なくなった景色、生まれた景色(鉄道編②)
南海汐見橋線の終点、岸里玉出駅から南海本線に乗り換え、たった2駅先の住吉大社駅で下車。
さらに「過去」と「今」をつなぐ作業が続きます。
あるようで、なぃんかい!?
ひっそり佇むこと110年
汐見橋線に別れを告げ、南海本線へ。岸里玉出から2駅の住吉大社駅で下車。ここからさらに、阪堺電気軌道(通称:阪堺電車、チン電)に乗り換えるため、高架の駅舎を出て東に向かうと、すぐ隣にこじんまりとした建物。壁には右から左に「住吉公園驛」と書かれてます。
『今、建物の中を通ったけど、駅じゃなかったよなぁ・・・』
後で調べると、確かにここは駅舎でした。阪堺電車上町線の終着駅として1913(大正2)年に開業した「住吉公園」駅です。今年でなんと築110年!残念ながら、上町線の住吉~住吉公園間は2016年1月31日で廃止になったので、駅としての役目を終えましたが、居酒屋や宝くじ売り場などが残っています。
下は、住吉公園駅が現役だった頃の様子です。奥にあったホーム(写真でもわかりづらい!)は今、駐車場になっています。
上町線・住吉停留場ホームから南西方面を撮影した写真でみると、変遷がよくわかります。12年前の写真では、中央奥に線路が伸びていて電車が走っています。このレールが左にカーブした先に、住吉公園駅がありました。
ストリートビューで同じ場所を確認すると、完全に線路が撤去されてアスファルト舗装になっています。ちょうどレールが交差する部分が菱形になる、いわゆる「ダイヤモンドクロス」と呼ばれるスポットがありましたが、すっかり消えてしまい・・・😢
上空から時系列でみると
さらに、国土地理院「地理院地図Vector」の上空写真で比較しましょう。
2007年の様子です。上町線・住吉停留場から阪堺線を横切り、南西に伸びる複線が南海本線・住吉大社駅の高架脇に納まるのがわかります。住吉大社駅の文字の「社」の辺りが、住吉公園駅の駅舎です。
下は2017年の写真です。複線のレールがあった部分は、すっかり駐車場になっちゃって・・・。先ほど示した図のように、南海本線と阪堺電車の「住吉鳥居前」停留場はわずか70mほどしか離れておらず、また改修に多額のコストを要するとなると、廃止もやむなしなんだろなぁ・・・。
余談ですが、住吉公園に近い南海本線の駅名が「住吉大社前」だと、阪堺電車の「住吉鳥居前」と混同しそう。😵💫たぶん、大阪人でもきちんと区別できてないんちゃうかな・・・(私もその1人💦)
ちなみに、ストリートビューで現存が確認できたのは、住吉停留場そばにある待合室です。下は12年前の写真だけど、小さいながらも柱の意匠などがおしゃれ!
阪堺電車で市境へ
「キワキワ」だらけの停留場
住吉鳥居前から阪堺電車で堺市へ向かいます。下の写真が停留場の乗り場ですが、幅は1mもないんとちゃうの~?っていうほど狭い!写真右側には路面電車が、左には車がバンバン通るので、リュックを背負ってるとハンパない恐怖感を味わえます。
そういや高岡市(富山)の路面電車に乗ったときも、下車したすぐ前を車が通り過ぎるスリリングな体験をしたなぁ。
ここから4駅進むと、大阪市と堺市を分ける大和川を渡ってすぐに、「大和川」停留場があります。レンガ色の阪堺線大和川橋梁を渡り終えた目の前が駅なので、最初はビックリ。😲ここ以外にも、関西にはキワキワを超えたトンデモ駅があって。例えば、阪神電車の武庫川駅は橋全体がホームになっちゃってます!
12年前に撮影した阪堺線大和川橋梁です。今もほとんど同じ佇まいでしたが、実は1911年の製作!1907年に大阪市西区で創業した、「横川橋梁製作所」(現・横川ブリッジ)による製作で、イギリス式の「複線下路プレートガーダー橋」が希少なのに加えて、レンガやコンクリートじゃない鋼管柱の橋脚もさらに珍しいんだとか(専門的過ぎてよくわからん・・・😵)。
堤防の南側は、当時大がかりな工事が行われていました。阪神高速大和川線という字幕が見えます。そう、ここに阪神高速6号大和川線を通そうとしています。2020年3月に全線開通しましたが、ほとんどが地下トンネル構造なので、先日この場に降り立ったとき一瞥では気づきませんでした。
そろそろ鉄分が尽きてきたので、鉄道編はこの辺でお開きにいたします。
でも、まだ町並み・建物編を続ける予定です。乞うご期待!!