躁うつ日記#30 嫌知らず、されたし、した
最近、X(旧Twitter)で爆誕した「嫌知らず」と言う言葉をご存知だろうか。
正確な定義は今後決まっていくのだろうが、ざっくりとした説明としては、「嫌だと伝えたりそのそぶりを見せているにも関わらず、相手が『自分はそんなこと思わないけど?』と意に介さず、いざ最終手段に打って出たら『そんなに嫌だったならちゃんと言ってよ〜!』と言われる」という現象のことである。(たぶん)
感動した。言いようのない気持ちや現象に名前がつくことってこんなに腹落ちするのか、という気持ちでいる。
それと同時に、記憶の蓋が開いた。
私は主に母親に「嫌知らず」をされていたと思う。
代表的な経験を挙げる。
我が家で使っていたテーブルを拭く用のふきんがあった。
しかし年中濡れている&使い古しているので、雑菌の匂いがすごかったのだ。
だからそのふきんでテーブルを拭かれると、めちゃくちゃ臭くなる。
私はこれを母親に何度か訴えたことがあった。「ふきんが臭い」と。すると、母親はふきんに顔を寄せて言うのだ。「そう?臭くないよ」と。
いや臭いって言ってんじゃん。と思いつつもぐっとこらえていると、祖母にもふきんを嗅がせて「臭くないよね〜」と言い、最終的に、「もちは敏感なんだね」という結論に帰着するのだ。
そうして私は無力感を覚えたまま、臭いテーブルのまま食事を食べたことが何回もある。
このコミュニケーションの何がまずいのか、自分なりに考えてみた。
①親の感覚で判断されるので、私の受け止めてほしい「困っている」という感覚はあまりキャッチされないことが多い
②最終的な結論が「私の個人の感覚の問題」に結論づけられているので、「こんなことを気にしている自分の感覚の方が間違っているのか?」という気持ちになる
③解決に結びつかないので、問題が残されたまま、かつ「伝えても対処してくれなかった」という気持ちが残る
ざっとこんな感じだろうか。
では、今度は相手側の気持ちに立って、なぜこのような発言になるか考えてみたいと思う。
①「ふきんが臭い」=「(ふきんを洗っていたのは主に母なので)自分が非難されている」と感じ、否定したくなる
②自分と他者の感覚が違うということをあまり理解していない
③「臭い。以上」という単なる感想を伝えられたと思っているので、それに対する自分の感想を返したにすぎない(なのでそもそも解決しなくちゃという方向性にならない)
こんなところだろうか。
最後に、これを整理しながら気づいたことがある。
私もこれに似たようなことを結構やってたかもしれない……!!
特に、相手からムッとされた時の反応。私の場合は、大体は言い方というか、伝え方がまずくてムッとされることが多い。
そんな時、自分の側として「悪意があったり、あなたが受け取ったような意図でやったわけではない」といったことを慌てて説明するのだけれど、相手からは単に言い訳しているように聞こえただろうと思う。
もちろん、そうしたコミュニケーションのずれが生じた際に、自分なりの考えを伝えて、考えを擦り合わせること自体は大事なことだ。しかし順番としてはまず、「ごめんね」や「そっか。そういうふうに思ったんだね」と、相手の気持ちを受け止める言葉を発するのが先なのである。そうしないと、そもそも話し合いの余地が発生しないのだ。
たとえ自分が真に相手の言っていることを分からなかったとしても、「あなたがそのように感じているのは理解したので、私もそれを尊重します」というのも大切なコミュニケーションのうちの一つである。
相手の気持ちを受け止めようとするそぶりを見せずに、自分の言い分だけ主張して受け止めてもらおうとしても、うまくいかないことの方が多いだろう。と、過去の自分を猛省しながらこの記事を書いている。