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不登校とゲーム。


ゲームをするから不登校になる論

この論は、学校復帰とセットで、子どもからゲームを離す方向性の方が多いのかなと思います。
あと、子ども自身もそう思っている場合もありますので、親や周りの大人と子ども自身で方向性が合致すれば、学校復帰を目指してゲームを減らしていくというのはあるかもしれない。

学校に行けない理由が、子ども自身分からないケースも多いですから、そんな時、ゲームばっかりになっている罪悪感も手伝って、学校に行けない理由はゲームのせいかもしれないと子ども自身が思うのは自然なことかも。

ゲームをやめて学校に行って、親を安心させたいとか、そういう気持ちがある親思いのお子さんなのかもしれませんし、それで学校復帰して楽しく学校生活が送れるのであれば良いことだと思います。

ちなみにうちの子どもがそうではなかったので、私はこの論がちょっとわかりません。
なのでゲーム肯定派の意見ばかり耳を傾けてしまう確証バイアスに陥っている可能性もあるので、一応この本も読んでみることにします。
ちょっとこわいなドキドキ。

不登校になったからゲームをする論

もちろん「不登校前からゲームをしてた」という場合は多いですから、ゲームをするから不登校になった論じゃないかと言われそうですよね。
・・・まぁ、そうなんですけど。

ゲームをやめて学校復帰が出来るなら

『軽傷』または『かなりの我慢を継続中』

なのかなーと、想像します。
(傷の軽い重いは誰にもわかりませんが)

でね、もうこれ以上我慢は出来ない領域にいる子、心のエネルギーが下がっている子はゲームをすることで心が安定するというのはあると思うんですね。

学校休んで「わーい♪」という感じでゲームをしている子は、私の肌感覚的に割と少数派なんじゃないかな? (私的にはそっちの方が心配)

学校に行った方がいいとは思う・・・
学校に行きたいのに行けない・・・
学校に行けない自分はダメなのか・・・
ゲームばかりしていて良いのだろうか・・・

という思考を子どもが巡らせているかもしれないと、不登校で悩む親御さんは感じたことがあると思います。

とは言うても、

生活習慣、学習習慣、ゲーム・メディア時間をきちんとさせよう

と、最初は思うものです。

万作尽きた場所に立った人にしか分からない領域

「時間を決めてやろうね」も、Wi-Fiを切ることも、そういうコントロールはバトルの始まりになります。
バトルになるのは一見悪いことのように見えますが(もちろん嫌だけど)、これって子どもは親に言いたいこと言えてる状態ということです。
なので、親はしんどいですが子どもが自分の言い分をぶつけるというのは大事なことです。
(渦中の時はなかなかわかりませんけどね。腹が立つし、イライラするし、やり場がないし・・・にんげんだもの・・・)

それで、言い方、やり方、いろんな角度で、時に優しく、時に強く、ゲームをしなくて済むように、どこかに誘ってみたり、ありとあらゆることをやってみるんですけど・・・
なかなか上手くいかない上に、どこからともなく「そこは親がしっかり管理しないと脳に悪影響ですよ」とか、やり方が悪い、言い方が悪い、そんなニュアンスの声が聞こえてくることも。

ゲーム時間より大切なこと

最初のバトルで子どもは自分の言い分を言ってくる、それはいいとして・・・
バトルが続きすぎると子どもは親を信用・信頼しなくなると思うんです。
この人には何を言っても無駄だ・・・と両者が思う状態ななりかねない。

コントロールすると親子関係がこじれてしまうことに早い段階で気が付ければいいのですが、生活習慣、学習習慣、ゲーム・メディア時間をきちんと、が絶対の親だとどうでしょうね・・・

メディア時間制限をして生活習慣を整えることができる子は、とっくに学校復帰してます。

生活習慣、学習習慣、ゲーム・メディア時間をきちんと・・・が、すべての子が合う訳ではない。

不登校者数の5.6割が90日以上欠席ということは、割と多くの子が合わないんじゃないかと想像してしまいます。
多くの不登校の子は、ゲームやメディアに多くの時間を費やすかもしれないけど、不登校の原因はゲームだけではない。
そんな浅いところではないということを、大人たちはしっかり考えないといけない。

ゲームと不登校を結びつけると余計に学校から遠のく

生活習慣、学習習慣、ゲーム・メディア時間をきちんと、が絶対の親だと、こだわりの強さから、『軽傷』なのか、『かなりの我慢を継続中』を見定められない場合があるんじゃないかと。
もしも、『かなりの我慢を継続中』で、学校復帰を余儀なくされていたら、それこそひきこもり予備軍です。

「学校なんて行かなくてよい」「学校が嫌なら家にいていいよ」
なんて、たいていの親は実際は言わないと思う。

行けるものなら行きたいと願う子どもに対して、そんな会話には成り立ちません。
不登校になるのは「学校に行かずにゲームしたい」からだと考える一部の人は、想像力もなくそういうことをおっしゃいます。
教育委員会の会議でもそういう言葉が出てくるのは珍しくありません。
そこが親たちの苦悩ポイントです。

ゲームをするしないの次元じゃない

子どもをよく見ていると、ゲームと不登校を結びつけると余計に引きこもるというか、親への不信感を募らせることになるってのが分かってくる親は多いと思います。

だって、学校が心理的に安全ならば子どもは学校に行くもの。。。
単に原因がゲームなら、こんなには悩んだりしなかったと思います。

ホントに色々やってきた結果、不登校の親たちは、

子どもの命を守ることを考えなければならないところにいます。

生活習慣、学習習慣、ゲーム・メディア時間をきちんとさせようとしてみたものの、それをさせようとすればするほど子どもが命を削っている様を目の当たりにする羽目になるのですから。

傍から見たらゲームばかりさせてる親に見えるでしょうが、そりゃ必死なんです。
それはもう、ゲームするしないの次元じゃないんですよね。


ゲームという名のコミュニティ

子どもたちのオンラインゲームは、子どもの居場所であり、コミュニティであり、秘密基地。

目の前に相手がいるわけではないけど、心理的安全性が確認できる相手が増えていくのはとても面白いことだと思う。リアルだったら出会えないであろう人と繋がれるし。

親は相手が全く分からないことを心配に思うかもしれないけど、子どもは失敗と成功をそこで繰り返してコミュ力を高めていると思うのです。
そこにはいろんな人がいるということを、大人よりも子どもの方が分かっています。

それを危険とされる場合もあるけれど、危険だけではないのかもしれない。
あまりにも危険視することが危険というか。

危険になってしまうのは、子どもが孤独・孤立するの場合。
親を含め、周りのすべての大人たちから
「知らない人と繋がるような、そんなゲームやめなさい」
など、否定的にされ続けていると、分かってくれる人をもっともっと探すようになるでしょう。

「この人は私の気持ちを分かってくれる」


オンラインは危ないという考えは危ない?

そうだ・・・
私が子どものころ、雑誌の文通募集欄があって、自分の個人情報晒して文通するっていうのがありましたけど、今考えるとゾッとしますよね。オンラインより危ないですよね。(でも割と良かったですよ)
あと、mixiでマイミクとリアルで会ったりもしてました。友だちの友だちはみんな友だちって感じもありましたね。(なつかしー)

余談ですが、夏に「ダイアログインザダーク」という、視覚障害者の案内により、完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテイメントなるものを体験したんです。真っ暗闇の体験をともにする方々は、リアルだけどオンライン感もあるっていう、見えない故の不思議な感覚がありました。
終了後ご一緒した方とお話していたら、なんと不登校新聞の編集長さんでした。(びっくり)

昔々から、遠方の人と繋がるというのは、そりゃ、いろんな形でありますよね。
仕事の名刺交換なんて個人情報を渡していることになり危ないんですかね?
それよりも仕事が取れない方が危ないと思います。

子どもがゲームで繋がるのも、それとなんら変わりないと思うのは、単に私が危機意識が低すぎるせいかもしれませんが・・・
子どもたちの居場所として、メタバースの学校的なものとかありますけど、大人が用意せずとも、多分、多くの子どもは自分で自分の居場所を見つけていると思います。それがたまたまゲームだったんじゃないかと私は思います。
心配から否定的になるのは、親子の信頼関係が揺らぐ点で危ないと私は思います。難しいところですけど。
かわいい子には旅をさせろって、親子の信頼関係につながる言葉なのかも。

子どもの背景にある心理的なフラストレーション

おそらく冒頭にご紹介した本とは真逆な内容で、専門的な本かと思います。
安易な表現ですが「ゲームが先か不登校が先か」と考えたとき、私もここに行きつきます。

これまでの調査などからはゲームの時間の長さとゲームのコントロール障害や心理的な問題と関連があるとされていますが、ゲームの時間が長いことがコントロールの障害の原因ではなく、心理的なフラストレーションを抱えていることがゲーム時間を長くし、コントロールの障害につながることもわかってきています。これらを考え合わせると、子どもがゲームのコントロールを失った時に私たちのような立場のものが考えるべきは、背景にある子どもの心理的なフラストレーションであると言えるでしょう。
中略・・・
大人と子どもが仲違いをしていると適切な道は見つからず、子どもは勝手に自分ひとりで大人の目の届かないところに行ってしまうかもしれません。だからこそ、親子で地図を広げて話し合える関係性を作っていくことこそが大切なのです。

子どもたちはインターネットやゲームの世界で何をしているんだろう?
児童精神科医からみた子どもたちの「居場所」 関正樹 (著)より
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・子どもの背景にある心理的フラストレーション
・親子の信頼関係

ということが書いてありました。

ゲームをやりたいから休んでるんじゃない。
学校に行けないからやっている。行けるものならとっくに行っている。

2年前、息子はそう言ってました。
色々ありましたが、それから通信制高校に入学し、バイトを始め、進級することもできました。

子どもの不登校で思うのは、現代って親が子どもをコントロールせざるを得ない仕組みがたくさんな上、時間の制限も多いということです。
皆さんも頭ではそのことに気が付いていることでしょうが、なかなかそれをやめるのは勇気がいることだろうとも思います。

難しいことですけど、「質の高い自己決定」をポイントにすればブレにくいのかなと思っています。

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