書くのと話すのは脳の使い方がぜんぜん違う
今日のできごとを教えてといわれたら、
日記を書くほうが楽ですか?
それともしゃべるほうが楽ですか?
わたしは間違いなく前者。
今日のできごとをアウトプットする点では書くのも話すのも共通しているけれど、脳みその使い方はまったく異なる。
わたしにとって書くときの頭の使い方は、脳内ひとり言の文字起こしに近い。
それこそ新聞記者みたいに、記者会見を聴きながらキーボードを叩くような。
しかし話すとなると、とんでもないマルチタスクになる。
外国語を話すときのような感覚が近いだろうか。
話の内容を考えて文法と単語を探してやっと言葉になるような。
話の内容の引き出し&単語の引き出しを片っ端から開けて、散らかったピースを適切な順番でつなげてやっと口から言葉が出る。
もはや冷蔵庫の中身を右手で取り出しながら左手で料理するような感覚である。
…MURI!
∽∽∽
最近わたしはテキストでのアウトプットを褒められる機会が多い。
情報の整理からの言語化が早く、わかりやすいと言ってもらえるのだ。
(たぶんnoteではその力を発揮できていない)。
自分では自覚なくしているあたり、おそらく得意なことなのだろう。
書く作業について脳みその負担が比較的小さいからだ。
だいたい、書く作業には瞬発力が要らない。
動画を観ながら・音声を聴きながら簡単にメモをとっておけば、あとはメモをみてテキストに起こしていくだけである。
ところが話すアウトプットになると、こうもいかない。
話すアウトプットは「会話」の場面が多い。
相手の話を聴きながら、要点を捉えながら、あとは先述した「話す」に関する一連の脳内作業がくわわってくる。
そして「話す」ことに気を取られすぎると、「聴く」ことが疎かになってしまう。
かといって、聴くことに集中して話すことを後まわしにすると、話すことを考える時間の沈黙が気まずい。
…SHUNPATSURYOKU!
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ライターの仕事は、意外とテキストのみでやりとりが完結するケースも多い。
だから別に会話が苦手でも、仕事で困ることはあまりなかった。
しかし、このごろのわたしは「打ち合わせ」なるものが増えてきた。つまり話さなければならない。
今までほとんど鍛えてこなかった「話す筋」を、ついに鍛えるときがきてしまったようなのだ。
筋トレは気が重い。
しかし、重りを挙げれば挙げただけ筋肉がつく。
筋肉がつけば嬉しい。
話す筋のトレーニングも、それはそれは気が重い。
しかしトレーニングしなければ筋肉はつかない。
500gのダンベルから始めよう、すこしずつ。
トレーニング方法はすでにいろいろ考えているのだ。
「書く」筋肉に「話す」筋肉もついたら、マッチョに金棒ではないか。
…つかもうぜマッチョの金棒。
今日も読んでくれてありがとうございます。
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