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小6男子との1ヶ月半の共同生活を経て

今日は、珍しくおうちに一人。家のなかの至る所に、私以外の暮らしの痕跡が散りばめられていて、まるでおうちが生きているみたい。ここに、彼・彼女たちが確かにいたんだって、嬉しくも、切なくもなる。

8月になり、1ヶ月半ここで暮らしていた小学生の男の子が自宅に帰っていった。彼は、ある日突然、たった一人でここに来た。

朝ご飯をつくって、学校まで送り出して、夕方になるとお迎えをして。夜ご飯の準備をして、一緒にご飯を食べて、時間になると、お風呂と就寝を促す。子どもがいる家庭で、保護者と呼ばれる存在がごく普通に行うことを、この家では、20代~40代の男女10人弱のメンバーが担当制で行っていた。

だから、小学生男子との共同生活といっても、自分が子育てをした、という実感はまるでない。だけど、「子育て」というもの、「子どもと共に暮らす」ということ、に思いを馳せるとき、私はきっとこの暮らし方が真っ先に脳裏に浮かぶのだろうな、と思う。

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まだちょっと寝ていたい時間に、「あの子は起きているかな」と身体を起こす朝。ノックをしても返事がなくて、「もう少し待つと自分で起きてくるかな」と、本人の自主性を尊重したい気持ちと、お互いのスケジュールを前に進めたい気持ちの狭間で、ドアの前で躊躇する瞬間。彼の夕方の帰宅時間から逆算して、1日のスケジュールを組み立てるとき。ああ、子どもを育てるってこんな感じなのかもしれないな、と思った。

自分の日常と、他の人の日常が交磋する。相手を思うのだけど、思うことが義務にならないように、と少し気をつける。これを「自分だけ」が毎日24時間365日担うとしたら、さすがにしんどい。子育ても仕事もプライベートも、なんて無謀だなと思うし、抱え込んでいる保護者がたくさんいるのも想像できる。

ちょっと子育てを休みたい、どうしてもイライラしてしまう、これって自然なこと。この気持ちを吐き出せず、子どもを愛しく思えない自分を責め、それでも日常を更新しようとすると、いつかは必ず限界がくるはず。でも、それを防ぐためのきっかけは、きっとどこかに存在する。身近な人を頼ることのハードルも、福祉制度を活用した場合に名付けられる違和感も、なかなか気持ちのよいものではないかもしれない。だけど、「自分だけ」を「みんなで」に転換してみるって、きっと多くの人に気付きを与える、尊く、愛おしいことなのではないか。

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今回、このお家で共同生活に取り組んでいた10人弱のメンバーたちは、年齢も、職業も、性別も様々だ。自分の家庭をもった子育て経験者も、既婚で子どもがいない人も、独身の単身者も、みんなで時間を分け合って、たった1人の男の子と日常を共にする。時間や担当を決めるときも、サラッとオンラインで話して、チャットでやりとりして、あとはそれぞれにお任せ。大それたことはなにもない。未だに、お互いのフルネームや職業も覚えてないくらいだけど、わたしたちは確実に、なにか大切な体験を共にした。

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今日はもう何もできないと疲れ果たときや、帰りが間に合わないときは、LINEにヘルプをいれたら、誰かが駆けつけてくれる。ご飯だけつくって自宅に帰っていくメンバーもいれば、仕事帰りに宿泊だけ共にして、彼を学校に送り出してから、出勤していくメンバーもいる。リビングで仕事をしていた20代独身の男性が、彼の帰宅時間が近づくにつれ、そわそわし始め、遅いと心配になるね、と笑い合ったこともあった。彼が布団に入った後、残ったメンバーで声を潜めながら、「彼ってこんなところあったよね」とコソコソ話す夜が幾度もあったし、ある夫婦が、彼と3人で夜ご飯を食べているところを横目に、他のメンバーが夜の街へ飲みに繰り出すこともあった。

どんな瞬間を思い出しても、ああいいなあ、と思う。一人ひとりが自分を大事にして、だけど、他者と共にいる。そこにいる人や、時間が異なるだけで、見える景色が毎日違う。かかわり方も、在り方も、みんなそれぞれ。

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当の彼はというと、「今日は誰が来るの?」「あの人こういうところあるよね」「最近あの人来てないなあ」と、飄々に、でもどこか楽しそうに、この日々を生きていた。

この日々のことを、彼がどんなふうに記憶しているのかは分からない。彼の成長発達を取り巻く環境としても、いわゆる一般的な家庭、安定的な愛着形成とは、ほど遠かったかもしれない。ただ、かかわる人が何人になろうと、それがたとえ僅かな時間であっても、愛と余裕をもって「自分だけ」を見つめてくれる日々は、その子にとってマイナスに働くことはないのではないか。

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少なくとも、彼とかかわる時間は、私たちにとって、かけがえのない経験になる。代わる代わる担当を決めて、子どもと暮らす、なんて、奇妙なことかもしれない。でも、この暮らし方に触れた人々が、家庭を開いていくこと、頼り頼られ助け合っていくことを、体感しているというのは、悪くはないはずだ。

誰か一人が苦しみながら、抱え込むより、子どもも保護者の人も、かかわる人みんなが少しだけ、大らかになって、優しい気持ちになれたらいいなと思う。この暮らし方は、人助けでも、偽善でもなく、ただ自分自身を満たすための暮らしなのかもしれない。

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彼の日々も私の日々もこれからも続いていくし、彼がここにまた来ても来なくても、共に時間を過ごしたことに変わりはない。

思い出に浸るのも束の間、明後日には3歳男児がやってくる。今度はどんな暮らしになるんだろう。どんなストーリーが紡がれるんだろう。みんなでどんな話をするんだろう。私は、ここでの暮らしが愛おしくてたまらないし、こんな日常がもっともっと広がったらいいな、と願う。

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わたしが暮らしているのは「れもんハウス」というお家です。

<れもんハウスの情報>
ウェブサイト:https://aokusa.or.jp/

Instagram:https://instagram.com/lemon_house2021?igshid=YmMyMTA2M2Y=

れもんハウス×We are Buddiesのnote記事:https://note.com/wearebuddies/n/nfe53dfebeeaa

住民 藤田琴子(一般社団法人 青草の原 代表)目線で語られたれもんハウス:https://note.com/tokoto/n/naaa87d0257c2

大家さん(千年建設・NPO法人LivEQuality)目線で語られたれもんハウス:https://livequality.co.jp/owner/lemonhouse




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