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隠して沈めたドロドロ感情を、書いてすくっていきたいんだ

いしかわゆきさんのこちらのエッセイを読んだ。

読んだ直後に出た言葉は、「わかる」と「すげー」だった。語彙が貧弱すぎる。

貧弱な感想をもう少し補強してみたいと思って、このnoteを書いている。

まず「わかる」。「わかる」な部分を引用させていただく。

ご丁寧に婚姻届の上にリングを3つ並べてさ、一体どこの誰に向かって報告してるわけ?お前は芸能人なん??と見知らぬ人に悪態をつくほど心が荒んでいることに気付いた。他人の幸せなんてクソ喰らえすぎる。

彼氏に振られたばかりの実家暮らし独り身アラサーと、結婚して好きな人との子どもを妊娠しているあなた。わたしにしてみれば十分キラキラして幸せそうに見えるんだよ。

妊娠の悩みなんてどうでもいいよ。こちとら妊娠するための相手がいねぇよ。なんでそんな簡単なことをわかってくれねぇんだよ。

子どものいないわたしに子育ての苦労なんて1ミリもわからないし、「子ども連れてきてもいい?」と言われて、「アンタと喋る時間がなくなるから嫌だ」と言える傲慢さを持ち合わせているわけでもない。

もう、すべてが「わかる」。共感しかない。

私の気持ちを代弁してくれた、と感じる。それは「かつて苦しんでいたあの頃の私が吐き出したかった気持ち」だったり「現在進行形で飲み込んでいるが確かに重荷になっている気持ち」だったりする。

特に最後に引用した「子どもを連れてこられるとアンタと喋れなくなるからヤダ」という気持ちは、ついこの間、あってもないことにするしかなかった私の心の叫びだ。

いしかわさんが出した、友人との距離感にかんする暫定解にも「わかる」と頷く。ライフステージがずれてしまった友人とのかかわり方にくるしさがあるならば、ぜひ読んでみてほしい。

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いしかわさんの本やnoteを読んでいると、本音を代弁してくれた、と感じることが多い。強烈な「わかる」が呼び起こされ、蔑ろにしていた・するしかなかった本当の気持ちを癒してくれる。自分だけじゃなかった、自分は最低な人間じゃないのかもしれない、と思わせてくれる。不貞寝していた自分のこころとからだが「しかたねー、起きるか」と少しやる気を取り戻す。感謝である。

いしかわさんの言葉に力があるのは、心に生まれたままに書かれているからなのかなと思う。あるいは、そう感じさせてくれるように、心の声を文章という「表現」に落とし込んでくれているからだろう。

心の声を文章にするのは難しい。少なくとも、私にとっては、とんでもなく難しい。

友人に対して抱いている薄暗い、ドロリとした感情。いしかわさんが挙げた感情のうち、いくつかはすでに飲み下し、消化してきたものだけど、いくつかはまだのどに引っかかっていたり、奥歯にはさまっていたり、酸っぱい匂いとともに迫り上がってきたりする。

こういう感情を、書こうと試みたことは何度もある。でも、うまく書けない。

こんなこと言ったら嫌われるかも。下品だと思われるかも。キモがられるかも。引き合いにした人が読んだらどう思うかな。世間的に、倫理的に、まずいんじゃないか。

そうやって自分の心の声にふたをする。生きていく上では大切にしている。でも文章にして、公開することにはまだまだ、まだまだ、ためらいがある。

そもそも「うまく書く」って、どういうことなんだろう。「素直に」?「的確に」?「読みやすく」?「おもしろく」?「学びがあるように」?「前を向きたくなるように」?

そのどれもが、難しい。その難しいことを、いしかわさんはやってのけている。ほんとうにすげー。

noteなどで書いている思いに、うそはない。でも、もっと書きたいことがあるのも事実だ。

言葉にできるほど、整理されていないんだろうな。整理されていたとしても、それを外に見せられるほど、受け入れられていないのかもな。どこまで見せるかも、曖昧なんだろうな。

包み隠すことにした気持ち。
心の沼底に沈めた思い。

そういうものを掬いたい。救いたい。
すくって、受け入れて、納得して、ぬるっと起き上がっていきたいし、それを「うまく」書いて表現したい。

自己満足かもしれないけど。

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