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好調不調は自分基準

10月が2/3過ぎて、そしていい大人になって、ようやく気づいたことがある。
かなしいかな、調子のよさは過ぎ去らないと気づけない。

振り返ってみれば9月のわたしはたぶん、そこそこいい状態だった。
一定のペースではないにしてもちゃんと走れていたし、感情の波も小さかったように思う。
周囲の人たちからは「なんか大変そうだけど大丈夫?」といわれることも数回あったし、たしかに大変だなとは感じていたけれども「そんなに大変そうにみえているのか」と、ちょっと意外な感覚があった。

自己評価と客観的な評価は往々にして一致しない。もちろん客観的な評価に素直に耳を傾けることも重要だが、自分がよいならそれでよしとすることも大切だ。

今のわたしは先月にくらべてぜんぜん走れていない。バーベルを担ぎながらよろよろと歩いているような感覚だ。
そして気づいた。先月は「ふつう」だったのではなく、好調だったんだと。

∽∽∽

自分の「よい」がわかっていないと、情報に振り回されて消耗することになる。
先ほども似たようなことを述べたけれども、自分の「よい」と、他人の「よい」は必ずしも一致しない。

でも、今はSNSを開いてもnoteを開いてもYouTubeを開いても、「成功する◯個の方法」「失敗する人の特徴✕選」といった有益チックなサムネイルが(みたくなくても)視界に入る。

別に成功する方法は◯個だけじゃないし、✕個の特徴に該当していたって失敗しない人はしない。逆に✕個の特徴に当てはまっていなくても失敗する人はする。

ひろゆき風にいわせてもらえば、そもそも「それってあなたの成功(失敗)ですよね?」

自分が望む状態はどんなふうなのか。
逆に「こういうふうにだけはなりたくない」と思うのはどんな状態か。
それがわかっていないと、有益な情報にふれても振り回されて消耗するだけ。

成功だの失敗だの、うまくいくだのいかないだの、もういいよ。
成功も失敗も、好調も不調も、まずは自分基準。
自分の基準もあいまい(になってしまった状態)なら、まずは自分の基準を自分でみつけないと。他人に自分の基準を預けてないでさ。

ことばにならなくてもいい。
体の感覚で知っておくのでもいい。
自分のいい状態と、よくない状態、ふつうの状態、望まない状態。
「絶好調」ならさすがに気づけるけど、「まずまずよい状態」にはリアルタイムでは気づきにくい。調子が下がってきてから気づくものだ。
だからこそいつも自分をよく観察して、内省して、自分の基準、ちゃんと持っておきたい。



今日も読んでくれてありがとうございます。
今、あなたの調子はどうですか?


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