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育児のかさぶた

 50代/女性/教員在職20年強
 4人の子の産休・育休・育児時短勤務経験あり

 身近な人との人間関係
 職場で感じるジェンダー
 理想の教育ってなんだろう
 考えることあまた…
☕️


1人目と2人目の子の連続産休・育休が明けた後、
片道1時間半の勤務先でフルタイム復帰した。
下の子、月齢7ヶ月。
勤務時間の相談に校長室へ行くと、
校長に「権利権利と言うな」と言われた。
早朝補習はやれないのですがどうしたらよいですか?と
もがいたら、
別室に呼ばれきつく諭された。

子持ちというレアケースに理解のない職場。
子どもを持てなかった女性職員からの冷たい言葉。
いつもいつも、歯を食いしばっていた。


異動後、3人目と4人目の産休・育休を連続取得。
育休明けから4番目の子が小学校に上がるまで、
導入されたばかりの育児時短勤務を利用した。
食事、保育園の送迎、行事、家の中の維持、
通院、家庭学習、習い事の送迎、お金のやりくり… 。

43歳でフルタイム復帰。
小中高、全種類の子たちとのがむしゃらな日々を経て、
50を過ぎた今、
1人目が大学卒業間近、4人目も中学生になった。
いつの間にか、育児が
手のかかる身の回りの世話から、
よく見ていないと見えないもののケアに
移り変わっていた。



あのとき時短勤務を選んだのは
自分だ。
子どもと向き合いながら仕事もするには
家族にも自分にも時短が最適解、
「これしかない」と思っていた。

しかし
嵐が過ぎ去り、ふと周りを見渡すと、
自分ひとりが取り残された絵に見える。
管理職になった夫、
転職した同期、
自由に飛び回る同世代女性、
気兼ねなくお金を使う中高年の人々・・・
つい、自分にないものばかりに目がいく。

“人生はトレード・オフ” という。
何かを得れば、何かを失う。

たしかに、子どもは得られた。
子どもとのかけがえのない思い出も。

だが、
30〜50歳の間、自分が自分のために成し得たことが
見当たらないのだ。

「見えない」のではなく、
物理的に「ない」のでは?
わたしは子どもと一緒に
ただ “過ごして” いただけなの?

育児という大義名分を盾に
時間とお金を自己研鑽にかけてこなかった。
そもそも、その発想がなかった。
育児中でも、なんとか自分の時間を確保して
自分のための学びを進めておくべきだった!

こんな心境に陥るなんて、
想像すらしなかった。

学費、仕送り、住宅ローン。
仕事を辞めたくても辞められない。

出費をするときはいつも、
「本当にいいかな」と考えてイヤになる。

自己犠牲など一切なかった夫は苦もなく
まともな子どもたちを手に入れたのかと思うと、
心の中で「ふざけんな!」といきり立つ。

同じような思いを抱いている女性は
意外といるのではないだろうか?


こんなとき、
出口治明氏の言葉に出会った。

 <人生を無駄する3つの行動>
  ・済んだことに愚痴を言う
  ・人を羨ましいと思う
  ・人によく思われたいと思う

「働き方」の教科書(新潮社)


出血するとわかっていてかさぶたを触ってしまうから、
いつまでも治らないのか。

耐えてきたことを大事に抱えて生きるのは
もうやめたいな、と思い始めた。

同世代の女性の言動を見聞きして
「わたしにはありえない」と諦めることも。

夫を「ずるい人」と蔑み、
パッシブ・アグレッシブで不機嫌な日々を送ることも。


あのときできなかったのならば、
今から自分の学びを始めればいい。

まだ遅くないと、信じている。


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綾瀬 ゆき
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