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絹の布を使った稽古

前回の稽古では布を使った。絹の布を手にしたフリーダンスで、何かが起こってしまって、終わった時には放心状態だった。まるで夢のようで、何があったのか思い出せないという感じで、少し時間を置いてから、断片的に思い出されてくるというような状態だった。

そこで起こったことを言葉に残しておきたいと思いながら、なかなか書き出すことができなかったのは、やはり記憶が曖昧だったからというのもある。ただただすごい嵐が通り過ぎて、放心状態が続いていて、どこから手をつけていいのかわからないというのと似ているかも知れない。

とりあえずXではこんなポストをあげていたようだ。

布に触発されて次々といろんなことが起こったということだったのだと思う。体験したことは微かに遠い記憶として残っているという感じなので、少しずつ反芻しながら、丁寧に辿ってみようと思う。

シルクの布は元々蚕が吐き出したもので、動物性のものだ。その点で木綿や麻、化繊の布とは大きく違う。シルクはそういう意味で業の深い布と言えるのかも知れない。

そんな前置きがあったあと、布に手を触れ、さらに胸にあてていると、布は生きているかのように温かく、血が通っているような気持ちになった。布と自分の身体の境目がわからないほどに溶け合ったという感じだ。

お茶碗で同じことをした時にも、自分がお茶碗になったような、恍惚的な一体感というのがあったのだけれど、布の場合はそれがもっと柔らかく、繊細に有機的に結びつくというような感覚と言えばいいだろうか。

うっとりしながら、布の一端を持ち、はらりと下に落としていく。布に手の甲を当てながら、少しずつ滑らせていくと、その感触は表現がむずかしいと感じるほどに、身体全体がゾクゾクするほどに気持ちよいものだった。

手を返して、手のひらを滑らせると、布が直接身体の中に浸透してくるような感覚になり、布自体が自分の内的器官のように感じられたのだと思う。

その布を胸と腹の間のあたりに押し付けていたら、衝動的に布を引きずり出したいと感じ、布を引っ張りながら、上へ上へと引き出していった。それはまるで腹を割いて内臓を引っ張り出しているようにも感じられて、思わず込み上げてくるものがあった。

新年会の踊りでは仮面を外して素顔を晒したわけだけれど、今はさらに腹を割いて内臓までさらけ出そうとしているということを感じて、だんだんと嗚咽が止まらなくなっていったような気がする。

そのあとは、たぶんいろんなことをしたのだと思う。次々と布が動きたがるので、それについていくという感じだった。

胸のところから出して、前に向かって伸ばしていったり、頭巾のように被ってみたり、床に広げて思いっきり泳いでみたり、、、

もうめくるめく何かが進行していった感じで、自分でも何をやっているのかわからないままに、驚きながら、ことは進んでいったという感じだった。

終わった時には、放心状態で、本当に何が起こったのか、しばらく記憶障害に陥ったような感覚だった。

あとでお茶を飲みながらのシェアをしている時にもうまく話せなかったのだけれど、途中他の人の話を聞いている時に、突然内臓を引っ張り出そうとしたということを思い出したり、布を被ったことを思い出したり、後から断片的な記憶をつなげることで少しずつ思い出すというような感じだった。

この時のアーカイブ動画はまだ見れていないのだけれど、それを見たとしたら、さらにまた何か感じることがあるのではないかという気はしている。

うちにあったシルクの布が一部ほつれたり、破れたりしていたので、補修してみた。母が残した裁縫箱の中にたくさんの絹の糸があったので、それを使って補修したのだけれど、そうしたことで、その布がさらに普通の布ではなくなってしまったということを感じている。そのうち、この布を使って踊ってみたいと思っている。

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