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「石がある」――無意味であることの意味――

「石がある」監督/太田達成、出演/小川あん、加納土 @ポレポレ東中野

仕事で郊外を訪れた女は、川の向こう岸で水切りをする男を見かける。女の存在に気付いた男は、服が濡れるのも厭わず川を渡る。野生の熊のように大柄なその男は、どことなく怪しげだ。突然のことに戸惑う女。こちら側に辿り着いた男は、女に水切りを教える。女の投げる石は、ぽちゃんと水底に落ちるだけで、なかなか上手くいかない。女は角の取れた丸い石を見つけて拾うが、男は誤ってそれを投げてしまう。「あ、ごめんなさい。探します」男は辺りを見渡す。二人は互いの距離感を推し量りながら川沿いを歩き、石遊びに熱中する。


〈現在〉がある


互いに名前を知らぬ女と男が川辺を歩き、何の目的もなく石遊びをする。ただそれだけの映画である。石を積み上げたり、水面に向かって投げたりする行為は、端的に言えば「意味がない」。ただ、無意味であるということも、また一つの意味なのである。
この作品は、観る者の個人的な記憶を想起させる。

小学生の頃、近くの公園で鉄棒の練習をしていると、同じくらいの年齢の女の子数名に話しかけられた。「ねえねえ、助け鬼しようよ」見覚えのない子だった。聞けば他の学校に通っているという。私たちは日が暮れるまで公園を走り回り、六時の無線チャイムが鳴ると、「じゃあねえー」と手を振って別れた。次の日、私は熱を出して親にこっぴどく叱られた。布団にくるまって、リビングから聞こえる「午後は〇〇おもいっきりテレビ」のみのもんたの笑い声をぼんやり聞きながら、「そういえば、」と思った。あの子たちの名前を聞くのを忘れていた。昨日は助け鬼で夢中だったから、自己紹介もちゃんとしていなかった。また会えるかな。今度会ったら名前を聞かなくちゃ。数日後、熱から回復した私は再び公園を訪れたが、女の子たちはいなかった。それきり、もう会うことはなかった。

それから、遠足で渓流に行ったときのこと(同級生の長靴に蛭が入り、大騒ぎになった)、夏休み、清流近くの宿に泊ったときに、絶えず水の音が鳴り響いていたこと――映画を観ながら、あらゆる記憶が断片的に思い起こされた。「石がある」とは何の脈絡もない。互いに名前を名乗ることなく、川で遊ぶ登場人物の姿をみて、ふと甦っただけである。
ここに書き連ねたのは、過ぎ去った過去の記憶だが、「石がある」を観ている間、それらは〈現在〉として私のなかに流れていた。過去はノスタルジーとしてではなく、〈現在〉として存在していた。
〈今/ここ〉に流れているのは〈現在〉であり、〈過去〉も〈未来〉もまた〈現在〉である。一日の終わり、男がキャンパスノートに書き付ける日記が過去形ではなく、全て現在形で書かれているように。

目的もなく、意味もない

女と男は、先ほど落としてしまった石を探そうとするが、無論見つからない。合理的に考えれば99%不可能なわけで、そのことは二人も重々承知している。ゆえに血眼になって探すわけでもなく、時折不器用な会話を交わしながら、川沿いを歩いていく。
「えっと、どこから来たんですか」 
「……あ、東京です」
「あ、東京ですか、知り合い、何人かいます」
枝を杖代わりに、ただ当て所なく。男はどことなく怪しいままで、薄ら緊張感が続く。

彼女ら/彼らの姿を見つめながら、その行為に「意味がない」と感じるのは、普段から自分が〈意味〉を過剰なまでに求めているからなのでは、と思い至る。あらゆるものが細分化され、定義づけられる現代。そのことが良い/悪い、ではなく、人はそうした現実のなかを生きており、存在や行為には〈意味〉が必要とされる。それを求める/求められるあまり、「自分の生きる意味は何か、自分には生きる価値はあるのだろうか」と思い詰め、苦しむ人もいる。
ただ、河原に転がる石は、〈意味〉があってそこに転がっているのでなく、ただ石として存在しているだけだ。人が〈意味〉や何らかの〈物語〉を見出そうと、あるいは〈名前〉を付けようと、石はただそこに〈ある〉。「ただそこにある」こと=存在そのものを、この映画は映し出す。

先日観た「ナミビアの砂漠」同様、「石がある」もスタンダードサイズが用いられている。興味深いのは、「ナミビアの砂漠」が河合優実演じるカナを入念に観察する――カナが常に画面の中心を占めている――一方、「石がある」では、むしろ登場人物がフレームの外にはみ出している点である。つまり、人物が映っていないにも拘らず、フレーム外から声が聞こえる、といった具合に。そこに映し出される川や石は、映画の〈背景〉ではなく〈そのもの〉として存在するのだ。

昨日落とした石と今日見つけた石は同じではない。石はただそこに存在しながら、川の流れによってその形状を少しずつ変化させていく。〈現在〉がゆるやかに変わり続けるように。


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