わたしのコロナ禍が終わったかもしれない
やっとやっと長いトンネルを抜けた気分である。
続きはまた書こう。
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さて、続きを書いていく。
結論からいってしまえば、前々から気になっていた映画を観に行っただけの話なのだが。
遡ること2020年頃までは頻繁に映画を観に行っていた。
多いときは週1回、少なくとも月に1度。
1日に2本観るときもあったし、『ボヘミアン・ラプソディ』や『ブックスマート』などは2回3回と映画館で観た。
それだけ観たい映画があったからだし、映画館での映画鑑賞はわたしにとって小さなデジタルデトックスの意味もあった。
2時間ないし3時間スマホを触らず、仕事もシンクに置きっぱなしになった茶碗やお皿の存在も忘れて異世界に没入できる時間を大切にしていた。
2020年といえば、コロナ禍が始まった年だ。
映画館はしばらく営業停止したし、当時わたしが働いていたカフェも漏れなく営業停止となり、わたしは本格的にフリーランスへの道へと舵を切っていく。
映画館はすこしずつ営業を再開していったが、わたしの足はなかなか映画館に向かないままだった。
フリーランスとして少しずつお仕事が増える一方でスケジュール管理は下手くそなままで映画館に行く時間を捻出できなかったからだし、外出自粛に慣れてしまってどこに出かけるのもすっかり億劫になってしまったから。
そのあいだに転勤も挟まり、映画館も公共交通機関を使って気軽に行ける距離ではなくなってしまった。
できるだけ車を運転したくないわたしにとっては痛手だ。
気になる映画は公開日をカレンダーに登録しておくのだが、仕事・締切を言い訳に結局行けずじまいで終わってしまう作品も増えた。
せっかくみつけた「好き」がどんどん離れていく気がしていて、もちろん映画だけが原因ではないはずだけれども、わくわく感とかなにかを楽しみにする気持ちも自分のなかから失われていく感覚があった。
仕事の面では成長していても、すこしずつ収入が増えても、なんだかどこか満たされていなくて、つまらなかった。
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Googleカレンダーをみると、今日のマスにはある映画が登録されていた。
しかし締切も迫っている。
今日は無理だな。いや今日「も」か。
とくに深く考えもせずカレンダーを閉じ、Wordを開いて執筆を始める。
しばらくして、昨夜たまたま開いたエッセイにあった一節を思い出した。
「死ぬときには想い出しか持っていかれない」
間髪を入れず、昨夜たまたま開いたYouTubeで聴いたひと言を思い出した。
「たった一度の人生なのだから『好き』に向かって行動しなさい。仕事を言い訳に『好き』を諦めてばかりいたら、その日しかみられない景色を見逃してしまうかもしれない。仕事は人生においてその体験を凌駕するほど大切なのか?」
確認するだけの気持ちで、最寄りの映画館の上映スケジュールを調べる。
レイトショーなら行けるかもしれない。
待てよ、観るならこっちの映画がいいな。
…
…
…
映画に行くなら、ぼちぼち出かけるべき時間だ。
しかし今日の仕事はまだ終わっていない。
いつもならここで諦める。
でも、それでいいのか。
なんだかんだ、ひいこらいいながらも、仕事はいつもなんとか間に合わせているじゃないか。
急いでPCを閉じ、シンクに山積みになったお皿を横目にボサボサの髪を簡単にととのえて財布・鍵・スマホだけを持って家を出る。
街灯の少ない夜道はまるでトンネルのようである。
長かった。
「好き」に向かえなくなった時間。
外出が億劫になってしまった時間。
地味につらかった。
今日まさにその長いトンネルを抜けられた気がする。
今日観た作品は、奇しくもコロナ禍を舞台にしたものだった。
もともとチェックしていた映画ではない。
上映情報を確認したとき直感で決めたのだから、なにかの運を感じる。
ストーリーもおもしろかったし、GACKTさん&山本耕史さんがカッコよくて眼福であった。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近「好き」に向かったのは、どんなときでしたか?
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