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多様性の中で生きる

私は現在30代で小学生の子の母親です。
親子ともどもADHD・ASD・LD(ディスレクシア・ディスグラフィア)です。
我が家ではこれらの特性がない人の方が少数派で、
テレビに文字が並ぶと、皆それぞれ読み間違いを連発し、
「結局何のニュースだったん?!」と笑い出す始末。
ディスレクシアの方が多数派の社会が我が家です。
そこでにASDやADHDっぷりも発揮されるので、一般社会とは逆のルールが常識となっています。各々のこだわりを尊重し、忘れるのは当たり前(ゆえにその管理方法を確立している)、感覚過敏や認知特性の差も様々、とんでもない過集中と衝動性・多動性のあるなしなど。まるで「太陽系」かと思うくらいいろんな星が存在するような場所が私たち家族です。
でも共通するのは、それぞれを尊重すること。
そして火事場の馬鹿力、です。
とにかく緊急事態には強いメンバーがそろっています。
きっとアドレナリンがでる瞬間に強烈に惹かれる特性が背景にあるのかなと思います。

ディスレクシアといっても色々なタイプがいて、家族内でも様々です。
ADHDやASDとも掛け算され、そこに性格もプラスされるので、親子でも全く違います。

私の場合、自称努力型ディスレクシアで、文字が読めないこと書けないことを恥じてしまうタイプでした。
WAISを受けてその理由が分かったのですが、ものすごく頭に考えを溜め込んでいるがディスレクシアなので入出力に時間がかかってしまう。そのためもがき苦しむタイプのようです。おまけにADHDですからどんどん思考はめぐります。さらにASDなのでこだわりもすごくて、自分の要求をかなえるようなアウトプットができないことにヘトヘトになっていました。

でも子どもの頃の私は、相談の仕方や「しんどい」という感覚すら分かりませんでした。つい最近まではもんもんと1人で悩むことが多かったです。図書館で1人で本を読んだり、教室で絵を描き続けている子どもでした。今でも学校は苦手で子どもの参観にいくと耳と頭が破裂しそうになります。あとは教室の中にいなければならないという自由のなさにも窒息しそうになります。「自分のことは自分で決めるんだ」というマイルールのおかげで、校則はもちろん時間割ですら納得できず適合することができませんでした。2度と戻りたくないのが子ども時代です。
今の時代なら迷わず「不登校」を選んでいました。
自分の子どもも就学前になった時にはたくさんのフリースクールを見学に行き、「学校行きたくない!」に備えていました。
でも、なぜか子どもは学校が大好きなのです。。。
「正気か?!」と尋ねるくらい不思議です。
普通の感性(=私と同じ感性)なら学校という仕組みに不適合を起こすはず、と思わずにはいられません。
が、これも人それぞれということで親子でも大きく異なります。

子どもの場合は文字の読み書きが困難なことを学校でもオープンにしています。
子どもは、突然文字を読まなければならない場面(紙媒体の資料を不意に渡され、すぐにみんなの前で音読するなどの場面)でも、「読むの苦手なので、行間あけて、ルビふり、文字は拡大でお願いします」と初対面の人にもお願いします。最近はスポーツ大会で急に選手宣誓をすることになったのですが、「宣誓ー!」からの長い文章を選手代表で読み上げていました。自分で大会の運営委員さんに合理的配慮の提供の申し出をしたようでした。

私が同年代の時だったら、きっと誰かの力を借りるという手段を選べなかっただろうな、と思いました。読めないことを隠していましたから。保育園のころから、何かが自分の中で起きていることは理解していましたが、それが学習障害だったなんて想像もしていませんでしたから。でも確かに強い違和感がありました。自分だけなぜかできない!なぜだ!なぜだ!なぜだ!恥ずかしい・・・と。
だから、子どもに学習障害の診断がされたとき「その正体=学習障害」をはじめから正直に伝えました。隠したり恥じたりしないでほしかったのです。

そして、「障害」にならないようにしようとも伝えました。
学習の多様性のひとつであって、多数派に合わせた結果としての「障害」なんだ、と。
でも自分に合った読み書きを獲得することができなければ本当に「障害」となってしまう。
だから自分なりの学び方を獲得する努力をしなさい、と。
そのためにできることは何でもするからと。

これが学習障害という特性と向き合う始まりでした。

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