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天国からのギフト 〜子どもカサンドラからの解放〜

妹が天国に旅立ってから
最初の外来受診日があった。

主治医の診察

私は前日に父とのいざこざで
自律神経が乱れて
脈拍が上がって150にもなって
まだ翌日も100越えていたけど、
何とか無事に受診できた。

採血データでは、
ヘモグロビンがまた少し下がって
貧血があるけど、エスワン継続になった。

左側の鎖骨と首、脇のリンパ節に転移したしこりが
少しずつ大きくなってきて痛みもあるので、
また来月、CT検査をして治療薬も考えると言われた。

診察室に入って、すぐに
主治医が妹の件で、お悔やみの言葉をくれた。

妹はずっと私とは別の大学病院で
治療を受けていたけれど、
最後ギリギリで
私が通院している病院の緩和ケアに転院した。

私と同じ病院で見送ることができた。

なので、私の主治医や臨床心理士さんにも
妹の件は、ずっと相談してきたし、
今回の件も知っているので
妹のことについて聞いたり、
私の気持ちを話すことができた。

カルテの情報は、個人情報になるので
詳しくは聞けなかったけれど、
私と妹は同時期に同じ遺伝性乳がんで
ずっと治療をしてきて
最期を看取ったので主治医と色々話せた。

最期はとてもしんどかったと思うけど
その直前までは、会話できていたり
前日までは、看護師さんにサポートされて
トイレも行けていたので、
本当に我慢強く、頑張っていたんだなと思う。

主治医に、色々な思いを聞いてもらった。

妹がずっと治療を受けていた大学病院の冷たい対応のことや、
こっちの緩和ケアに転院できて、
穏やかに見送ることができたことで救われたと。

特に看護師さんの看取りのケアには
本当に慰められたし
妹もきっとそう思ってくれてるんじゃないかと思う。

主治医は、指導する立場でもあるので
今後の為にも
私が話したことは、伝えていくと言ってくれた。

医師として、患者さんに寄り添ってあげることが大事だと。

大学病院や訪問医療では
焦りや不安が大きかったけれど
最期を緩和ケアで穏やかに見送ることができて安心したし良かったと言ったら
そう言ってもらえると、
こちらとしてもありがたいと言っていた。

妹のことを話すと、時々涙が溢れてきた。

でも主治医と話せたことでホッとしたし
心も軽くなった。

臨床心理士さんとの面談からわかった父親のこと

診察の後、いつもお世話になっている
臨床心理士さんとも面談して
そこから新たな発見があった。

妹が旅立った日、
妹の緩和ケアの主治医に許可を得て
私のセラピストとして、
臨床心理士さんも病室に
少しの間、私のサポートに来てくれていた。

そこで、私たち家族の様子などを見ていて、
私がすごく、私の両親や妹の家族みんなを
サポートしていたと褒めてくれた。

それから私の父親の話になって、
私と母が今までずっと感じていた違和感。

父はアスペルガー症候群では?という疑念を
臨床心理士さんは一瞬で見抜いていて
そうだとはっきりと言ってくれたので
私も確信に変わった。

その場に相応しくない、空気の読めない対応、
うろたえて、どうしていいかわからない態度。

子ども達や皆が泣いて哀しんでいる時に
部屋の隅で立っていた臨床心理士さんに
何度も笑顔で椅子に座るよう勧めたりする父親の表情や態度を見て、
そうだとわかったらしい。

逆に私がその場にいる人たちの思いをすぐに感じ取って、
義弟や姪っ子ちゃん達、
皆に気遣って対応しているのを見て
これは、今まで家庭で大変だったろうなと悟ってくれたよう。

私と父を見て
ものすごく人の感情がわかる娘と
全くわからない父親で正反対に見えたそう。

父は、毎日起床から就寝まで
ピッタリ時間通りにルーティンを過ごすし
毎日、何年間もずっと同じ物しか読まない。

新聞、国語辞典、英和辞典、地図、クロスワードパズルを
ただただ毎日、飽きもせず読んでいる。

妹の危篤の連絡を、看護師さんから母と妹の旦那さんにするよう言われて父が連絡した。

だけど単語でしか電話で話せず、
メールも単語で変換も間違っていて
両者とも危篤だと理解できてなくて
なかなか到着できなかった。

あまりに遅いので、私が両者にもう一度連絡した。
妹が危篤で看護師さんからすぐに来てもらうよう言われて待っているから、
早く病院に来て欲しいとLINEで伝えて、
ようやく両者は理解して
病院に駆けつけてくれた。

父親はASD自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群

数年前に、どうにも父親とのコミュニケーションが困難で言い争いが絶えなくて
父はもう私や母と一緒には住めないから、別々に暮らそうと言ってきた。

というか、そもそも私が中学、妹が小学生の頃から、祖父母の死をきっかけに
父は不倫して、ある日突然何も言わずに出て行って、10年以上別居していた。

私が社会人になった頃には、
祖父から継いだ会社も倒産、破産させて
自宅も財産も、全て失って一家で夜逃げして、
母方の祖母の家にお世話になったりと
家庭をめちゃくちゃにした過去があるけども。。

全てを失って、一文無しになった父は
その一連の騒動のゴタゴタに紛れて
新しく借りた私たちのいる家に
また普通に帰ってくるようになった。

それまでの自身のことの説明も謝罪も何もなく。

母親が昔に警察や探偵事務所に依頼して
父親が不倫相手と、その連れ子と一緒に暮らしていたことを私たちは知っていたけど。

当時、母が父に離婚したいと言っても
なぜかそれだけは拒否されたそう。

母は精神的に病んで、精神科にかかっていた。
蛇の生殺しにあっているようで辛かったと。

ただ祖母から、生活費は入れてくれてるから
父のことはATMと思って
普通に生活していけばいいと言われて
長年別居するという形になっていた。

数年前の別居の提案時、
私は乳がんの抗がん剤治療中で、
色々大変だったので
今すぐには無理だからと
その場は何とかおさまっていた。

私と母は、本やネットで色々と調べて
どうやら父は、発達障害、アスペルガー症候群じゃないかというところに落ち着いた。

でも父は家の中と外では全く別人。

外では、愛想の良い人仮面を被っているので
他の人には、なかなか理解されなくて、
専門家に診てもらった訳ではなかったので、
確信はできずにいた。

つい最近も衝突が起こった。
妹の旅立ちで、様々な用事がある中
私が父の配慮のない行動を指摘したことで
もう耐えられないと
父が家を出て行くとキレて、荷物をまとめ出した。

数日前にもまた揉めて、私も怒りが爆発した。
いつもなら、言いたいことを言ったら私もすぐに落ち着いていくのが
今回の妹の件があった家族の普通ではない精神状態ではないというのもあって、
いつもより体調がひどくなった。

脈拍が150になって
それがずっとおさまらなくて
薬を飲んでもしんどくて、
数時間苦しい状態が続いて
これはヤバいなと怖くなった。

夜だったのでどうしたらいいか
頭もボーとしてきて、
少し動いただけで、また脈が速くなるので
救急外来に電話して、受診するかどうか相談した。

看護師さんが当直の医師に指示を仰いでくれて
翌日に診察の予約が入っているので
心配だからとりあえず今は安静に過ごして
翌朝の主治医の診察を受けるようにと言われた。

母も背中をさすってくれて、
今まで絶対に謝らなかった父が謝ってくれて
しばらく安静にしてると
何とか落ちついていった。

子どもカサンドラ

ASD (自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群)

ASDは発達障害の一つで、
基本的な特徴として、
こだわりが強い、社会的コミュニケーションが苦手、パターン化した行動といった特性がある。

遺伝的要因と環境要因が合わさって、
発症すると考えられている。

以前から私は
父親は、アスペルガー症候群
母親は、カサンドラ症候群だと思っていたけど、
今回、「子どもカサンドラ」という言葉を初めて知った。

「子どもカサンドラ」の記事を読んで
まさに自分のことが書かれていると思った。


※以下記事より引用

・自閉スペクトラム症(ASD):コミュニケーションが苦手、相手の気持ちを考えられない、こだわりが強い、過集中、感覚過敏、など。

このタイプの親をもつと、子どもは親から共感を得られず、非常につらい思いをします。
また、こうした親のもとでは、子どもは愛情に飢えます。

一方、ASDの積極奇異型は人の話を聞かない傾向があります。
このタイプの親はしばしば「ワンマンな暴君」になりがちです。

父親がASDの場合、母親が寂しさを募らせ、子どもに依存するケースがあります。

子どもを自らのカウンセラー役に見立てて、愚痴や悩み事を話していることもあります。

これはある意味、子どもを精神的な「ヤングケアラー」に仕立てているのです。

また、親が発達障害の場合、夫婦間のコミュニケーションにつまづき、関係が悪化するケースも多くみられます。

発達障害の親が不倫に走るケースも多いです。

そんな「子どもカサンドラ」の人生は苛酷です。

「誰にも理解してもらえない」という思いが強く、成人後も対人関係に不安定さを抱えます。それが原因で、さらにつらい経験をするという悪循環を繰り返すことも多いのです。

精神科や心療内科を受診し、原因が親の発達障害にあると気づくことで、治癒に向かうケースもあります。

「子どもカサンドラ」は、複雑性PTSDになりやすいことが知られています。

戦争や大災害のような強烈な体験だけでなく、家庭における長期間の虐待なども、PTSDによく似た症状を引き起こすことがわかってきました。

これを普通のPTSDと区別して「複雑性PTSD」と呼んでいます。

PTSDに特有の症状はフラッシュバックです。一方、複雑性PTSDでは、フラッシュバックに加えて、感情の調整や対人関係の困難などの症状がみられます。

自分は価値のない人間だと感じる…発達障害の親に育てられた「子どもカサンドラ」の過酷な人生
精神科医 益田裕介


この記事を読んで、まさに自分のことだなと。

どうりで、めちゃくちゃ生きづらい
ハードモードの人生だったなと。

よく両親と口論になると
突然動悸がして、自律神経が乱れて苦しくなる症状があって、
この複雑性PTSDが原因だったんだと思った。

今までの私の人生が、
家庭環境、両親との関係から過酷な人生になっていたのだと、全てが繋がって理解ができた。

父方の祖父母も、ASDのような傾向があったみたいで、遺伝も関係あると思う。

加えて、父親は感覚過敏で、聴覚過敏。
些細な生活音も苛立って怒りやすい。

母は難聴で、耳が聞こえにくい。
チャイムやアラーム音もわからなくて、
物音や声がどうしても大きくなり
コミュニケーションもかなり取りづらい。

私も感覚・聴覚過敏でHSP。
父よりも過敏な面がある。
少し発達障害もあって、多動性はないADD(ADHD)かなと思っている。

妹は中学高校と不登校で、
引きこもり期間が長く
言葉で感情を表現するのが苦手で
父親に似てる所もある。

家族が一緒に過ごしても
お互いが違いすぎて
どうしてもストレスを感じることになる。

今回、臨床心理士さんと父のASDのことなどを話せて
今後、私が父とどう接していけば楽に過ごせるか
次回、資料などあれば持って来ますと言ってくれて
思わぬ方向から発見とサポートがあった。

私は幼い頃から、
父親のアスペルガー×母親のカサンドラ症候群・モラハラの
典型的な機能不全家族で
子どもカサンドラになる過酷な環境で育ってきたんだなと。

妹は、中学生になって不登校になってからは
自室にこもっていることが多くて
私は当時飼っていた2匹の犬たちがいることで、心のコミュニケーションがとれていた。

私は学校であったこと、部活のこと、
進路のこと、家庭のトラブル、悩み事など
親にも先生にも相談できなかった。

友人関係も苦手だったので
誰にも相談できず
自分の中に溜め込んで
ほとんど一人でこなしてきたんだなと思った。

今読み始めている本

ちょうど注文していた本が届いた。
ゆっくり読んで、自分を癒していきたい。

『精神科医が教える親を憎むのをやめる方法』/益田裕介


『親といるとなぜか苦しい:「親という呪い」から自由になる方法』
/リンジー・C・ギブソン



『親子の法則 人生の悩みが消える「親捨て」のススメ』/三凛さとし


『子どもの面倒を見ない。お母さんとの会話が少ない。お父さんが発達障害と思ったら読む本』/宮尾益知


母親のモラハラ/毒親

ここ最近、嵐の中にいるような日々だった。

両親は、元々私より妹を可愛がっていた。

私は両親に対して何でも思ったこと、
自分の意見やおかしなことは、
はっきりと言うタイプ。
言わずに我慢すると苦しくなる。

妹はいつも穏やかで、
両親に対しても何か意見を言うことはほとんどなかった。

それで、両親は私のことは生意気で憎たらしい存在として扱ってきた。

私が自分らしく生きることを阻止し
親という立場を最大限利用して
全力で押さえつけてこられた。

妹は親に歯向かってこない
素直で可愛い存在として扱ってきた。

特に母は、同じことをしても、
私と妹への態度は全く違っていて
私には何をしても気に食わないような
ヒステリー、否定、モラハラの態度をしてきた。

妹には絶対にそういう態度は出さずに
「不登校になるくらい繊細な子だから
言ったら可哀想」と
何をしても文句も言わず、
妹への不満や文句まで、
私に全部ぶつけてきていた。

父への不満も全て。

なぜ、私にだけ言ってくるのか聞いた時は
父は不倫で出て行ったし
妹は不登校だったし
あんたしかおらんやん!と開き直っていた。

私と妹が同時期に乳がんが発覚した時も
母はあからさまに、態度が違っていて
「ray*(私)だけなら、まだ良かったんだけど…」と私に言ってきて耳を疑った。

「あの子(妹)が乳がんになるなんて
小さい子どももいるし、本当に可哀想すぎて
代わってあげたい」と涙ぐみながら嘆いていた。

私にはそんな優しい言葉は、一切なかったので、母は普通の人の感情とは違うんだなと思っていた。

私が白血病になった時も、
「バチが当たったんだ」と酷い言葉を投げつけてきた。

白血病退院後、すぐに卵巣嚢腫の茎捻転手術があり、
精神が不安定になっていた時期にも
「あんたみたいな子は、次から次へと病気になるわ!」と言ってきた。

愛犬が亡くなった後、ペットロスから
強迫性障害、パニック障害で外出が困難になった。

毎日が辛すぎて、心療内科を受診したいから
病院に付き添って欲しいと言っても
「子どもじゃあるまいし、何で大人のあんたに付き添わなあかんの!」と何度も断られた。

もう死にたいくらい辛くなって
最後は「心の電話相談」をしてもらった
保健所の精神保健福祉士さんから
医師と福祉士のカウンセリングには
母親の同席が必要と言われて、
渋々、付き添ってくれた。

精神科医や福祉士さんからの説明を受けて
通院にも付き添ってくれるようになった。

乳がんになった時も絶対に
可哀想だとか、涙ぐんだりとか、代わってあげたいなんて私には言わなかったので、
妹への態度を見て
母の中にそんな感情があったんだと驚いた。

私を肉体的にも精神的にも
大病やメンタルの病で
死の淵まで追い込んできた毒親の母。


今回、妹の旅立ちという
家族の中で唯一の平和の存在を失って
何かがガラガラと崩れ落ちてきて
私も両親も、大きなダメージを受けている。

妹は結婚して、離れて暮らしていたけれど
妹というみんなの癒しの存在がいることで
何とか偽りの安定を保ってきていた。

母はまだ妹の死を認められないと言っている。

私が妹との態度の違いで辛かったことを話すと
「そんなこと覚えてないわ!」とヒステリーを起こして、いつものごとく耳を塞いで私の話をまともには聞いてくれない。

父は憔悴して、食事もあまり取れず
ちょっとしたことで、怒りが爆発して家を出て行こうとする。

両親は、私が子どもの頃や現在のこと
傷つき辛かったことを話しても
絶対に認めず、謝ってはくれない。

悪いのは、全て私だと。

親は私がよく病気になったりするせいで
大変な思いをしていて
本来なら、子が親の病気など世話する年齢なのに
苦労をかけられているのは
こっちの方だと主張する。

天国からのギフト

今回、色んなことが明るみになって
浄化でめちゃくちゃしんどいけれど
今は人生の大転換期なのかなと思う。

臨床心理士さんとの会話から
両親共に、やっぱり毒親だったんだなと
改めて認識できた。

これから、グリーフケアと共に
これまでの傷ついたこと
自分のPTSDも癒していきたい。

どんな暗闇の中でも必ず光はある。

めちゃくちゃ、しんどいけれど
でも光もあって
その光は天国の妹からのギフトだと思った。

嵐の浄化が起こったのは
今が手放して卒業する時なんだなと。

私の中にある
古いもう要らないエネルギーが出ていって
新しい、本来の自分のエネルギーで生きていける時なんだと。

もう二度と、こんな辛い経験はしたくない。

だから、この場所にも書いておこうと。

私はいつも書くことで内観して
浄化して、昇華されるので
セルフヒーリングのために書いている。

この父親の特性からくる家族の問題は
ずっと書きたいなと思っていた。

先祖から繋がってくる問題で根深く、
私の心の奥深くにあって
向き合うのも重たくて
なかなか書けずにいたテーマだった。

今回、意外な展開から
大きな流れとサポートがきて、
やっと書くことができた。

書きながらも、時々胸が苦しくなったり
動悸がしたり、トラウマ、PTSDが出てきて
心身が不安定になりやすいけど
とにかくもう全て手放したいと思った。

この道が、神様や天使たち、
そして天国に旅立った妹からの
サポートで、導きであると信じて書いている。

noteに書いて
先祖代々から受け継がれてきた
家族の深い闇を手放して、
光へと昇華されることを祈って。

花束を君にー宇多田ヒカル


天国からサポートしてくれてる
妹にも感謝を込めて。

以前よく聴いていて
最近、懐かしいなと改めて聴いたら
胸に響いて涙が溢れた曲。


宇多田ヒカル-花束を君に (切り絵Version)


私は宇多田ヒカルさんに似ていると
何度か言われたことがあって
特に母と妹には、
デビュー当時から言われていた。

妹が「ヒッキーを見ると、お姉ちゃんを思い出す」とよく言ってくれていたので、
私もヒッキーの曲を聴くと妹を思い出す。

祈り


天使の愛に包まれて
全てが癒されて
家族の闇が光へと昇華されますように

暗闇の中に光の花束を


読んでいただき、ありがとうございます🍀 サポート励みになります。