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藤井風を形作るもの-1st.アルバム「HELP EVER HURT NEVER」の世界観を読み解く 諦観と赦し、未来への希望

藤井風の愛読する「神聖な書物」

「きらり」アフタートークで「神聖な書物は読む」と話していた藤井風。書籍名は明かさなかったが、わたしは経典や聖書の類(たぐい)だとみている。

理由は、これまで発表してきた楽曲の歌詞にある。大体が聖書や経典にあるような「神の言葉」、もしくは「仏の教え」と似ているからだ。

信仰を持っておらずとも、一度でも聖書や仏典を読んだことのある人なら、同じような感覚を持っただろう。

彼はしばしば、スピリチュアルやハイヤーセルフといった抽象的、かつ概念的な発言をする。これは父親(先祖?)から受け継いだものも含め、何かしら、彼が信仰を持っていると考えられる。

だが、藤井風は特定の信仰対象を明言していない。彼はキリスト教の賛美歌(ゴスペル)を歌い、ツアー先では神社仏閣にも参拝する。これから書くものは、これまでの彼の言動と楽曲の歌詞から、あくまでわたしの主観で憶測を重ねたものだ。

特定の価値観にとらわれないフリースタイル

今や時代は”ボーダーレス”。今後、世界を視野に入れ活動するであろう藤井風も、年齢や性別、人種や宗教を越えた特定の価値観にとらわれないスタイルを目指しているに違いない。

信仰は個人の自由で解釈も人それぞれ。広義でとらえられるよう、主にキリスト教と仏教、二つの視点から彼の歌をみていきたい。


「HELP EVER HURT NEVER」は彼が編んだバイブルであり賛美歌

ファーストアルバム「HELP EVER HURT NEVER」は人生を”旅”と設定した、”生まれてから死ぬまでの1つの物語”ともとれる。



デビュー曲でである「何なんw」はハイヤーセルフ=(自らの中に存在する精霊的な存在であり、俯瞰する自分)に救いを求め、真実と心の安定を探し求める旅の始まり。


「もうええわ」は、本人も解説していた通り「執着からの解放と放棄」


「優しさ」は、キリスト教的な「隣人を愛せよ」に加え、仏教的な「母が子を守るような心」の表現であり、あらゆる生きものに対する「慈悲」を歌う。「あの人の木陰で」から連想するのは、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開いたブッダの姿だ。


「キリがないから」「求めよ、さらば与えられん」、「罪の香り」は煩悩の根本である「無明」「愛欲」、すなわち我欲、我執である。生へ執着する激しい欲望との戦いだ。

「調子のっちゃって」は煩悩のすべての根本、「貪り(むさぼり)」「瞋り(いかり)」「愚かさ」へ警鐘を鳴らしている。「貪瞋痴(とんじんち)」の三毒は、おごり、あなどり、不真面目のこと。人間の心身を悩ませる煩悩とは我(が)であり、それは生命力そのものであるからこそ、始末が悪いのだ。

「貪瞋痴」は先日、東京事変が発表した楽曲「仏だけ徒歩」の中でも歌われている。詳しくはこちらで。


「特にない」は禅の教えにも通じる。藤井風は英詞部分「Just let me be」「あるがままでいさせて」と訳す。

「あるがまま」内観療法的でもあるが、老子の説く「道(タオ)」をも思わせる。「足るを知る。求めない」「知足者富」という老子の思想。老子は「人間は求める存在である。それを否定するのではなく、少しだけ手放して身軽になってみよう」と説く。

つまり「無いものねだりをやめて今、与えられているもの、持っているものに満足しよう」ということだ。これについては藤井風本人も話していたし、「もうええわ」のテーマである「放棄と解放」のように、彼の歌には通底している思想である。

「死ぬのがいいわ」「風よ」は信仰対象に対して変わらぬ愛を誓い、救いを懇願するような内容。絶対的存在への憧れを歌う賛美歌とも解釈できる。


「さよならべいべ」は、上京する際の心情を歌ったもの(本人談)だが、ブッダの教えの中に「愛別離苦(あいべつりく)」がある。これは「四苦八苦」のひとつで、「別離(わかれ)のない愛はない」という意味だ。

「帰ろう」もそうだが、藤井風は「別れるまでの生き方」「善く生きる」とはを考えさせる歌詞が多い。

人が戦うべき相手は自分自身の心の弱さ


ファーストアルバム「HEHN」には入っていないが「へでもねーよ」にも注目したい。MVでは仏教における「七つの敵」(病気・飢え・裏切り・嫉妬・欲・老衰・死)や、キリスト教における「七つの大罪」(暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・嫉妬・傲慢)の象徴に扮(ふん)したとも思える藤井風が現れる。

洋の東西を問わず敵は7つ。戦う相手はあくまで自分自身の内面だ。人間は生まれてから死ぬまで、これらの「自分の心の弱さ」と向き合い、戦い続けなければならない。

また「青春病」には「無常」「いつかは消えゆく身」「罰当たり」「泥の渦」「熱」「野ざらしにされた場所」「獣」「いつの日か粉になって知るだけ」と、中島敦の短編小説「山月記」を思わせるようなフレーズが出てくる。非常に仏教的なワードがふんだんに使われているのが特徴だ。

「熱」は仏教の「苦行(タパス)」という意味もあり、もともとは炎熱の下に身をさらす修行のことでもある。自分のまわりに焚火をし、上と四方から自分を熱して苦しめる修行は「五熱」ともいう。



「旅路」では「この宇宙が教室なら 隣同士学びは続く」「心の奥底ではいつも永遠を求めています」と歌うが、「へでもねーよ」は「確かなもの、変わらぬものにしがみついていたい」と締めくくっている。永遠に確かなもの、変わらないものなんてない。終わりがあるからこそ美しい人生を「旅」をする中で学び続けようと語りかける。

「きらり」「何か分かったようで何も分かってなくて だけどそれが分かって本当に良かった」「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」というソクラテスの説いた「無知の知」と同じ意味だろう。
「生きてきたけど全ては夢みたい」「何もかも 捨ててくよ」と儚く、まるで悟りに繋がるようなフレーズが続くのが印象的だ。


「与えられたものこそ 与えられるもの」藤井風は「持っている」ことを理解している


「帰ろう」に至っては、仏教やキリスト教の価値観を思わせるようなものが上手くミクスチャーされている。「憎み合いの果てに何が生まれるの わたしが先に忘れよう」はキリスト教における「赦し(ゆるし)」であり、「ゆるす」のは誰でもない自分自身なのだ。


マタイによる福音書6章6節から13節

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。 


神は「ゆるすことのできない自分」さえも受け入れてくれる存在。「(今は自分自身や他人を)ゆるす気持ちになれなくても仕方がない。先にわたしが忘れて、いつかゆるせるようになるといいね」


「与えられたものこそ 与えられるもの」と歌われるように、藤井風は「与えられたもの」が当たり前ではなく得難いものだと理解している。だからこそ自分以外へ「与えられる」のだ。

人には努力や根性だけでは、どうにもならないことが存在する。それは「運」と「縁」だ。

人間は皆、自分で生まれ落ちる環境を選べない。日本に生まれれば、蛇口をひねれば清潔な水が飲める。だが世界には、紛争地や発展途上国など、それが”当たり前でない”場所が、まだたくさんある。


藤井風は「持って」いる。それは愛情豊かな両親、経済的に安定した家庭、文化資産として音楽や語学に造詣の深い教育環境、健康な肉体、魅力的な容姿。そしてチャンス(運)と人脈(縁)も手にした。

これらは、本人の努力のみで得ることができないものだ。持って生まれるかどうかは「運」と「縁」次第。彼はそのことをよく理解している。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言うが、謙虚で低姿勢、自然体で決して奢る(おごる)こともない。それはなぜか?
これらが自助努力のみで手に入れたものではなく、「運」と「縁」により周りに支えられて「与えられたもの」だと理解しているからではないだろうか。

人間は基本的に「持っていないもの」は与えることができない。「与えられたもの」は、「情けは人の為ならず」で、また誰かに「与えられるもの」として世の中に還元される。仏教では「諸行無常」という価値観で無私無欲を心掛け、悟りを開き涅槃寂静を目指す。

藤井風の発言は少々「スピリチュアル」かも知れない。だが自然体、かつストイックに生きる姿勢には、受け継いだものと与えられた環境に感謝する思いがあるはずだ。


宇宙規模のボーダレスな思想


仏教の曼陀羅(まんだら)は宇宙に例えられる。藤井風は「旅路」「この教室が宇宙なら」と歌い、「何なんw」では「イントロのA(ラ)の音は宇宙の始まり(ビッグバン)を表現している」と語っている。

コスモロジー(宇宙論)は科学的な学問であると同時に、宗教学ともリンクする。哲学的な問いを探求するものでもある。

藤井風は常に変容し続けている。彼が向かう先は誰にもわからない。だが、彼の思想が込められたメッセージ性の高い音楽は、デビュー当初から一貫して変わらない。

哲学者キルケゴールは「死に至る病とは絶望である」と説いた。希望の光を見失ったとき、人は生きる気力も失ってしまう。

「人は闇の中にいて初めて、光を探そうとする」

「何なんw」

感染症の蔓延で、誰もが先行き不透明な「闇」の中にいる今だからこそ、求められるのは未来への「希望の光」だ。

藤井風の歌は哲学的な問いと、普遍的なヒーリングを含んでいる。闇を照らす光の申し子のような彼に、老若男女が未来への希望を感じずにはいられないのだろう。


藤井風さんのこと、いろいろ書いています


<参考文献>

手塚治虫のブッダ 救われる言葉/手塚治虫

仏教力テスト/此経啓助




画像引用:藤井風Instagram

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