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「無理に学校に行かなくてもいいよというのは良くない」という発想になるのは初歩の段階。教育機会確保法を曲解した記事の危険性。
■「やっぱりそうだ、無理に学校に行かなくてもよいというのは良くないよね」というミスリード
教育機会確保法を曲解してる記事が増えてるなーと思う今日この頃。
不登校の情報もたくさん出回り、その見極めが難しくなっているのかもしれません。
もちろん、正解はないのですが。
色んな側面があることを理解して発信しないと危険だなと感じることが増えていて、私自身も気を付けなければならないのですが、見極めるポイントは案外シンプルなのかもしれません。
2023年度の不登校の増加について文科省が、
無理に学校に行かなくてもよいという意識が広がったことが増加の背景にあると分析したことで、それを聞いた人によっては、
・不登校のリアルを実はあまり把握していない
↓
・教育機会確保法を曲解
↓
・「やっぱりそうだ、無理に学校に行かなくてもよいというのは良くないよね」
と言わんばかりのミスリードをしたまま記事にしちゃっている
一見何がおかしいのか分かりにくい、そんな記事の一例
・急増する不登校 「学校不要」論にご用心
スマホを手放せず、深夜までSNSやゲームに依存し、昼夜逆転で登校できなくなる子もいる。ならば規則正しい生活ができるよう学校と保護者が協力して指導するのが筋だが、昨今は親のしつけに口を出そうものなら家庭介入だと批判をあびる。
「ストレスを抱えてまで学校に行く必要がない」という保護者の意識が不登校増加の背景として指摘されることだ。
学校以外の多様な学びの機会を支援する「教育機会確保法」が平成29年に施行され、学校へ行かなくていい、との風潮が強まったともされる。
・不登校30万人超 低学年での急増も深刻だ
平成29年施行の「教育機会確保法」で、学校以外での多様な学びを支援する方針が示されたこともあり、「無理して学校に行く必要はない」という意識が急速に広まった。
29年度に14万4031人だった不登校は、同法施行後の6年で20万人以上も増えている。同法が示した方針が適切だったのか、根本から見直す必要があるのではないか。
学校が果たす役割は、学習面だけではない。集団生活の中で子供たちは、嫌なことやうれしいことを体験しながら、人との関わり方を身につけていく。「行く必要はない」という意識を蔓延(まんえん)させてはならない。
・「学校に無理して行かなくてもいいよ」→親に不登校を放置された子どもの行く末は?
不登校の子どもたちに多様な教育機会を保障するのは大事なことだが、このような文部科学省の方針転換が不登校を増加させているとの指摘もある。
無理して学校に行かなくてもよいのではないか、という保護者がさらに増えるきっかけになったといえそう。
「もっと登校すればよかったと思っている」という者が30.3%
「登校しなかったことは、自分にとってよかったと思う」という者が10.3%
不登校を後悔している者の比率が不登校を肯定している者の比率の3倍となっている。このような不登校経験者を対象とした調査データからも、不登校に陥った際には、まずは第一に学校への復帰に向けて支援すべきであろう。
不登校だった生徒の85.1%が高校に進学している。さらに大学・短大・高専に進学した者も22.8%
学校に通うことを軽視する風潮があるが、このような不登校経験者の意識やその後の進路についてのデータをみると、学校に行かなくてもいいと安易に考えるのは早計であるといってよいだろう。
・「まさかうちの子が…」子どもが不登校になったとき、親が「最初の3日」でやるべき最も大事なこと
そっとしておいた方がいいという考え方は逆効果
極力登校を促す働きかけをすることが、不登校の長期化を防ぐためには大切
一定期間連続して休むと、再度登校するためには相当なエネルギーが必要
極力3日以上連続して休ませないように配慮
不登校への対応は最初の一週間がキモ
・少子化なのに「不登校」激増の異常事態 「無理して通わなくていい」は正しいのか
問うべきは、どうして適応できない子が増加しているのか、という大本の原因である。
昔にくらべると、現在の教育現場は、児童生徒に対してはるかにやさしくなった。
昭和50年代も、その昔にくらべると教師の威厳が失われ、児童生徒の友達みたいになってしまったと指摘されていたのだが、それでも教師たちは児童生徒を、怒鳴ったり、時に体罰を加えたりすることもふくめ、いまにくらべるとはるかに厳しく導いていた。
現在は、一部の部活動などでパワハラ指導が問題化することはあるが、子供たちを肉体的、精神的に追い詰めるような指導は避けるべきだという意識は、学校現場に周知されている。
横浜市の公立小学校に勤める教諭が言う。 「パワハラが問題視されるのはいいとしても、パワハラと厳しい指導の境界があいまいなので、子供に少しでも厳しいことを言うと、すぐ『パワハラだ』と言われてしまいます。学校でも問題になるし、保護者からもすぐ苦情がくるので、子供が明らかにしてはいけないことをして、ちゃんと注意しなければならない場面でも、厳しく指導することができないのが現実です。児童というお客様に教諭たちが気を遣っているようだ、と言っても過言ではありません。しかし、子供にはまだ知識も経験もないのだから、違うことは違う、ダメなことはダメだと教えてあげないと、成長する機会を得られません」
やらなければならないことはあるし、耐えて乗り越えなければならないこともある。自分で自分を律する方法をまだ知らない子供に律し方を教えるのは、教育の責務であるはずだが、いまの教育はそれを避けている。その姿勢では、子供は学校で少しでも嫌なことにぶつかれば、すぐに通いたくなくなるのではないだろうか。
頑張れなくなった子供が「学校に行きたくない」と言ったとき、「無理しなくてもいいんだよ」と親が答えれば、子供は不登校になるだろう。
2016年に成立し、17年に施行された教育機会確保法の影響も、大きいのではないだろうか。この法律が施行されてから、不登校は増加の一途をたどっているのである。
この法律のおかげで「学校に無理して通う必要はない」という意識が急速に広まったという指摘がある。最後の最後に頼るべきシェルターとして機能するなら有益だが、安易な逃げ場になっているとしたら、この法律自体を見直す必要もあるのではないだろうか。
どんな環境にも慣れ、また耐えられる子供たちを育成しないかぎり、不登校は増え続けるだろう。耐性のない子供が増加すれば、ひいては社会が立ちゆかなくなる。大本を見据えて対策を講じてほしいと切に願う。
■教育機会確保法はそんな甘い考えで簡単に成立したものではないはず
文科省が2023年度の不登校者数を発表した直後から、こんな記事が増えている気がします。
考え方が色々あるのは分かりますが、多くの保護者がこの記事に書かれているようなことをしてみたり、なんとかかんとか子どもを学校に行かせようとしたんですよね。
それを最初から「無理に学校に行かなくていいよ」と言ってるって風に書かれるのはかなり乱暴で、課題の解決に繋がらないどころか、課題が何か見えていない状態です。
多くの親たちが色々やった結果、本当に行かない、行けないんだってことが心底分かり、そこから保護者の学びが広がっていった結果の「教育機会確保法」なんです。
安易な考えでできたのではなく、血と汗と涙が滲み、長い長い年月をかけて成立した法律だということを知らずにおられることに心配をします。
これらの記事のような認識で不登校支援をする危険性
このような記事を真にうけて
「やっぱりそうだ、無理に学校に行かなくてもよいというのは良くないよね」
という認識で不登校支援をするような学校の先生や自治体が増えないことを願うばかりです。
もしそうだとしたら、より一層学校から立ち去る子どもが増える可能性があり、親子の精神的負担を増やし、親子の命にも関わる危険性があるからです。
でも現実、自治体の会議の議事録を読み漁っていると、そのような流れになりがちなことも多々あり、まだまだ不登校支援の本質を捉えられている自治体が少ないのが現状なんだと思います。
そこのところの本質が見えだすと、不登校支援の労力が今までとは違ってくるでしょうし、学校の働き方改革にもつながる可能性もあるかもしれません。
そうでない場合、子どもの命、先生の労働力を搾取することに繋がりかねないことだと思います。
先生の体験談と困りごと、不登校親子の体験談と困りごとをすり合わせていけば大事なことが見えてくるはず。
今はまだ、そんなすり合わや対話ができるようにと、学校行政に働きかけをしても上手くいかない現状があります。
どう言葉を尽くせば、それが実現できるのか・・・
一個人の発信では難しいですが、こうして言語化することが精一杯で・・・
「繋がりが大切」「アクセス100」
っておっしゃるけど、どうしてこうも繋がれないのでしょうね。不思議です。
■不登校の子どもの寄り添いと回復には年単位の時間と労力が必要
学校行き渋りだした・・・
どうにか学校に行かせなきゃ
↓
親にとってスタート地点だけど
行き渋り出した時点で子どもは限界点なんだと分かってくる
↓
あー、これは行かないわって薄々思う
↓
あー、これは行かないわってはっきり分かる
↓
毎日の関りの中で、学校に行くとか行かないかという状況ではないことが腑に落ちてくる(関わり方によってはこれは命に関わるかもしれない)
↓
学校に行かない代わりに、何かをさせること、できるようにならせること、どこかに連れて行こうとすること、色々やってみる(元気になるために)
↓
でもできないんだ・・・どうしたらいい?
あまり元気がない様子で動かそうとするのは無理があるのがだんだんと分かる
↓
エネルギーを回復するのには割と時間がかかるのだと腑に落ちる
早く解決とか、早く元気にという状況ではないことが分かる
↓
焦ってはいけない
何かをさせること、できるようにならせることを全てやめてみる、ということをする
↓
子ども自身の力でエネルギーを回復できるように努める
そのために親は余計なことを言うのを一切やめた方が予後が良さそうだという親と子どもの経験則が語られているのをよく聞くようになる
↓
学校に行くとか行かないとかが関係なくなっていく
寄り添うとか、その子のままを大切にするというのが分かってるつもりで分かってなかったことが分かる。
↓
行事や新学期で再登校することも
それを「良かった」「解決」という単純な感想でなく、「行っても行かなくても、そのままのあなたが大事」ということが変わらずにいることが大切。
↓
再登校は副産物で、ここまでくると「解決」という発想にはならない
↓
で、また行かなくなることも
↓
高校や大学に進学する場合は結構ある
何歳で進学するかは関係ないし、余計な提案やアドバイスは控え、親は情報を持っているだけでいい
↓
で、また行かなくなることも
↓
どんなに思春期で荒れていて手を付けられないことがあっても、年齢が上がり精神的にも成長し、落ち着いてきて、視野も広がり、自立していくことも多いと思う。
そんな日まで、信頼関係を崩さないこと、そのためには余計なことは言わないこと。たとえ「甘やかしてる」「もっと厳しく言わないと」と言われても
これは私の経験談で、これを4.5年やってきました。
そんな私に、
「無理に学校に行かなくてもいいという親なんですね」
なんて言える?
「よくぞ命を守ってくれました」
と言って欲しいくらいです。
まぁ、
「親なら子どもの命を守るなんて当たり前」
とバッサリ言われちゃいそうですけどね。
でもね、学校に行ったことで命が削られている子どもの姿を見てると、私たち親をホントにこれ以上責めないで欲しいと涙がでちゃうし、もし学校行政が「無理に学校に行かなくてもいい親が増えててね」って姿勢だとしたら、正直もう関わりたくない訳で。
でも、それでは次の人が困るから、涙ちょちょぎれながら発信しています。
■本気の支援は命を守ることが前提
実情に詳しい経験者の言葉は解像度が高いのがよく分かるので、上にupした記事と比較して読んでいただきたいです。
・不登校の子どもを追い詰める「親の不安」 2000人の子どもを見た識者に聞く「親の理解の仕方」とは
西野博之さん
認定NPO法人「フリースペースたまりば」理事長、「フリースペースえん」代表、「川崎市子ども夢パーク」所長
・ある日突然不登校になった小2息子…新卒23歳担任が告白した「原因になったかもしれない」出来事
・不登校の小2息子に「欲しがるものすべて」与えていい?「子どもに寄り添う」本当の意味
・『学校に行かなくても豊かな人生を送れる』現役校長の立場から語る、学校の中に留まらない学びのあり方とは。
渡部正嗣さん 元中学校校長
前編
後編
・『「こどもが主語」の学校へようこそ!』
森万喜子さん 元中学校校長
■「無理に学校に行かなくてもいい、というのは良くない」という発想になるのは初歩の段階
寄り添う
見守る
支える
言葉として誰もが知っている言葉だけど、体験の深さで全然意味がちがってくるなと、これらの記事を比較して思ったのでした。
正解はないけれど、両者は何が違うのか。
それは
単なる段階の違い。
詳しい現状を知っているか知ってないかの違い。
「このままでは将来が」って段階なのか
「今、命が」って段階なのか(死にそうに見えなくても)
多くの親や先生が、最初はなんとか学校に行かせようとしたんです。
でも、それがどうにもこうにも出来ないから困ってしまう。
困るんだけども、その先に心理が見えてくるというか。
その深さを知っていくことが面白いというか。
体験としてではなくても、是非次の段階を覗いてみてから記事を書いてみて欲しいですね~