界を存分に表現しても、決して破綻することはない。
むしろ、ひとつになった時に、途方もない破壊力と見たことのない世界が生まれることは、過去の楽曲でも明らかである。
それは、互いの違いを尊重し、面白がり、信頼しているからこそ生まれるもの。(もちろんそれは、この二人に限ったことではないのだけれど。)

そして、ツインボーカルでのあっちゃんは、一人で歌う時より少しだけ自由で果敢に見える。今井さんいるし、飛び越えてみるか。みたいな感じがして、なんというか、すごく、きゅんとするのだ。

今井さんが描く「Villain」

囚われぬ魂 逸脱せよ
あまりにも華麗 稀代のハイレベル
軽々と それは惡の華
 ~Villain(今井さんパート)

この歌詞から、今井さんの思う悪党とは、一般常識という枠から著しく逸脱した者のことではないか、と思う。
悪、狂気、タブー。
どれも常識に縛られ、自らを善人だと思っている多数が眉を顰める行為。
しかし恐れを知らぬVillainは、そんな理不尽な世界から軽々と、華麗に、逸脱する。(善人からしたら、それはもう”狂気の沙汰“に違いない!)
Villain。
それは古き慣習や常識に囚われず、新しい世界を創る者…かもしれない。
そして今井寿は「逸脱せよ」と囁きかけて、私たちの中のVillainを唆す。

「おまえ」とは誰か。「糜爛」とは何か。

あっちゃんパートで歌われる「おまえ」。
匿名の世界で簡単に人を裁き、傷つける”外側の誰か”だと思いながら聴いていたのだが、次第に「それはわたし自身でもある」と思うようになった。

一人の人としての尊厳を犯され、殺されて生まれた「糜爛」。
顔のない、気味悪い、人を傷つけたいと思う「おまえ」。
どちらも間違いなく、わたしの中に存在する。

糜爛は、普段見て見ぬふりをしている自分の傷や醜い部分。
触れられると心が疼く。痛みのあまり、つい攻撃的になる。
それを「ある」と認められるか、それが表れた時にどう扱うか。
そこに、その人の品性のようなものが表れると思うのだ。

誰かを糾弾しているようで、じつは自分の心に問いかけている。
「怒りから生まれた曲」と言いながら、聴いた者が自らを省みる方向へと誘ってくれる。
人を傷つけることを恐れ嫌う、あっちゃんならではの歌詞だ、と思う。

最後に

きれいなものは、きれい。汚いものは汚い。そのまま。
でも、どっちも一緒。

この曲のあっちゃんの歌詞について聞かれた今井さんの言葉。

美醜、清濁、どっちも同じもので、どっちも存在している。
いいも悪いもない。
どう感じるかは、自分次第。
これも、彼らが伝え続けていることだ。

たとえば、行き過ぎた正義感は、人を傷つける。
がちがちに固められた価値観は、人を縛って追い込む。
タブーを犯した悪党が、革命家としてもてはやされる可能性だってある。

私たちは誰かの作った価値観に知らぬ間にか縛られているけれど、価値観なんて簡単にひっくり返る。

「じゃあ、おまえは何を信じる?」
「おまえはこの世界に何を見る?」
そう問われているようで、背筋が伸びる。
こんなふうに、BUCK-TICKの曲には自分を省みるきっかけになるものが非常に多い。



余談だが、最初にこのトレーラーを聴いた時、The Motalの「グロテスク」での毒々しい激しさや「アトム 未来派 No.9」収録の「Boy」でガーターベルト姿で太腿を晒して、表現の枠のようなものを壊したあっちゃんを思い出して、ゾクゾクした。
実際にライブで変化していくこの曲を、あっちゃんを、観たかった!
いつの日か、この目で観ることができますように。

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